Archive for category テーマ

Date: 6月 3rd, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その13)

長岡鉄男氏は、さらにこんなことを書かれている。
     *
 たとえばある辺境の販売店では店主がその地域のオーディオ・マニアを牛耳っていた。マニアには店主推奨の海外製品を押しつける。他の製品を買いたいというと、ウチへはくるなと追い出される。そんな店でメーカー後援のセミナーを開くことになった。講師は国産品第一主義の僕である。だから店内に一歩入るといような雰囲気である。店主は敵愾心むき出し、恐ろしく挑戦的である。プレーヤー、アンプは国産メーカー品でもいいが、スピーカーは店主推奨の海外製品を使えという。うまく鳴ったらおなぐさみ、お手並みを拝見しましょうという。集まった客も店主の息のかかった超偏向マニアばかりだから普通ではない。敵意というほどではないにしても目付きは冷たい。いやなところへきたなと思ったがなんとか音は出した。僕の持っていったソフト(もちろんAD)が優秀だったのでお客さんもびっくり、最終的には勝利の実感が持てた。それにしてもこんなくだらない仕事は早くやめるべきだと痛感、17年ぐらい前にセミナー拒否宣言を出して、以後は純メーカー主催、デパート主催、出版社主催、新聞社主催のセミナーを時々引き受けるだけにしている。
     *
「長岡鉄男の日本オーディオ史 1950〜82」は、1993年に出ているから、
17年前は1976年ごろとなる。

《ある辺境の販売店》とは、いわゆるオーディオ専門店なのだろう。
オーディオ専門店すべてが、こういう店だ、とはいわないし思っていない。
けれど、こういう店が意外にも少なくないことも、いろいろと聞いている。

十年以上前になるが、菅野先生がいわれたことがある。
「日本のオーディオがひどくなった原因の一つは、オーディオ店にある」と。

菅野先生はステレオサウンドのベストオーディオファイル訪問の取材で、
全国をまわられているし、オーディオ店にも寄られている。

ベストオーディオファイルに登場する人は、
オーディオ店からの紹介ということもあったからだ。
それに、オーディオ店主催のセミナー、イベントにも行かれている。

そういう経験から、いわれたことである。

Date: 6月 3rd, 2019
Cate: 広告

ホーン今昔物語(It’s JBL・その5)

その1)を書くきっかけとなった人から、
今日、別のムックのことで,どう思うか、と訊かれた。

いま書店に並んでいる「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」のことである。

CDジャーナルのムックであり、ファイナル・ブランドのイヤフォンE1000が附録でついてくる。
ムックといっても、ページ数は30ページちょっとで、
半分はE1000の記事(といちおういっておく)。

ようするにメインはE1000であり、本の部分こそ附録ともいえる。
E1000の価格は二千数百円である。
「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」は税抜きで1,944円だから、
E1000が欲しい人にとっては、数百円ではあるが、最も安く買えることになる。

この「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」は、何なのか。
E1000が附録としてついてくるムックということになっているが、
実質は、E1000についての読み物がついたE1000そのものである。

オーディオ店や量販店などで購入するよりも、安く買える。
読み応えはないとはいえ、30ページほどの本がおまけでついてくる。

コスト的に考えれば、この「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」が、
E1000単体よりもかかっていることになる。
ムックの制作費は、ファイナル側も負担しているのかもしれない。

こんなパッケージで売る理由は、こうすることで書店で売れるからだろう、と思う。
いま書店の数が減ってきている、といわているが、
それでもオーディオ店や量販店よりも書店のほうが多いはずだ。

私がいま住んでいるところで、E1000を取り扱っている店は、
「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」を売っている書店ということになる。

