いま、そしてこれから語るべきこと(その13)
原一男氏が12日の謝罪で、何を語ったのか。
原一男、謝罪で検索すれば、いくつかのニュースサイトが表示される。
謝罪のすべてが読めるわけではない。
あくまでも一部分だけがニュースになっている。
それを読む限りでは、やはり原一男氏にあるのは無情だ、と思った。
無情があるという言い方も変とは思いつつも、やはりそう思った。
ドキュメンタリー映画は、いわば記録である。
なぜ、ドキュメンタリー映画を撮るのか(残すのか)。
10年後、20年後、さらには50年後、100年後、
そのドキュメンタリー映画(記録)が、未来の人たちはどう観るのか(感じるのか、考えるのか)。
原一男氏に、そこまで想像力はあるのだろうか、と考えてしまう。
無情と書いたのは、想像力がない、という意味も含めてであり、
そこが非情と無情の決定的な違いと考えている。