Archive for 10月, 2018

Date: 10月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ベートーヴェン観)

昨晩、そういえば──、と思い出した。
菅野先生は指揮者ピエール・モントゥーがお好きだった。

ピエール・モントゥーって、誰? という人も、いまではいるだろう。
モントゥーは、1964年に亡くなっている。

クラシックはさほど関心のない人でも、フルトヴェングラー、カラヤン、
ワルター、バーンスタインの名前は知っていようが、
モントゥーの名前を知っていて、録音を聴いたことがある、という人は、
いまやほんとうに少ない、と思う。

モントゥーはフランス人だった。
フランス人のクラシック演奏家といえば、イヴ・ナットもお好きだった。

イヴ・ナットのベートーヴェンのピアノソナタ全集は、菅野先生の愛聴盤でもある。
イヴ・ナットに師事していたフランスのピアニスト、ジャン=ベルナール・ポミエの全集も、
ナット以来の愛聴盤となった、とステレオサウンド別冊「音の世紀」で書かれていた。
     *
ドイツ系の演奏も嫌いではないが、ベートーヴェンの音楽に共感するフランス系の演奏家とのケミカライズが好きなのだ。ベートーヴェンの音楽に内在する美しさが浮き彫りになり、重厚な構成感に、流麗さと爽快さが加わる魅力とでも言えばよいか?
     *
ポミエについて書かれていることは、そのままイヴ・ナットにも、
ピエール・モントゥーの演奏にもあてはまる。

「音の世紀」では、カルロス・クライバーのベートーヴェンの交響曲第五番と七番も、
21世紀に残したディスクの一枚として選ばれている。

クライバーはフランス系ではないが、クライバーのベートーヴェンも、
重厚な構成感に、流麗さと爽快さが加わる魅力を有している。

イヴ・ナットをお好きだったことは、かなり以前から知っていた。
それでも、ナットの素晴らしさをすんなり理解できるようになったのは、
私の場合、40になっていた。

後期のソナタも素晴らしかったけれど、それ以上に私の耳には初期のソナタが魅力的だった。

いまになって、菅野先生と、
ナットのこと、モントゥーのこと、ポミエのことを話しておけばよかった──、とおもうばかりだ。

Date: 10月 19th, 2018
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その8)

喫茶茶会記のスピーカーを、毎月第一水曜日に鳴らすようになって、
今年の12月で丸三年になる。

ずいぶん音は変ってきた。
喫茶茶会記の店主、福地さんは、私が鳴らすアルテックの音を、
以前からモニター的といってくれる。

そうか、そういうふうな受け止め方もあるのか、と思って、
福地さんの感想を聞いていた。
先日も、やはり同じ感想をいわれた。

福地さんの中にあるアルテックの鳴り方の印象からすると、
私が鳴らしている音は、そう聴こえるのかもしれない、と思いつつも、
私自身がおもうモニター的な音には、まだまだ遠い、と思っているし、
またモニター的に鳴らそう、とはまったく考えていない。

だから、なぜ、そんなふうに受け止め方もあるのか、と、ここでも考える。

こんなところかもしれない、と思い出すのは、やはり五味先生の文章だったりする。
     *
「絵かきは、自分の絵の機嫌をとって描いてることがわかるようでないと、腕の達者な職人だけでは、画家とは言えない。ヴァン・ゴッホに欠けているのはそういう処で、彼の絵をすばらしいという人がいるが、彼の絵には、恋人を愛撫する具合に絵筆で可愛がられた跡がない、それが私には不満である」
 とルノアールはゴッホを評したことがあるが、オーディオ愛好家にも同じことは言えるように思う。
 たえずアンプやスピーカーの機嫌をとりながら、ぼくらはレコードを聴く。相手は器械だから、いつも同じ音で鳴ると割り切れる人はおそらく、ハイ・ファイ・マニアではないだろう。時に、スピーカーは、ずいぶん機嫌のわるい鳴り方をする日が現実に、あるものだ。湿気の加減や、電圧のせいであったり、こちらの耳の状態(睡眠不足など)でそう聴こえるのだと他人は言うが、断じて違う。やはり機嫌のわるい日がある。そんな時、われわれは再生装置の機嫌をとって鳴らさねばならない。さもないと結局は自分の経済的貧しさに突き当らねばならない。
(「シューベルト《幻想曲》作品159」より)
     *
ゴッホの絵には《恋人を愛撫する具合に絵筆で可愛がられた跡がない》という指摘は、
音もそのとおりであろう。

audio wednesdayで鳴らしているときに、こちらの意識としては、
恋人を愛撫するような気持は、ほぼない。

アンプやスピーカーの機嫌をとらない、ということではないが、
恋人を愛撫するような鳴らし方は、まずしない。

そこが、聴く人によっては、モニター的と感じられるのかも……、
そんなことをおもっている。

Date: 10月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(音における肉体の復活・その2)