そう見ていくと、
このムック(E1000を含めて)、ファイナルというブランドの広告そのものといえよう。

Date: 6月 2nd, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、SACDのこと

SACDの登場は1999年5月。
20年が経ったわけで、ステレオサウンド 211号は6月発売だから、
特集はSACDなのかな、とは予想していた。

実際、211号の特集は「深化するSACD」とある。

進化ではなく、深化である。
そう、進化とは書けない。

20年経っていても、進化しているわけではない。
けれど、深化なのだろうか、とも思う。

「化」がつくのにも関らず……、と皮肉めいたことをいいたくなる。
ならば進歩ならぬ「深歩」か。

でも「深歩するSACD」では……、と感じる。

特集「深化するSACD」には、
「私のSACD名盤ベスト10」と「SACDプレーヤー開発陣が語るリファレンスディスク」の項目がある。

211号は6月4日の発売だから、まだ見ていない。
なので、ここでどんなSACDが取り上げられているのかはまったく知らない。

でも、ここで、ステレオサウンドが売っているSACDが、
何枚も登場してたりするのだろうか──、と思っている。

だとしたら、それをどう受け止めるかは読者次第である。

SACDは20年経っても進化しなかった。
進歩ではなく進化を期待する方が無理というものだ。
それはよくわかっている。

なのにこんなことを書いているのは、
「進化するCD」ということを考えるからだ。

MQAが出てきて、MQA-CDが誕生した。
MQA-CDは、はっきりとCDである。
MQA-CDは、CDの進化である。

Date: 6月 2nd, 2019
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタル/アナログ変換・その3)

その2)は少し脱線しているが、(その1)の続きに戻れば、
dCSのトランスポートからのデジタル信号を、
コントロールアンプのライン入力を接続しても、ほとんど問題なくD/A変換がなされている──、
そう思える音がしていた。

当時、dCSの輸入元のタイムロードだった。
タイムロードの技術担当者の説明によれば、
DSD信号のD/A変換には、フィルターがあればできる、ということだった。

ではなぜD/A変換用の回路を搭載しているかといえば、
主にジッター対策である、ということだった。

ここでのフィルターとはハイカットフィルターのことである。
ハイカットフィルターは、ケーブルをライン入力に接続することでも形成される。

ケーブルのもつ静電容量が存在し、送り出し側の出力インピーダンスがあるからだ。
つまりハイカットフィルターは、オーディオの伝送系のいたるところにあるわけだ。

アナログディスクのカッターヘッドにも、ハイカットフィルターは存在することになる。
カッティング針、駆動コイルなど質量をもつ部分があり、
駆動するアンプに関しても高域の限界があるわけだし、
DSD信号を直接カッティングマシンに接続するケーブルでもハイカットフィルターは形成される。

確かに理屈からいってもDSD信号そのままでカッティングは可能である。
タイムロードの技術担当者の説明を信じれば、
ジッターが発生しなければ、DSD直接でも問題は発生しない、ということになる。

いまデジタル録音であっても、LPで発売されるようになってきている。
DSD録音であれば、直接のカッティングが、
PCM録音ならばDSDに変換してのカッティングができる。

そう考えると、PCMからのDSD変換も、ある種のD/A変換といえるのだろうか。

Date: 6月 1st, 2019
Cate: audio wednesday

第101回audio wednesdayのお知らせ(Over The Rainbow)

今月のaudio wednesdayは、5日。
テーマの一つは、“Over The Rainbow”を聴く、である。

今年秋公開の映画「JUDY」の予告編を見てのテーマである。

“Over The Rainbow”には、実に多くのカバーがある。
私が持っていくのは、“JUDY AT CARNEGIE HALL”であり、
常連のTさんは、江利チエミによるカバーを持ってくる、とのこと。

どれだけの“Over The Rainbow”が集まるのかはわからない。
意外に少ないかもしれないし、多いかもしれない。

それから、今回からCDプレーヤーのMCD350の電源コードを自作のモノに交換する予定でいる。
3月に持っていった電源コードの長さが違うだけである。

これまでMCD350の電源はテーブルタップを介して、だった。
できれば壁のコンセントから直接取りたいけれど、
喫茶茶会記の場合、コンセントの数が少なく、しかも受けが一口しかないところもあって、
MCD350の電源は隣の部屋からとることになり、
一般的な長さの電源コードだと短すぎるからだ。

3月の電源コードの評価は良かったから、今回は三倍ほどに長くして、
壁のコンセントから取れるようにする。

これだけの変更だが、小さくない音の変化があるはずだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 6月 1st, 2019
Cate: 境界線

