菅野沖彦氏のこと(音における肉体の復活・その2)
どちらかが正しくて、もう片方は間違っている、おかしい──、
そう思い込めれば、こんなにながく、ひとつのことについて考えてくることはない。
五味先生が正しい──、そうおもうのはいい。
けれど、菅野先生が間違っている──、とおもうのは楽である。
その反対でもいい。
五味先生が間違っている──、そうおもえて、
菅野先生が正しい──、そうすれば、簡単に答(のようなもの)は出てくる。
けれど、私は、どちらも正しい、とおもっている。
だからこそ、ずっと考えてきていて、いまこうやって書いている。
不思議と、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている、とおもったことは一度もない。
二人とも正しい。
それが答であり、問いである。