Date: 2月 26th, 2017
Cate: 使いこなし
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セッティングとチューニングの境界(その19)

ある人が思い切ってスピーカーを買い換えた。
かなり大型で高価なスピーカーシステムである。

買ってすぐに、彼は海外赴任が決った。
彼は、新品のそのスピーカーシステムを、友人に預けた。

ふたりともオーディオマニアで、
スピーカーを買った彼は、友人のオーディオへの取り組みに一目置いていた。
その友人のことを信頼していた。

だから新品のスピーカーの「鳴らし込み」を友人にまかせることにした。
その友人は私の知人であり、
この話を知人からも、スピーカーを買った本人からも何度か聞いている。

ふたりは友情の証しとして、ふたりの信頼関係のひとつの例として話してくれるわけだ。
それでも、私はこの話を、どこか気持悪さを感じながら聞いていた。

他の人はどうかは知らない。
いい話だな、と思いながら聞くのだろうか。

私は、この話を聞く数年前に、(その17)で引用した瀬川先生の文章を読んでいる。
もう一度、このことに関係するところを引用しておく。
     *
 スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
 下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
 ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
 男、これを聞き早速、わが妻を吉原(トルコ)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
 教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     *
スピーカーを買った本人であっても、
わざわざ「鳴らし込み」をしようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ、
と書かれている。

それなのに、いくら仲がよくて信頼できる友人であっても、
「鳴らし込み」をまかせてしまうというのは、下世話な例え話では、そういうことになる。

彼は海外赴任から戻ってきた。
友人による「鳴らし込み」に満足していた、と聞いている。
その友人も、自分の「鳴らし込み」に満足していた。

私には、どうしても気持悪いこととして感じられる行為に、
当人たちはうっとりしていた。

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