感動における境界線(その1)

「MQAのこと、MQA-CDのこと(その3)」に、
facebookでコメントがあった。

そこには、人が録音したものに感動するのに、何になのか……、とあった。

感動する、なのか、
感動できる、なのか。

ここも、どちらなのか、はっきりといえないところがある。

感動する曲もあればそうでもない曲もある。
感動する曲であっても、いつ聴いても感動するとは限らないし、
常に同じ感動があるとも限らない。

感動の正体がわからずに、感動している。
そして、それをなんとか言葉で表現しようとする。

フルトヴェングラーは、
「感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ」と語っている。

おそらく、これは真理なのだろう。
とすれば、人と人。
片方の人は、聴き手である私である。

これは、もうはっきりしすぎている。
では、もう片方の人は、いったい誰なのか。

演奏者を誰もが思い浮べる。
けれど、録音物を介して音楽を聴く聴き手にとっては、
演奏者だけが、もう片方の人ではない。

ここで、音楽の送り手側と受け手側という考え方をしていけば、
感動がある人と人のあいだは、
音楽の送り手側と受け手側のあいだ、ということになる。

こう考えると、複雑になっていく。
送り手側には、いったいどれだけの人が関っているのか。
受け手側にしてもそうだ。

単に受け手とは、聴き手の私一人だけではない。
送り手側と受け手側のあいだのどこに境界線を引くのかによって、
受け手側は、再生するオーディオ機器を含めてのことになってくる。

Date: 5月 31st, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その3)

中野英男氏の「音楽・オーディオ・人びと」に、書いてある。
     *
 つい先頃、私はかねがね愛してやまない若き女流チェリスト——ジャクリーヌ・デュ・プレのベートーヴェンのチェロ・ソナタ全曲演奏のレコードを手に入れた。それは一九七〇年八月、彼女が夫君のダニエル・バレンボイムとエジンバラ音楽祭で共演したライヴ・レコーディングである。エジンバラは私にとって、想い出深い土地でもあった。一九六三年の夏、その地の音楽祭で私は当時彗星の如く楽壇に登場した白面の指揮者イストヴァン・ケルテスのドヴォルザークを聴き、胸の奥に劫火の燃え上るほどの興奮を覚え、何年か後、イスラエルの海岸での不運な死を知って、天を仰いで泪した記憶がある。しかし、デュ・プレのエジンバラ・コンサートの演奏を収めた日本プレスのレコードは私を失望させた。演奏の良否を論ずる前に、デュ・プレのチェロの音が荒寥たる乾き切った音だったからである。私は第三番の冒頭、十数小節を聴いただけで針を上げ、アルバムを閉じた。
 数日後、役員のひとりがEMIの輸入盤で同じレコードを持参した。彼の目を見た途端、私は「彼はこのレコードにいかれているな」と直感した。そして私自身もこのレコードに陶酔し一気に全曲を聴き通してしまった。同じ演奏のレコードである。年甲斐もなく、私は先に手に入れたアルバムを二階の窓から庭に投げ捨てた。私はジャクリーヌ・デュ・プレ——カザルス、フルニエを継ぐべき才能を持ちながら、不治の病に冒され、永遠に引退せざるをえなくなった少女デュ・プレが可哀そうでならなかった。緑の芝生に散らばったレコードを見ながら、私は胸が張り裂ける思いであった。こんなレコードを作ってはいけない。何故デュ・プレのチェロをこんな音にしてしまったのか。日本の愛好家は、九九%までこの国内盤を通して彼女の音楽を聴くだろう。バレンボイムのピアノも——。
 レコードにも、それを再生する装置にも、その装置を使って鳴らす音にも、怖ろしいほどその人の人柄があらわれる。美しい音を作る手段は、自分を不断に磨き上げることしかない。それが私の結論である。
     *
ジャクリーヌ・デュ=プレの演奏を聴くにあたって、
ジャクリーヌ・デュ=プレの病気のことは無関係で聴くのが、
音楽の聴き方として、正しいのかもしれない。