どちらかが正しくて、もう片方は間違っている、おかしい──、
そう思い込めれば、こんなにながく、ひとつのことについて考えてくることはない。

五味先生が正しい──、そうおもうのはいい。
けれど、菅野先生が間違っている──、とおもうのは楽である。

その反対でもいい。
五味先生が間違っている──、そうおもえて、
菅野先生が正しい──、そうすれば、簡単に答(のようなもの)は出てくる。

けれど、私は、どちらも正しい、とおもっている。
だからこそ、ずっと考えてきていて、いまこうやって書いている。

不思議と、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている、とおもったことは一度もない。
二人とも正しい。

それが答であり、問いである。

Date: 10月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(音における肉体の復活・その1)

「五味オーディオ教室」の冒頭に出てくる「肉体」とはどういうことなのか。
音には音像がある。
音像が肉体なのか、というと、五味先生がいわれるところの肉体はそうではないことは、
「五味オーディオ教室」をくり返し読んでいるから、わかっている。

別項「評論家は何も生み出さないのか(その6)」で、向坂正久氏の文章を引用した。
もう一度、引用しておく。
     *
 評論とはくり返し書くが、文学の領域の仕事である。そこでは筆者の主観が、あらゆる客観的な事実に勝るのである。たとえ資料が乏しくとも、あるいはそれが不確かでであっても、その筆者のいおうとすることによって、それは枝葉末節にすぎない。ほんとうの幹は筆者の肉体だからである。
 ここでもうひとつの例をあげよう。名高い小林秀雄の「モオツァルト」には今日偽作と断定されている手紙の引用がある。研究論文ならば、すでにそのことで、この評論の価値は減少しよう。しかし、このエッセイの価値はそんなことで微動だにしないのだ。その手紙は小林にとって、ひとつの動機になったにすぎないのだから、そこから織り出していく彼自身の芸術論に価値があるのであって、引用そのものは極端にいえば誰の手紙でも構わないとさえいえるのである。
 論文と評論の差はここにある。そしてまた音楽好きの読者が、ほんとうに求めているのは客観的なものではなくて、より主観的なものであり、その主観を表現し得る技術を磨くことこそ、評論家たちが骨身を削って体得しなければならないことなのである。音楽のジャーナリズムはそのことを忘れているだけでなく、当の評論家たちさえ、そのことに悩むことが少なすぎるのである。
     *
ステレオサウンド 8号に載っている「音楽評論とは何か」からの一節だ。
ここにも「肉体」が出てくる。《ほんとうの幹は筆者の肉体だから》とある。

菅野先生がAXISのMY VIEW OF DESIGNで語られることも、本質的には同じことだ。
     *
菅野 人間というものは自分以上でも自分以下の仕事もできないものです。自分以上の仕事は無理で、以下の仕事は絶対にしてはいけません。したがって優れたモノを作ろうとするにはまず自分自身を改造していかなくてはならない。そしてそれは一朝一夕には完成しないものです。学習することももちろん大切なことで、知識を増し磨いていく努力も大切ですが、頭でっかちでデザインを云々していくだけでは、人が納得できるだけの感動的なものは生み出せないのではないかと思います。もの作りの芯になるところでは、自分が本音として欲しいものを作るという気持ちが不可欠ではないでしようか。最近のデザインを取り巻く様子を見ていると、どうも知識面ばかりが大きくなりすぎて、受け取るほうも頭で受け取っており心では受け取っていない、そんな気がしてなりません。ですからこのあたりで本書をもう一度振り返ってみるというか、デザイナーの方々には本音で欲しいと思えたり美しいと思えるモノ作りを追求していただき、私たちも素直に楽しめる、その関係がよいのではないかと思います。
     *
ここに出てくる《もの作りの芯となるところ》、
それは《ほんとうの幹》でもあり、
それこそが「肉体」につながっている。

