Date: 5月 29th, 2019
Cate: ラック, 広告
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LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その12)

「長岡鉄男の日本オーディオ史 1950〜82」(音楽之友社)に、
こんなことを書かれている。
     *
 オーディオ誌の最盛期にはライター不足が深刻で、編集者はライター確保にかけずり回った。オーディオ評論家は引っ張りだこ。どの雑誌を見ても同じようなメンバーが顔を並べている。この時期オーディオ・セミナーも大はやりだった。数十人から数百人のマニアを集め、評論家がコンポの使いこなし、比較テストの実演を入れて二時間くらい講義するという形式である。僕も一時は毎月十本ぐらいのセミナーをこなしていたことがある。北は北海道の北見から、南は沖縄まで、東奔西走である。仲間の評論家と同じ飛行機に乗り合わせたり空港ですれ違ったりということも珍しくなかったセミナーにはメーカー主催、販売店主催の二つに大別される。販売店のなかにはデパートもあった。
 メーカー主催というのは単純明快だが、販売店主催というのが曲者だ。チラシや看板を見ると○○株式会社後援とメーカーの名前が小さく書いてある。実はこれが金主なのである。セミナーの費用はバカにならない。僕個人についても、航空運賃込みの旅費、ホテル代、食事代、講演料(これは安い。作家や経済評論家の十分の一だ)が必要。実際にはメーカーの人間も二人は出張して行動を共にする。さらに使用する器材の搬入、セッティング、搬出という仕事もある。チラシの印刷、配布、新聞広告の費用もかかる。これらの費用はすべてメーカーが負担する。その上、販売店にもいくらか渡していたのではなかったかと思う。だから販売店としてはセミナー大歓迎、毎日でもやりたいくらいなのである。例外としてダイエーのセミナーがあった。これは後援メーカーなし、ダイエーが費用を持つのである。メーカー後援のセミナーだと、必ずそのメーカーの器材を使わなければならないが、ダイエーの場合はすべて器材を僕が発注した。それを受けてダイエーがメーカーにあれを持ってこい、これを持ってこいと命令するのである。これはもう至上命令だから二つ返事で従わなければならない。ダイエーにはずいぶんいじめられましたとメーカーがぼやいていた。
     *
寿屋本庄店での瀬川先生の場合も、
ダイエーと同じだったはずだ。

メーカー後援であったはずがない。
そこでは、瀬川先生が選ばれたオーディオ機器が並べられていた。
内容も、どこかのメーカーの製品を中心としたものではなかった。

オーディオマニアからすれば、
ダイエー、寿屋本庄店のやり方のほうが、圧倒的におもしろい。

前回書いているように、ダイエーも寿屋本庄店もオーディオ専門店ではない。
どちらもスーパーである。

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