けれど、私がジャクリーヌ・デュ=プレを知ったときすでに、
ジャクリーヌ・デュ=プレは多発性硬化症に冒されて引退していた。

だからといって、
初めてジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲を聴いたとき、
ジャクリーヌ・デュ=プレの病気のことなど頭にはまったくなかった。

聴き終ってからである。
ジャクリーヌ・デュ=プレの病気のこと、ジャクリーヌ・デュ=プレがどういう状況なのか、
そんなことをおもったのは。

中野英男氏が、ジャクリーヌ・デュ=プレの日本盤(LP)を、
二階の窓から庭に投げ捨てられた、その気持はわかる。

ジャクリーヌ・デュ=プレのチェロの音が、《荒寥たる乾き切った音》になってしまっては、
絶対に許せない。

中野英男氏が聴かれた《荒寥たる乾き切った音》とは、
また違う《荒寥たる乾き切った音》を聴いたことがある。

それでも、その音を鳴らしていた人は、
ジャクリーヌ・デュ=プレの演奏は素晴らしい、胸を打つ、という。

感動しているわけだ。
《荒寥たる乾き切った音》でも、その人は感動していた。
その人もオーディオマニアである。

私が求めているジャクリーヌ・デュ=プレと、
その人が出している(鳴らしている)ジャクリーヌ・デュ=プレは、
どちらもジャクリーヌ・デュ=プレなのか……。

それがオーディオだ、というしかないのだろう。

ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲を、
MQA-CDをメリディアンのULTRA DACで鳴らしたとしよう。

その人は、その音を聴いてなにをおもうのか。

Date: 5月 31st, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その2)

ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲は、
e-onkyoでも配信されている。

ただしジャクリーヌ・デュプレ、ジャクリーヌ・デュ・プレで検索しても、ヒットしない。
Jacqueline du Preでもダメで、
Jacqueline du Préで検索してようやくヒットする。

クラシックの演奏家は、カタカナで入力しても大丈夫なのに、
なぜかジャクリーヌ・デュ=プレは、正しく入力する必要がある。

ワーナーミュージックの音源として、
バレンボイムとのシューマンとサン=サーンスのチェロ協奏曲、
やはりバレンボイムとのドヴォルザークのチェロ協奏曲がある。
FLACとMQAがあり、どちらも96kHz/24ビットである。

エルガーのチェロ協奏曲は? といえば、ないわけではない。
ただ、SRT(Sound Recording Technology)レーベルからの発売である。
エルガーは、WAVとFLACのみで、MQAはない。

ジャクリーヌ・デュ=プレの、バルビローリとのエルガーのチェロ協奏曲は、
ずっと愛聴盤である。

いろんな盤を買っては聴いてきた。
私は、MQAで、ジャクリーヌ・デュ=プレを聴きたい。
となると、MQA-CDに頼るしかない(いまのところは)。

ワーナーミュージックのMQA-CDが発売になれば、
e-onkyoでも、ワーナーミュージックによるエルガーの配信が始まるのかもしれない。

でもいまのところ、告知はない。
ない以上、MQA-CDであり、
ひそかにMQA-CDは192kHz/24ビットなのかもしれない、とも期待している。

Date: 5月 30th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その1)

二日前の28日に、ワーナーミュージック・ジャパンからも、
7月24日にMQA-CDの第一弾が発売になる、と発表された。

ワーナーミュージックは、e-onkyoのサイトでMQAでの配信を行っている。
けっこうな数のタイトルがMQAで聴けるようになっている。

なので、MQA-CDをそのうち出すであろうとは、多くの人が予想していたと思う。
私もそう思っていたし、今年中にMQA-CDを出す、というウワサもきいていた。

どのタイトルが発売になるのかは、ワーナーミュージック・ジャパンのサイトで確かめてほしい。
私が個人的に喜んでいるのは、ジャクリーヌ・デュ=プレがあることだ。

それにシャルル・ミュンシュのベルリオーズの「幻想」だけでなく、
ブラームスの交響曲第一番がある。

クラシックに関してはEMIの音源を所有しているワーナーミュージックだけに、
期待は大きい。
当然、マリア・カラスもMQA-CDで出てくるはずだし、
個人的にはアニー・フィッシャーもMQA-CDで出してほしい。