Date: 10月 18th, 2018
Cate: ディスク/ブック

AXIS THE COVER STORIES──interviews with 115 designers

11月1日に、AXIS THE COVER STORIES──interviews with 115 designersが出る。

デザイン誌AXISの表紙を飾ったデザイナーのインタヴュー記事を、
20年分まとめたものである。

2002年7月1日に発売になったAXISの表紙は、川崎先生だった。
三日後が、菅野先生と川崎先生の対談だった。

AXIS THE COVER STORIES──interviews with 115 designersにも、
川崎先生のインタヴュー記事は載っている。

川崎先生が表紙のAXISは、発売日に買った。
そして対談の場にもっていき、川崎先生にサインしてもらった。

AXISには、その十年くらい前、
MY VIEW OF DESIGNというインタヴュー記事に菅野先生が登場されている。

こんなことを語られている。
     *
菅野 各国の状況はまちまちでしょうが、音楽の楽しみというのは非常に個人的なものですし、個々によってかなり複雑な要素が影響してくるものです。ジェネレーションによっても異なる上に地方性もありますし、傾向の差異として一つの言葉にまとめてしまうことはかなり危険なことだと思いますね。ですからここでは音楽との接し万についてを話しましょう。私は音楽を聴くということは演奏者や作曲家と対話するということになるのではないかと思っています。つまりその人間とお喋りをする、その人聞から様々なことを教わるということです。演奏ということはその人物のしぐさの微妙な部分やちょっとした癖のかたまりとして存在するわけですから、個性的な演奏であるほど人間的なものであり、そうした人間性の強く表われている演奏はやはりいいものです。最近は電子回路にデータをインプットして正確無比な演奏を行なうという音楽も開発されていますね。私も仕事でテクノロジカルな楽器やコンピュータ・ミュージックに関する取材を受けることもあります。「正確な電子音楽にはあまり興味がない」と言うと皆さんに驚かれてしまうのですが、やはり音楽は人間が介在している部分がおもしろさではないでしょうか。私は音楽とは元来、神や自然などのギフトとして存在しているものだと思っています。それらの神技を、神の子である人間が今、行なっているわけですよね。さらに人の知恵によつて録音したり再生しようとすることがオーディオによる試みであるわけですから、人間の知恵が神技にどこまで迫れるかというところは興味深いものではありますけれど。
     *
だからこその肉体のある音、肉体の感じられる音なのだろう。

Date: 10月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その7)

肉体のない音、肉体の感じられる音。
このことについては、「五味オーディオ教室」を読んだ時から、
つまりオーディオに興味をもったときからの、大きな課題にようになっている。

はっきりとした答は、いまとなっては誰にもわからない。
そのままにしておけばいい、と思えればいいのだけれど、そうもいかない。

こうやってオーディオ、音楽について毎日書いていると、
このことは意識するしないにかかわらず、ずっとどこかについてまわっている。

もしかすると、こういうことではないのか。
そんな仮説のようなことをいくつか考えた。
それでも、すっきりとしない。

私が最初に買ったステレオサウンドは、
41号と別冊の「コンポーネントステレオの世界 ’77」とすでに書いている。

どちらも1976年12月に出ている。
同じころに、音楽之友社から「ステレオのすべて ’77」も、売られていた。
ステレオサウンドのとなりに置いてあった。

中学二年だった私は、「ステレオのすべて ’77」も買いたかったが、
1,600円の41号と「コンポーネントステレオの世界 ’77」、
ごれだけ買ったら、もう余裕はまたくなくなっていた。

「ステレオのすべて ’77」は1,800円だった。
41号と「ステレオのすべて ’77」という組合せも考えた。
「ステレオのすべて ’77」と「コンポーネントステレオの世界 ’77」の200円の差は、
そのころの中学二年の私には、小さくなかった。

その「ステレオのすべて ’77」を、Kさんから譲ってもらったのは数年前。
もうボロボロになっていることと、もう一冊もっているから、ということで譲ってくれた。

「ステレオのすべて ’77」を読んでいて、そういうことだったったのか、
と気づかせてくれるキーワードがあった。

Date: 10月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その6)

ステレオサウンドで働くようになってから、ずっと菅野先生に、
直接、五味先生が書かれたことについて訊きたかった。

とはいえ、なんとなくストレートに切り出すのは気が引けていた。
何かの試聴のときに、ある話題が出た。
この時ならば、訊ける、と思ったので、ストレートに菅野先生に疑問をぶつけてみた。

