菅野沖彦氏のこと(その7)
肉体のない音、肉体の感じられる音。
このことについては、「五味オーディオ教室」を読んだ時から、
つまりオーディオに興味をもったときからの、大きな課題にようになっている。
はっきりとした答は、いまとなっては誰にもわからない。
そのままにしておけばいい、と思えればいいのだけれど、そうもいかない。
こうやってオーディオ、音楽について毎日書いていると、
このことは意識するしないにかかわらず、ずっとどこかについてまわっている。
もしかすると、こういうことではないのか。
そんな仮説のようなことをいくつか考えた。
それでも、すっきりとしない。
私が最初に買ったステレオサウンドは、
41号と別冊の「コンポーネントステレオの世界 ’77」とすでに書いている。
どちらも1976年12月に出ている。
同じころに、音楽之友社から「ステレオのすべて ’77」も、売られていた。
ステレオサウンドのとなりに置いてあった。
中学二年だった私は、「ステレオのすべて ’77」も買いたかったが、
1,600円の41号と「コンポーネントステレオの世界 ’77」、
ごれだけ買ったら、もう余裕はまたくなくなっていた。
「ステレオのすべて ’77」は1,800円だった。
41号と「ステレオのすべて ’77」という組合せも考えた。
「ステレオのすべて ’77」と「コンポーネントステレオの世界 ’77」の200円の差は、
そのころの中学二年の私には、小さくなかった。
その「ステレオのすべて ’77」を、Kさんから譲ってもらったのは数年前。
もうボロボロになっていることと、もう一冊もっているから、ということで譲ってくれた。
「ステレオのすべて ’77」を読んでいて、そういうことだったったのか、
と気づかせてくれるキーワードがあった。