今回のタイトル数はさほど多くはない。
それでも、第二弾、第三弾と続いてほしいし、
続くことで、他のメジャーレーベルからもMQA-CDが登場することにつながってほしい。

意外とご存知ない方がいるようなので書いておくが、
MQAはボブ・スチュアートが開発している。
MQA-CDは日本が開発した技術である。

それにしても、今回のワーナーミュージック・ジャパンのMQA-CD発売のニュースに対して、
オーディオ業界の闇のようなものを感じた──、
SNSで、そんな発言をみかけた。

こんなことを投稿する人は、MQA否定派のようである。
それはそれでいい。

なぜか、こういう人は、自分がいいと思っていない技術を、
多くの会社が採用するのには、何かよからぬ理由があるはずだ、と考えるらしい。
そこに、オーディオ業界の闇を感じるのか(陰謀論とかが好きな人なのかも)。

Date: 5月 30th, 2019
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(Made in Japan・その3)

タンノイのウェストミンスターの登場は、1982年。
そのころだと木工職人の人件費は、イギリスよりも日本の法が高い、ということだった。

タンノイは、構造が複雑なエンクロージュアのオートグラフの製造をやめている。
ウェストミンスターは、レクタンギュラー型、コーナー型という違いはあるが、
オートグラフと基本的な構造は同じである。

フロントショートホーンをもち、バックロードホーンでもある。
オートグラフの製造をやめてしまったタンノイが、
ほぼ同じ構造のエンクロージュアのウェストミンスターを製造するということは、
オートグラフの再生産を始めたようなものである。

ティアックによる国産エンクロージュアによるオートグラフもよく出来ていた。
それでも、日本ではオリジナル・エンクロージュア神話(みたいな)がある。

私も、オートグラフを購入するのであれば、イギリス製(オリジナル)エンクロージュアを探す。
そういうものである。

それは、いま以上に、当時のほうが強かったはずだ。
そんななかウェストミンスターが登場したわけだ。

ウェストミンスターの登場は、モノづくりの難しさとともに、
モノづくりを囲む状況の変化といったことも考えさせられる。

この状況は変化している。
私はそれほど、その変化に詳しいわけではないが、
それでも数年ほどではっきりとした変化があるように感じている。

ある時期、中国は世界の工場と呼ばれていた。
けれど、五年ほどくらい前からか、
以前は中国で製造されていたのに、
いつのまにかベトナム、インドネシアに変っていたという例を、
オーディオではないけれど、いくつかのジャンルでいくつも知っている。

Date: 5月 29th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その12)

「長岡鉄男の日本オーディオ史 1950〜82」(音楽之友社)に、
こんなことを書かれている。
     *
 オーディオ誌の最盛期にはライター不足が深刻で、編集者はライター確保にかけずり回った。オーディオ評論家は引っ張りだこ。どの雑誌を見ても同じようなメンバーが顔を並べている。この時期オーディオ・セミナーも大はやりだった。数十人から数百人のマニアを集め、評論家がコンポの使いこなし、比較テストの実演を入れて二時間くらい講義するという形式である。僕も一時は毎月十本ぐらいのセミナーをこなしていたことがある。北は北海道の北見から、南は沖縄まで、東奔西走である。仲間の評論家と同じ飛行機に乗り合わせたり空港ですれ違ったりということも珍しくなかったセミナーにはメーカー主催、販売店主催の二つに大別される。販売店のなかにはデパートもあった。
 メーカー主催というのは単純明快だが、販売店主催というのが曲者だ。チラシや看板を見ると○○株式会社後援とメーカーの名前が小さく書いてある。実はこれが金主なのである。セミナーの費用はバカにならない。僕個人についても、航空運賃込みの旅費、ホテル代、食事代、講演料(これは安い。作家や経済評論家の十分の一だ)が必要。実際にはメーカーの人間も二人は出張して行動を共にする。さらに使用する器材の搬入、セッティング、搬出という仕事もある。チラシの印刷、配布、新聞広告の費用もかかる。これらの費用はすべてメーカーが負担する。その上、販売店にもいくらか渡していたのではなかったかと思う。だから販売店としてはセミナー大歓迎、毎日でもやりたいくらいなのである。例外としてダイエーのセミナーがあった。これは後援メーカーなし、ダイエーが費用を持つのである。メーカー後援のセミナーだと、必ずそのメーカーの器材を使わなければならないが、ダイエーの場合はすべて器材を僕が発注した。それを受けてダイエーがメーカーにあれを持ってこい、これを持ってこいと命令するのである。これはもう至上命令だから二つ返事で従わなければならない。ダイエーにはずいぶんいじめられましたとメーカーがぼやいていた。
     *
寿屋本庄店での瀬川先生の場合も、
ダイエーと同じだったはずだ。

