Date: 10月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦
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菅野沖彦氏のこと(音における肉体の復活・その2)

どちらかが正しくて、もう片方は間違っている、おかしい──、
そう思い込めれば、こんなにながく、ひとつのことについて考えてくることはない。

五味先生が正しい──、そうおもうのはいい。
けれど、菅野先生が間違っている──、とおもうのは楽である。

その反対でもいい。
五味先生が間違っている──、そうおもえて、
菅野先生が正しい──、そうすれば、簡単に答(のようなもの)は出てくる。

けれど、私は、どちらも正しい、とおもっている。
だからこそ、ずっと考えてきていて、いまこうやって書いている。

不思議と、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている、とおもったことは一度もない。
二人とも正しい。

それが答であり、問いである。

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