あまり多くは語られなかったけれど、
「反論したかった」とまずいわれた。

でも、五味先生のステレオサウンドでの精神的支柱といえる存在、
菅野先生のとの年齢差、そういうこともあって、反論しにくかった……、
そんなようなことをいわれた。

肉体の感じられる音を目指していたのに、そこを否定されてしまった、ともいわれた。
そうだろう、と思ってきいてきた。

五味先生が聴かれたのは、菅野先生が37歳のころの音。
私が菅野先生の音を初めて聴いたとき、菅野先生は50をこえられていた。

私は、そのころの菅野先生の音を聴いていない。
だからはっきりしたことは何もいえないのだが、
それでも、菅野先生が肉体を感じさせる音を目指されていたのは、
書かれていたものからも感じていた。

ならば、なぜ五味先生は、菅野先生が目指されている音と正反対のことを書かれたのか。
五味先生は1980年に亡くなられているから、五味先生に訊ねることはできない。

菅野先生にも、五味先生が、ああ書かれたのか、その理由はわからない、と。
わからないから、あるメーカーの人のように、
菅野先生がパイプだったのが、五味先生は気にくわなかった──、
そんなことがいわれることにつながっているのだろう。

けれど、オーディオ巡礼を読んでいた人ならば、
五味先生がそういう人でないことは感じとっているはずだし、わかっている。

疑問は残ったままだった。

Date: 10月 17th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その5)

「五味オーディオ教室」のしばらくあとにステレオサウンドと出合った。
41号と別冊の「コンポーネントステレオの世界 ’77」である。

この二冊のステレオサウンドで、菅野先生の書かれたものを初めて読む。
他の方の書かれたものもそうだった。

それから42号、43号……、と毎号ステレオサウンドを買っては、
文字通りじっくり読んでいた。

鞄のなかには教科書といっしょにステレオサウンドを必ず一冊いれて学校に通っていた。
休み時間には読んでいた。
学校で読み、家に帰ってからも読み、という学生時代だった。

それだけの読み応えがあった。
これだけ読んでいれば、それぞれのオーディオ評論家の音の好みは、
自然とわかってくる。

「五味オーディオ教室」から二年近く経っていただろうか、
菅野先生の音が、肉体の感じられない、肉体の臭みのない音とは思えない、と。

私がステレオサウンドを読みはじめたのは、1976年12月から。
五味先生が菅野先生のリスニングルームを訪問されてから七年ほど経っている。

七年前と同じ音を鳴らされているわけではない。
としても、整合性がここにはない。
どういうことなのだろうか、と思い始めていた。

ステレオサウンドで働くようになったのは、1982年から。
ここでも二年くらい経ったころに、あるメーカーの人と、この話になった。

その人は、こういっていた。
「五味さんの嫉妬から」だと。

そのころの菅野先生はパイプというイメージがあった。
五味先生は1921年生れ。菅野先生よりも11上である。

その人は、若造(菅野先生のこと)がパイプなぞ吸っている──、
そこが五味さんは気にくわなかったから、あんなことを書いたんだよ、と。

そんなふうに解釈する人もいるんだ、と思いながら聞いていた。
反論する気も起らなかった。

Date: 10月 16th, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(続・モチベーションの維持)

毎日書く、と自分で決めた。
書かなかったからといって、誰かに怒られたりするわけではない。
罰金を払うわけでもない。

一年ほど前に、毎日書くのにモチベーションは必要ない、と書いた。
そのとおりであって、書くのを億劫に感じることはあっても、
モチベーションを必要としているわけではない。

それでも、こういう日も書くのか、と思ったことがある。
2011年3月11日と2018年10月15日の二回である。

まったく関係のないことを書くくらいならば(その方が楽であっても)、
書かない方がいい、とおもっている。

つらいから、悲しいから、とか、そんなことを自分への言い訳として、
何も書かない、という選択をする者もいるだろうが、
そんな情けない選択をするくらいならば、もう書かない方がいい。

というより、もう書くのをやめるべきだ(と私はおもう)。

菅野先生の訃報をきいて、菅野先生からいわれたことを思い出していた。
「宮﨑、頼むぞ、オーディオ界を良くしてくれ」、
そういわれて十年ほどが経つ。

そのことで何ひとつ報告できることはなかった。

Date: 10月 16th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その4)

