Archive for category テーマ

Date: 7月 19th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その11)

十年以上前、ヤフオク!で、そこそこの価格でアンプを落札した。
写真では、かなり程度は良さそうだった。
説明文もそんなことが書かれていた。

期待して、届くのを待っていた。
開梱して、ずいぶん写真とイメージが違うことに、まずがっかりした。
細部をじっくり見るまでもなく、けっこうくたびれているな、と感じた。

実物を見ることができるわけではないインターネットオークションなのだから……。
それっきりヤフオク!は、思い出したときに眺めて楽しむぐらいがちょうどいい──、
そんなふうにしていた。

そんなことがあったものだから、K1dが到着するまでは、
あれこれおもっていた。
私が予想していたとおりのK1dなのか、それ以下の程度のK1sか、
もしかすると予想よりもいい状態のK1dなのか。

結果は予想していたよりも、ずっと、とまではいかないが、
いい状態のK1dだった。
細かな傷は確かにあるが、全体的に眺めた時にくたびれた印象が、まずないことが嬉しかった。

1981年に登場している。
私のところに届いたK1dがいつごろ製造されたものかはわからないが、
三十数年以上経っているわけで、そんな感じがしなかった。

ヤフオク!で上限を決めて入札するのは、
修理のことを想定しているからだ。

ただ音が出れば、それで満足できる人ならば、
それにふところに余裕のある人ならば、高値で落札するのもいいだろう。

でも、製造されて十年以上経過しているオーディオ機器(特に電子機器)は、
ひどい状態のことも考慮したほうがいい。

今回、私はいい出品者と出会えたからであり、
いい出品者というのは、ヤフオク!の評価高いから、ここでいういい出品者とはかぎらない。

今回のK1dは、私にとって初めてのヤマハのオーディオである。

Date: 7月 18th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その10)

7月3日のaudio wednesdayから、カセットデッキのことが気にかかっていて、
ヤフオク!をほぼ毎日のように眺めていた。

いったい、どの程度のコンディションのカセットデッキが、
どのくらいで購入できるのだろうか。
ヤフオク!には、どんなカセットデッキが出品されているのか──、
そういったことが知りたくて、iPhoneにインストールしたヤフオク!のアプリを眺めていた。

結局、当り前のことなのだが、売れたカセットデッキは出品されているし、
あまり売れなかったであろう、たとえばラックスのカセットデッキはみかけなかった。

なんとしてでも、あのカセットデッキが欲しい、手に入れる、
という強い気持を持っているわけではない。

これまで挙げたいくつかのカセットデッキのなかで、
程度が良くて、価格もほどほどといった虫のよいことが前提としてあった。

完動品といえるコンディションであれば、それなりの価格になるのもわからないわけではないが、
動作品ぐらいのレベルのモノに応札合戦する気はまったくなかった。

上限も決めていた。
その範囲内で落札できるモノ──、
そんなモノが見つかるのか、と思われるだろうが、
結果をいえば、見つかった。

ヤマハのK1dである。
ブラックパネルのK1dだった。

説明文には動作品とあった。
写真では、小さいな傷がないわけではないが、状態は良さそうである。
上限は12,000円と決めていた。

9,500円で落札できた。
送料を含めても、予算の12,000円以内でおさまった。

Date: 7月 18th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その9)

ヤマハのカセットデッキといえば、私にとってはTC800GLである。
マリオ・ベリーニのデザインのカセットデッキは、
中学生の私でも、
他のカセットデッキとははっきりと違うデザインということはわかった。

マリオ・ベリーニはMario Belliniである。
ずいぶん後になって気づくのだが、
作曲家ヴィンチェンツォ・ベルリーニはVincenzo Belliniであり、
カタカナ表記は少し違うものの、二人ともBelliniである。
遠縁だったりするのだろうか。

TC800GLは、類型的になりがちなカセットデッキにおいて、
とにかく光っていた。
似た形態のナカミチのデッキも存在していたけれど、TC800GLは光っていた。

このころのヤマハのカセットデッキの型番はTCから始まっていた。
それがKから始まる型番に変った。

その一号機がK1だったはずだ。
TC800GLからは様変りした。
類型的になったわけだが、それでもヤマハのオーディオ機器らしいパネルである。

目立つことはないし、地味な印象を持っていた。
それにヤマハのカセットデッキの最上級機であるのに、
十万円を切る価格は、優れた製品がほどほどの価格で買えるのはありがたいことなのに、
なんとなく中級機どまりの印象もあったりした。

ヤマハのセパレートアンプ、プリメインアンプはもっと価格帯が上であった。
メカニズム、録音アンプ、再生アンプなどから構成されるカセットデッキが、
これだけの価格ということは、どこかでうまくコストダウンしているに違いない──、
そんなことを思ったりもした。

そんな印象を勝手にもっていただけに、瀬川先生のリスニングルームにも、
菅野先生のリスニングルームにも、K1aかK1dがあることは、ちょっとした驚きだった。

Date: 7月 18th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その8)

ステレオサウンド 50号で、
瀬川先生の「ひろがり溶け合う響きを求めて 私とリスニングルーム」の連載が始まった。

瀬川先生の新しいリスニングルームは、ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌でも、
それからしばらくしてから誌面に登場するようになった。

FM fanのカラーグラビアもそのう一つだった。
穴が開くほど見た。

そこにヤマハのK1、カセットデッキがあった。
時期からすればK1aだったかもしれない。

K1かK1aなのか、写真だけでは判断できなかった。
ステレオサウンド 55号、ベストバイの特集で、
カセットデッキのMy Best3として、
テクニクス RS-M88(145,000円)、サンスイ SC-77(73,800円)、
ヤマハ K1a(98,000円)の三機種を挙げられていた。

