いま、そしてこれから語るべきこと(その10)
水俣病は熊本県水俣市で発生した公害病である。
私も熊本生れである。
水俣市と私の故郷である山鹿市は同じ熊本でも南と北でかなりの距離がある。
山鹿市は海に面していない。
それでも私が小学校のころ、テレビではひんぱんに水俣病のことがとりあげられていた。
小学生であった私には、身近な恐怖にも感じられた。
1971年にはゴジラ対ヘドラという映画が公開された。
公害が問題になっていた時代だった。
大都会から離れている田舎町では公害なんて……、と思えないことを、
水俣病はわからせてくれていた。
水俣の問題は熊本で生れ育ち、
あの時代、頻繁に報道される水俣病のことを見聞きしてきた者には忘れるわけにはいかない。
それでも熊本から離れ東京で暮すようになると、
時代もずいぶん経ったこともあり、それにテレビのない生活をおくってきたことも重なって、
水俣病・水俣に関することを目にすることが極端に減っていた。
そこにNHKのニュース番組での、坂本しのぶさんであった。
六床部屋のベッドの上で、イヤフォンをつけてテレビを見ていた。
消灯時間は夜九時。いわば黙認のかたちで、みな十時くらいまではカーテンを閉めテレビを見ていた。
私もそのひとりだった。
涙はこんなに出てくるものなのか、と思うほどだった。
個室だったら声を出していたであろう。
偽善者にもなれない私はテレビを見つめるだけである。
私には何もできない。涙を流すことだけである。
けれど、オーディオは何かができるのではないか、
オーディオにできることはあるはずだと思っていた。