陰翳なき音色(その3)
「明瞭さとは明暗の適当な配置である。」ハーマン。傾聴!
(ハーマンは「北方の魔術師」と言われた思想家。)
ゲーテ格言集に、こう書いてある。
これが真理であるならば、
暗のない明瞭さは存在しないわけで、
いまハイエンドオーディオと呼ばれるスピーカーのなかには、
暗のない世界を進んでいるモノがあるように感じる。
それらのスピーカーは、精度の高い音とか精確な音という評価を得ているようだが、
明瞭な音と、ほんとうに評価できる音なのだろうか。
そして、もうひとつ思うことは、暗のところにこそ、
香り立つ何かがひそんでいるような、ということだ。
(その1)と(その2)で、
カルロ・マリア・ジュリーニの「展覧会の絵」とブラームスの第二交響曲について触れた。
どちらの曲も、アメリカのオーケストラとヨーロッパのオーケストラを指揮した録音がある。
昨晩、別項「素朴な音、素朴な組合せ(その26)」で、
アルカイックスマイルと四六時中口角をあげた表情の意識的につくっている人のことを書いた。
このことも、ここで書いたことに関係してくるように感じてもいる。
口角をつねに上げっ放しの表情こそ、陰翳なき音色といえる。