メーカー後援であったはずがない。
そこでは、瀬川先生が選ばれたオーディオ機器が並べられていた。
内容も、どこかのメーカーの製品を中心としたものではなかった。

オーディオマニアからすれば、
ダイエー、寿屋本庄店のやり方のほうが、圧倒的におもしろい。

前回書いているように、ダイエーも寿屋本庄店もオーディオ専門店ではない。
どちらもスーパーである。

Date: 5月 29th, 2019
Cate: オーディオの科学

数学×曲線 〜世界を彩る美しい曲線の不思議〜

昨晩は、東京ガーデンテラス紀尾井町で開催された数学セミナー
「数学×曲線 〜世界を彩る美しい曲線の不思議〜」に行ってた。

昨年11月、
「プロダクトデザインと未来」のテーマで、
川崎和男×深澤直人・対談が、六本木のAXISであった。

このチケットを購入するには、Peatixというアプリを介して、であった。
このアプリがチケット(スマートフォンがチケット)になる。

購入するからには、名前などを登録する。
当然、その後、こんなイベントがあります、というメールが届く。
いままで、それらのメールを、パッと見ては消去していた。

二週間ほど前にも、そんなメールが届いた。
パッと見て消去しようとしたら、
「数学×曲線 〜世界を彩る美しい曲線の不思議〜」の文字に目が留った。
内容をきちんと見たら、おもしろそうな数学セミナーである。

申し込む。
数学セミナーだから、数学を専門とする人を対象としているのかと思ったら、
専門としない人でもいい、みたいなことも書いてあった。

講師は、中島さち子氏。
まったく知らない人だった。

私が知らないだけで、けっこう有名な人である。
ジャズピアニストであり、CDも数枚出されている。

会場は、東京ガーデンテラス紀尾井町である。
この数学セミナーは2017年から定期的に行われている、とのこと。

「数学×曲線」はおもしろかった。
セミナーが終って、Peatixからのメールにきちんと目を通しておけば……、と後悔していた。

東京ガーデンテラス紀尾井町のイベントのページには、
過去の数学セミナーが紹介されている。

今年1月には「数学×音 ~音・音の可視化・フーリエ解析~」が行われている。

この回の案内のメールも、きっと届いていたはず。
なのに見ていなかった。

数学セミナーはこれからも行われる。
毎回、中島さち子氏というわけではないようだが、
半分ほどは中島ちさ子氏のようである。

毎回は無理としても、中島さち子氏のセミナーだけは、きちんと行きたい。
オーディオとは直接関係ないように思われるだろうが、
決してそうではない、といっておく。

Date: 5月 28th, 2019
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その3)

ビクターのM7070、金田式DCアンプ(聴いたことはなかったが)では、
スイッチング電源に対してネガティヴな印象は持たなかった。

この時代、スイッチング電源はメーカーによってはパルス電源とも言っていた。
テクニクスのコンサイスコンポのパワーアンプSE-C01も、
パルス電源(スイッチング電源)採用だった。

M7070とSE-C01とではサイズも重量も大きく違っていた。
スイッチング電源を採用した理由も、おそらく違っていたであろう。

SE-C01は小型化を優先してのスイッチング電源の採用だったはずだ。
このころから他社からもいくつか登場した。
そして、このころからスイッチング電源は音は悪い、という印象が出てき始めた。

