オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その2)
オーディオ雑誌における技術用語の乱れ、
それも基本的な技術用語の乱れは、オーディオが反知性主義へと向いつつあるのか──、
そんなことを感じてしまう。
そんな大袈裟な、と思われるかもしれないが、
技術用語の乱れは、ここ数年のことではない。
十年以上前から続いていることであり、
乱れが少なくなるのではなく、より多くなりつつある。
昨年暮のキュレーションサイトの問題では、
キュレーションサイトには編集長のいないから的なこともいわれていた。
ほんとうにそうだろうか。
オーディオ雑誌には、どの雑誌にも編集長はいる。
編集長のいないオーディオ雑誌はないにも関わらず、技術用語は乱れていく。
別項で「オーディオは科学だ」と声高に主張し、
ケーブルで音は変らない、と言い張る人たちのことを書いている。
以前は「オーディオの科学」というサイトについても書いた。
だからといって「オーディオは科学ではない」とはまったく考えていない。
オーディオは科学であり、科学がベースになっている。
オーディオには感性が重要だ、と多くの人がいう。
たしかにそうだが、オーディオと科学の関係を否定することは、誰にもできない。
感性を重視するあまり、反知性主義へと傾いていいわけがない。
それがどういう結果を招くことになるのか、
技術用語にいいかげんな編集者たちは想像すらしていないのだろう。
昨秋からKK適塾が開かれている。
川崎先生がコンシリエンスデザイン(Consilience Design)について、語られる。
以前もこのことは書いた。
コンシリエンスデザインについては、川崎先生のブログを読んでいただきたい。
コンシリエンスデザインについて説明される図こそ、
オーディオそのものである。