いま、そしてこれから語るべきこと(その17)
20代のころは、映画館のはしごをごくあたりまえにやっていた。
日曜日は映画を三本観ることが多かった。
そのころはシネコンなんてものはなかった。
映画を数本観るということは、映画館をはしごすることであった。
いまはシネコンばかりになってきているから、
映画館をはしごすることなく、二本、三本の映画を観ようと思えば、
以前よりも楽になっている。
とはいうものの、30を超えたころから、映画を観る本数が減ったし、
一日に数本観ることもやらなくなっていた。
最後に映画館をはしごしたのは、もういつのことだろうか。三十年ほど経っているはずだ。
今日、ひさしぶりに映画を二本たてつづけに観てきた。
ここでとりあげている「MINAMATA」と007の二本を観てきた。
007「ノー・タイム・トゥ・ダイ」、最後で涙するとは予想していなかった。
「MINAMATA」は、007とはまったく違う映画だ。
スクリーンのサイズも違う。
けれど、意外にも多くの人が来ていた。
高齢者の方も多かった。
007は9時20分から、「MINAMATA」は13時25分と上映開始時間が違うため、
単純な比較はできないけれど、
007と同じくらいの人が、私が観た回にはいた、と思えるくらいだった。
忘れられていない。
そう思っていた。
「MINAMATA」も、最後のところで涙が出た。
映画を観ての涙であっても、同じではない。
「MINAMATA」の公開にあわせて、
ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集「MINAMATA」が復刻されている。