感覚の逸脱のブレーキ(その5)
たしかにいまはヘッドフォン・イヤフォンはブームである。
定着している、とさえ思うほどに、
ヘッドフォン・イヤフォンのムックは出版されるし、専門店もある。
ブランドの数もかなり増えている。
製品数も増えたし、価格のレンジも広がっている。
まさに百花繚乱、といいたいけれど、そこはためらう。
ためらうとともに、
優れたヘッドフォンは、感覚の逸脱のブレーキ、と表現されたのは菅野先生。
そのとおりだと思っているから、この項を書いているわけだが、
どうも最近のヘッドフォン・イヤフォンのなかには、
逸脱気味の製品が増えはじめているのではないか、と思えてきた。
過去にもそういう製品はあったであろうが、
最近のほうが目立ってきているように感じることがある。
具体的にどの製品が、とは書かない。
ヘッドフォン・イヤフォンを同条件で比較試聴しているわけではないし、
私が聴いてるのは全体の製品数の一部にすぎない。
私が思っている以上に、
逸脱気味、さらには逸脱しているヘッドフォン・イヤフォンがある可能性も考えられる。
だから、いまのところ私が逸脱気味、逸脱していると感じている製品について、
具体的なことは書かないが、そういう製品であっても、
意外に(そう感じるのは私だけなのか)高評価であったりする。
そういう製品を全否定はしないけれど、
この項を書き続けるにあたっては、優れた製品、
つまり感覚の逸脱のブレーキ役にもなってくれるヘッドフォン、イヤフォンを、
自分の耳で探していかなければならないし、
そういう製品に関しては具体的に書いていく必要も出てきた。
それにしても、製品数のなんと多いことか。