便利であっても(その5)
旧い時代の演奏家よりも新しい時代の演奏家のほうが、いわゆる演奏テクニックは優れている、といえる。
それに当然のことながら旧い時代の演奏家の録音はふるい、
新しい演奏家の録音は新しい。
録音の年代による違いも、ここに加わることになるから、
それならば旧い時代の演奏家のレコードを、なぜ聴くのか、ということになる。
演奏テクニックも優れていて、録音もいいわけなのだから、
新しい演奏家のレコードばかりを、なぜ聴かないのか。
理由はいくつかある。
そのひとつが、私にとっては演奏の薫りである。
この薫りにおいては、新しい演奏家からはあまり感じることができなくなりつつある。
スピーカーから出てくる音に匂いがついているわけはない。
その意味では音に香りはないわけだが、薫ってくるものは確実にある。
すべてのスピーカーからの音に、すべてのレコード(演奏)にそれがあるとはいえないけれど、
薫ってくるものをもつスピーカー、レコードがある。
1983年に内田光子のモーツァルトのピアノソナタのレコードを見つけた。
まだまだ粋がっていた青二才の私は、日本人のピアニストなんか、というところを持っていた。
それでもジャケットの写真を見ていると、少しは期待できるかも、などと、不遜な気持で買って帰った。