Date: 8月 8th, 2024
Cate: 「オーディオ」考
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「音は人なり」を、いまいちど考える(その23)

屋上屋を架したような音を出していた人と、
その音を聴いて私が思い出した人には、どんな共通するところがあるのか。

何もなければ、その人のことを思い出したりはしなかったはず。

まず浮かんだのは、低音の鳴り方だ。
誰かの音を聴いて、音は人なりと感じるところは、
時として低音だったりする。

低音の鳴り方(鳴らし方)に、その人となりの全てがあらわれる──、
とまではもちろん言わないけれど、
それでも低音からはかなり色濃くその人となりが聴こえてくる、と言っても、大きく外れはしない。

屋上屋を架した人と、その人の音を聴いて思い出した人の低音は、
よく似ていた。これを書きながら、確かにそうだとひとり頷くほどに似ている、
というよりと本質的に同じとまで言いたくなる。

この二人は、どうして、こういう低音を鳴らすのか、
こういう低音にしてしまうのか。

そのことを考えていると、
別項のテーマである「複雑な幼稚性」に思い至る。

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