1980年代にはいるころには、スイッチング電源は消えてしまったように思われた。
そして数年が経ち、「スイッチング電源なのに……」というふうに印象を変えたのは、
スチューダーのCDプレーヤー、A730ではないだろうか。

それまでは「スイッチング電源だから……」、
そんなネガティヴな捉え方が一般的になっていた。

M7070は、ステレオサウンド 45号の新製品紹介で、井上先生が担当されている。
     *
 M7070は、モノ構成の完全なDCアンプである。電源関係を重視した設計であるために、A−B独立電源のBクラス動作をするパワー段には、一般の商用電源を一度DCに整流した後に数10kHzのパルスに変換し、高周波用トランスで変換してから再び整流してDC電源を得るDクラス電源に、制御系にPWM方式を用い応答速度を高めた定電圧電源が使用されている。これにより、電源の内部インピーダンスを高域まで非常に低くすることが可能となり、電源のレギュレーションは、理想の電源と言われた蓄電池をしのぐものとしている。
     *
ビクターの謳い文句を信じるのであれば、M7070に搭載されたスイッチング電源は、
従来の電源方式では無理な特性を実現するためであり、
特に応答速度の向上がいちばんの目的だったのではないのだろうか。

Date: 5月 27th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その11)

私がこう考えるのは、ずっと以前のオーディオブームにも、その芽がすでにあったからだ。

ここで度々書いている熊本のオーディオ店。
瀬川先生を定期的に招いて、
話題の新製品もかなり早いうちに入荷していた。

トーレンスのReferenceも、SUMOのThe Goldも、この店で初めて聴いた。
この店は、寿屋本庄店という。

熊本に住んでいる(いた)人はご存知だが、寿屋はスーパーである。
寿屋本庄店もそうである。
一階がスーパーだった。

最初、寿屋本庄店に行ったとき、
ここがオーディオ店? と思った。
エスカレーターで二階に上れば、すべてオーディオのフロアーだったし、
電子部品のコーナーもあった。

寿屋本庄店以前は、マツフジ電気があった。
マツフジ電気はすでになくなっているようだが、
ここの母体は松藤という不動産会社であり、
マツフジ電気も、オーディオ専門店では決してなかった。

マツフジ電気の名称からわかるように、電器店である。
マツフジビル一棟が電器店で、その1フロアーがオーディオコーナーであり、
レコードのコーナーもあった(と記憶している)。

つまりマツフジ電気もオーディオだけのオーディオ専門店ではなかった。
けれど、長岡鉄男氏を、私の知る限り、最初に熊本に招いたのは、この店だった。

寿屋本庄店と同じ形態のオーディオ店は、東京にもあった。
ダイエー碑文谷店である。

Date: 5月 27th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その10)

書店に行くと、オーディオ関連のムックを目にすることが増えたことは、
何度か書いている。
書く度に、オーディオブームが来ているのだろうか……、と考える。

インターナショナルオーディオショウも、昨年は、女性の来場者が、
例年よりも多かったように感じた。

いい音への関心が高まりつつあるのは事実だろう。
それによってオーディオブームが来るのかも(来ているのかも)しれない。

けれど、ずっと以前のオーディオブームと同じなわけではないだろう。
オーディオブームが来たら──、
と皮算用しているオーディオ専門店もあるかもしれない。

けれど、ほんとうにオーディオブームが来たとして、
そのオーディオブームを支える人たちは、新しくオーディオに興味をもった人たちのはずだ。

そういう人たちが、果してオーディオ専門店で買うだろうか。
このことは前々からなんとなく考えはいたことだ。

そこにBさん夫妻の話を聞いた。
オーディオブームが来たからといって、
いい音に関心をもつ人のすべてがオーディオマニアを目指すわけではないはずだ。

ここが、ずっと以前のオーディオブームといちばん違ってくる点なのかもしれない。
だとすれば、Bさん夫妻のようにオーディオ専門店ではなく、
ヨドバシで購入する人が、無視できないほど増えていくのかもしれない。

オーディオ店が敬遠されるオーディオブームになるのかもしれない。

ちなみにビックカメラでは以前、とてもイヤな思いを受けたことがあるから、
量販店の代名詞としては、ヨドバシの名前を挙げていく。