菅野沖彦氏のこと(その5)
「五味オーディオ教室」のしばらくあとにステレオサウンドと出合った。
41号と別冊の「コンポーネントステレオの世界 ’77」である。
この二冊のステレオサウンドで、菅野先生の書かれたものを初めて読む。
他の方の書かれたものもそうだった。
それから42号、43号……、と毎号ステレオサウンドを買っては、
文字通りじっくり読んでいた。
鞄のなかには教科書といっしょにステレオサウンドを必ず一冊いれて学校に通っていた。
休み時間には読んでいた。
学校で読み、家に帰ってからも読み、という学生時代だった。
それだけの読み応えがあった。
これだけ読んでいれば、それぞれのオーディオ評論家の音の好みは、
自然とわかってくる。
「五味オーディオ教室」から二年近く経っていただろうか、
菅野先生の音が、肉体の感じられない、肉体の臭みのない音とは思えない、と。
私がステレオサウンドを読みはじめたのは、1976年12月から。
五味先生が菅野先生のリスニングルームを訪問されてから七年ほど経っている。
七年前と同じ音を鳴らされているわけではない。
としても、整合性がここにはない。
どういうことなのだろうか、と思い始めていた。
ステレオサウンドで働くようになったのは、1982年から。
ここでも二年くらい経ったころに、あるメーカーの人と、この話になった。
その人は、こういっていた。
「五味さんの嫉妬から」だと。
そのころの菅野先生はパイプというイメージがあった。
五味先生は1921年生れ。菅野先生よりも11上である。
その人は、若造(菅野先生のこと)がパイプなぞ吸っている──、
そこが五味さんは気にくわなかったから、あんなことを書いたんだよ、と。
そんなふうに解釈する人もいるんだ、と思いながら聞いていた。
反論する気も起らなかった。