井上卓也、岩崎千明、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、
私が読みはじめたころのステレオサウンドのメインは、この人だった。

七人のオーディオ評論家。
私は、菅野先生の名前を最初に知った。
「五味オーディオ教室」で知った。
     *
「オーディオすなわち〝音〟であり、〝音〟をよくすることによって、よりよい〝音楽〟がえられる」——この一見自明である理が、はたしてほんとうに自明のことであるのかどうか、まずその疑問から話を始めたい。
 以前、評論家の菅野沖彦氏を訪れ、その装置を聴いたときのことである。そこで鳴っているのはモニターの鋭敏な聴覚がたえず検討しつづける音であって、音楽ではない。音楽の情緒をむしろ拒否した、楽器の明確な響き、バランス、調和といったものだけを微視的に聴き分ける、そういう態度に適合する音であった。むろん、各楽器が明確な音色で、バランスよく、ハーモニーを醸すなら当然、そこに音楽的情緒とよぶべきものはうまれるはず、と人は言うだろう。
 だが理屈はそうでも、聴いている私の耳には、各楽器はそのエッセンスだけを鳴らして、音楽を響かせようとはしていない、そんなふうにきこえる。たとえて言えば、ステージがないのである。演奏会へ行ったとき、われわれはステージに並ぶ各楽器の響かせる音を聴くので、その音は当然、会場のムードの中できこえてくる。いい演奏者ほど、音そのもののほかに独特のムードを聴かせる。それが演奏である。
 ところがモニターは、楽器が鳴れば当然演奏者のキャラクターはその音ににじんでいるという、まことに理論的に正しい立場で音を捉えるばかりだ。——結果、演奏者の肉体、フィーリングともいうべきものは消え、楽器そのものが勝手に音を出すような面妖な印象をぼくらに与えかねない。つまりメロディはきこえてくるのにステージがない。
 電気で音をとらえ、ふたたび電気を音にして鳴らすなら、厳密には肉体の介在する余地はない。ステージが消えて当然である。しかしそういう電気エネルギーを、スピーカーの紙の振動で音にして聴き馴れたわれわれは、音に肉体の復活を錯覚できる。少なくともステージ上の演奏者を虚像としてではなく、実像として想像できる。これがレコードで音楽を聴くという行為だろう。かんたんにいうなら、そして会場の雰囲気を音そのものと同時に再現しやすい装置ほど、それは、いい再生装置ということになる。
 レコード音楽を家庭で聴くとき、音の歪ない再生を追及するあまり、しばしば無機的な音しかきこえないのは、この肉体のフィーリングを忘れるからなので、少なくとも私は、そういうステージを持たぬ音をいいとは思わない。そしておもしろいことに、肉体が消えてゆくほど装置そのものはハイ・ファイ的に、つまりいい装置のように思えてくる。

 この危険な倒錯を、どこでくい止めるかで、音楽愛好家と音キチの区別はつくと私は思ってきた。オーディオの世界に足を踏み入れたものなら一度は持ってみたいと思うスピーカー、ジム・ランシング(JBL)のトーン・クォリティを、以前から、私がしりぞけてきたのはこの理由からである。ジムランが肉体を聴かせてくれたためしはない。むろん、人それぞれに好みがあり、なまじ肉体の臭みのない、純粋な音だけを聴きたいと望む人がいて不思議はない。そしてそういう、純粋に音だけと取組まねばならぬ職業の一人が録音家だ。この意味で菅野さんがジムランを聴くのは当然で、むしろ賢明だと思う。
 しかしあくまでわれわれシロウトは、無機的な音ではなく、音楽を聴くことを望むし、挫折感の慰藉であれ、愛の喪失もしくはその謳歌であれ、憎悪であれ、神への志向であれ、とにかく、人生にかかわるところで音楽を聴く人に、無機的ジムランを私は推称しない。むろんこれは私個人の見解である。
     *
ステレオサウンド 16号での「オーディオ巡礼」でのことである。
1970年のことだ。

このときの「オーディオ巡礼」で、瀬川先生のところにも訪問されている。
瀬川先生も、菅野先生のスピーカーとほぼ同じ構成であったころだ。

瀬川先生のところでは、肉体が消えてゆく、ということはなかった。

このことを菅野先生に訊いたことがある。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その3)

