音を表現するということ(間違っている音・その8)
間違っている音を出していた男は、はっきりとナルシシストである。
本人にその自覚があるように感じるときもあれば、
そうでないように感じるときもあったから、
本人が自覚していたのかどうかははっきりしないが、
少なくとも私だけでなく、間違っている音を出していた男とつきあいのあった人の多くが、
ナルシシストだといっているから、
私だけのひとりよがりではないのだろう。
別にナルシシストであってもいい。
けれど、それがことオーディオ、音に関係してくると、
どうしても何か言いたくなるのが、私の性格だ。
間違っている音を出していた男は、
「瀬川先生の音を彷彿させる音が出ているから、来ませんか」と私を誘った。
七年前のことだ。
(その6)でも書いているように、
彼は瀬川先生に会ったことはない。
あったことがないのだから、瀬川先生の音を聴いてもいない。
にも関らずナルシシストの彼は、
「瀬川先生の音を彷彿させる音が出ているから、来ませんか」と恥ずかしげもなくいう。
そのとき、たいしたナルシシストだ、と思っていた。
もちろん彼の音が、瀬川先生の音を彷彿とさせるなんて、
まったく期待していなかった。
それでも、彼なりの、ナルシシストとしての美意識が反映された音であるならば、
聴いてみたいという好奇心はあった。
けれど、そこで鳴っていたのは、
残念なことに美的ナルシシズムではなく、醜的ナルシシズムとしかいいようのない音だった。
美少年も歳をとる。
皺が増え、皮膚も弛んでくる、
体形も変ってくる、腰まわりには脂肪がついてくるし、
髪の毛だって白髪になったり、抜け毛も増えてこよう。
ナルキッソスはそうなっても、己の姿を水に映してうっとりするのだろうか。
もっともナルキッソスは、その前に死んでいるのだが。
だが現実のナルシシストは、みな老いていく。