菅野沖彦氏のこと(その6)
ステレオサウンドで働くようになってから、ずっと菅野先生に、
直接、五味先生が書かれたことについて訊きたかった。
とはいえ、なんとなくストレートに切り出すのは気が引けていた。
何かの試聴のときに、ある話題が出た。
この時ならば、訊ける、と思ったので、ストレートに菅野先生に疑問をぶつけてみた。
あまり多くは語られなかったけれど、
「反論したかった」とまずいわれた。
でも、五味先生のステレオサウンドでの精神的支柱といえる存在、
菅野先生のとの年齢差、そういうこともあって、反論しにくかった……、
そんなようなことをいわれた。
肉体の感じられる音を目指していたのに、そこを否定されてしまった、ともいわれた。
そうだろう、と思ってきいてきた。
五味先生が聴かれたのは、菅野先生が37歳のころの音。
私が菅野先生の音を初めて聴いたとき、菅野先生は50をこえられていた。
私は、そのころの菅野先生の音を聴いていない。
だからはっきりしたことは何もいえないのだが、
それでも、菅野先生が肉体を感じさせる音を目指されていたのは、
書かれていたものからも感じていた。
ならば、なぜ五味先生は、菅野先生が目指されている音と正反対のことを書かれたのか。
五味先生は1980年に亡くなられているから、五味先生に訊ねることはできない。
菅野先生にも、五味先生が、ああ書かれたのか、その理由はわからない、と。
わからないから、あるメーカーの人のように、
菅野先生がパイプだったのが、五味先生は気にくわなかった──、
そんなことがいわれることにつながっているのだろう。
けれど、オーディオ巡礼を読んでいた人ならば、
五味先生がそういう人でないことは感じとっているはずだし、わかっている。
疑問は残ったままだった。