1月14日。
杉並区の中央図書館の視聴覚ホールにて、
オクタヴィア・レコードの江崎友淑氏による講演会「菅野録音の神髄」が行われた。

十年ぶりに、この日、菅野先生と会えた。
短い時間ではあったが、話もできた。

この時、「これが最後かも」という予感があった。
そうなってしまったけれど、人は必ず死ぬ。

世の中に「絶対はない」といわれているけれど、
死は絶対である。

50をすぎたころから、友人たちにもよくいうようになった、
「50過ぎたら、いつ死んでも不思議じゃない」と。

そう思っている私は、今日、菅野先生の訃報をきいても、
頭の中がまっしろになったりはしなかった。
冷静に受け止めていた。

こうやって菅野先生のことを書き始めた。
だからといって感傷的になっていたわけではなかった。

それでも(その2)に、川崎先生のコメントがfacebookであった。
読んでいて、涙が出てきた。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その2)

同じころだったか、
菅野先生のさみしそうな表情を見ている。

みんな、いなくなった……、
そんなことをいわれての表情だった。

みんなとは、まさしくみんなである。
オーディオの仲間でありライバルでもあった人たち、
同世代の人たち、
1977年に岩崎先生が、1981年に瀬川先生が……、
そうやって菅野先生のまわりから、みんながいなくなった。

若い人たちがぼくの話をきいてくれるのは嬉しい、といわれていたけれど、
みんないなくなってしまったさみしさは、どうにかなるものではない。

最後まで生きていた者があじわうさみしさは、
菅野先生にあった(とおもっている)。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その1)

不謹慎なヤツとか薄情なヤツとかいわれそうだが、
10月になると、ここ数年、もしかすると……、とおもっていた。

もう十年以上前になる。
菅野先生と話していて、グレン・グールドのことが話題になった。
そのとき、菅野先生の誕生日とグールドの誕生日が近いことを言った。

二人とも1932年9月生れで、
グールドは25日、菅野先生は27日である。

グールドはトロント、菅野先生は東京。
時差はけっこうある。

グールドが何時ごろなのかはしらないが、
もしグールドが26日になる寸前に生れていて、
菅野先生が27日になったと同時ぐらいだったら、ほぼ同時ぐらいではないか、
そんなことを菅野先生に言った。

菅野先生も、グールドには、他の演奏家(クラシック、ジャズ関係なく)には感じない、
強いつながり、ひじょうに近いものを感じている、といわれた。

だから10月は気になっていた。
グレン・グールドは10月4日に亡くなっている。

誕生日が近いだけじゃないか──、
それだけのことと思う人はそれでもいい。

でも、私はここ数年、10月の第一週あたりは、特に気になっていた。
今年も何もなく10月の第一週は過ぎた。

少しだけ、ほっとしていた。
けれど、やはり10月だった……。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと

菅野沖彦(1932年9月27日 – 2018年10月13日)

Date: 10月 14th, 2018
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その23)

CD以前の時代、アナログディスク再生関連のアクセサリーは、
いろんなモノがあった。
実物を見ることがなかったモノも少なくない。

オルトフォンからCAP210というアクセサリーが出ていた。
1970年代後半のころである。
価格は1,300円。

HI-FI STEREO GUIDEで見て知っているくらいだ。
HI-FI STEREO GUIDEには、フレケンシー・コレクターとなっていた。

写真はモノクロで、大きくないものが一枚だけ。
オルトフォンのVM型カートリッジのVMS型MK IIシリーズ、M20 Superシリーズ専用で、
低容量のケーブルを使っている場合の平均的容量190pFを、
400pFまで補正する、と書いてある。

型番のCAP210とは、キャパシター(capacitor)が210pFということなのは、すぐにわかった。
けれど、写真を見るだけでは、どうやって使うものなの? となった。

CAP210の形状は長方形で、長辺にそれぞれ二つずつの切り欠きがあるだけだ。
理屈からいえば、CAP210の中身は210pFのコンデンサーであり、
これがPHONO入力に対して並列に入ることで、負荷容量を増やすこともわかる。

それでも、どう接続するのか、がすぐには理解できなかった。
ひとつには、CAP210の大きさがわからなかったこともある。

結局、一年くらい経ってから、あっ、と気づいた。
CAP210はオルトフォンのVM型カートリッジの出力ピンのところにはめ込む。

気がつけば、なんだぁー、と思うようなことだが、
気がついたときのすっきり感は、いまも憶えているほどである。