オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、でいること)
オーディオマニアとしてわがままでいることを
つまりやりたいことを思い切りやること、やれることだとすれば、
そのためにはやりたくないことも思い切りやらなければならない必要も生じてくる。
オーディオはさまざまなことが要求される。
もっとも現実的な問題としてお金が、かなりの額、必要となってくる。
そのためには、それだけ稼がなければならない。
仕事が、必ずしも、やりたくないことではないにしても、無一文では始まらない。
仕事は、オーディオとは直接関わりのないことだけれども、
オーディオと直接関係のあることでも、やりたくないことを思い切りやることが求められることがある。
オーディオを教えてくれる学校なんてものはない。
だからオーディオマニアは、原則として独学である。
仲間からアイディアやノウハウをもらうことはときにはあっても、独学であることにはかわりはない。
しかもオーディオが要求するものは深く広い。
人には得手と不得手がある。
オーディオマニアにも、オーディオにおける得手と不得手があるはず。
独学では、つい楽なほうに流れてしまいがちになる。
不得手なことは、勉強したくない。
オーディオを仕事としているわけでもないし、趣味として楽しんでいるのだから、
なにも好き好んで不得手を克服することもなかろう──、そういおうと思えばいってしまえる。
それを、オーディオにおけるわがまま、とは私は考えていない。
わがままは、オーディオにおいてやりたいことを思い切りやること、だと考えている。
だから、得手なことだけではなく不得手なことについても独学で克服する必要がある。
わがままの純度を高めていくということは、そういうことでもあると思う。