ステレオサウンド 60号で、
「プロが明かす音づくりの秘訣」が始まった。
一回目は菅野先生で、菅野先生のリスニングルームのアンプ棚にも、
ヤマハのカセットデッキがある。K1dである。

K1aにdbxのノイズリダクションを搭載したモデルである。
60号、270ページに、K1dの写真があり、その下の説明文にはこう書いてある。
《このデッキで初めて録再した時は、ほんとにびっくりしたよ。(カセットとしては)とにかくノイズが少なかった》

菅野先生もヤマハのK1なのか、と思ったことを、いまも憶えている。
K1aもK1dも十万円をぎりぎり超えない。
この時代のカセットデッキとしては中級機ということになろうが、
いいデッキなんだろうなぁ、買うとしたらK1dだな、と思ったのは、
いまから三十八年前である。

Date: 7月 17th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その2)

手元に片方だけ先バラにした赤白ケーブルがあった。
先バラにした方をフォーンプラグにハンダ付け、
もう片方がRCAプラグで、
SB-F01のヘッドフォン端子用にミニフォンプラグ(2極で、RCAジャックがついてる)と接続。

五分ほどの工作でケーブルが完成して、カセットデッキのヘッドフォン端子とSB-F01を結ぶ。
どのくらいの音量が出るかといえば、それほど大きいわけではない。

ラジカセのほうが、ずっと大きな音量で鳴る、といえるだろう。
でも、もともとそういう音量で聴くスピーカーではないし、
それにたまたま見つけたケーブルを使ったため、少々短かった。

SB-F01はカセットデッキの天板に置いた。
左右いっぱいに広げたかったけれど、ケーブルが短くて、
左右のスピーカー間は20cmくらいである。

そういう間隔だから、音量を上げたいとは思わない。
音量は、様々なことに最適音量が決ってくるもので、
左右のスピーカーの狭くて、スピーカーのサイズも小さいとなると、
音量も自ずと上限は決ってくる。

レベルコントロールの位置は、ほほ中央。
これで充分と思えた。
もっと上げることはできる。
それはわかっているけれど、上げる必要を感じない。

こんなことをやっていて、そういえば、高校生だったころ、
同じようなことをやっていた、と思い出した。

その頃使っていたサンスイのAU-D907 Limitedの上に、
やはりSB-F01を置いていた。
ヘッドフォン端子にではなくスピーカー端子に接いでいた点は違うが、
近距離で音量を絞って聴いていた。

AU-D907 Limitedにはターンオーバー周波数切替えのトーンコントロールがあるから、
低音は150Hz、高音は6kHzにして、絞りきって鳴らしていた。

時には低音を300Hz、高音を3kHzにしては、やはり絞りきって鳴らしてもみた。
それにサブソニックフィルターも入れていた。
とにかくナロウレンジの音を楽しんでいた。

Date: 7月 16th, 2019
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その5のその後)

その5)で書いている友人Aさんの友人のCさんのこと。

奥さんに黙ってCL1000を購入。
奥さんが旅行で留守にしている隙に、
それまで使ってきたC1000をCL1000へと置き換える。

Cさんの計画通りに事は運んだ。
けれど数日後、奥さんが「どこか変えた?」と言ってきたそうである。

音がずいぶん良くなっているから、どこか変えたでしょう、とCさんに問いつめた。
そのくらい音が良くなって、Cさんも一瞬どきっとしたものの、なんとか切り抜けたそうである。

交換したことは一部認めたそうである。
計画は成功したとはいえ、こんなにも早くバレるくらいに、
音が良くなったことこそ、嬉しい誤算といえることなのだろう。

Date: 7月 16th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その1)

テクニクスのSB-F01というスピーカーが、ずっと以前にあった。
手のひらにのるサイズの、
ヘッドフォンのドライバーをアルミ製エンクロージュアに取り付けた、ともいえるスピーカーである。
それゆえヘッドフォン端子に接続して鳴らすこともできるようになっている。

高校生のとき、私も買った。
買った、という人はけっこういる、と思う。

私が買ったSB-F01は、いまでも実家にある、と思う。
いま私の手元にあるSB-F01は瀬川先生の遺品である。

とはいえ毎日鳴らしているわけでもなく、
ここ数年はまったく鳴らしていなかった。

ふと思いついた。
カセットデッキに、SB-F01を接いで鳴らしてみよう、と。

まずカセットデッキのライン出力をSB-F01に入れてみた。
SB-F01は入力を二つもち、ヘッドフォン端子からの信号を受ける場合用に、
インピーダンスを20Ωとした端子も用意されている。

どのくらいの音量が出るのかな、と試してみたら、
やっぱりダメだった。

CDプレーヤーならば2Vの出力をもつが、
カセットデッキは340mVで、インピーダンスもさほと低くない。

蚊の鳴くなような音量しかとれない。
部品箱を探したら、フォーンプラグが見つかったので、
今度はヘッドフォン端子に接続する。

今度は大丈夫である。

Date: 7月 15th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その7)

(その6)へのコメントが、facebookであった。
そこには、80年代末に、憧れのナカミチを手に入れることができた、とあった。

1980年代末、そのころカセットデッキが販売店でどういう扱いをされていたのか、
自分の目で確かめているわけではないが、
おそらく定価からかなり割引いて売られていたのであろう。

だからこそ、(その6)へのコメントであったはずだ。

コメントを読んでいて、私にとっての憧れのカセットデッキは? としばらく考えていた。
なかったなぁ、というのが正直なところである。

アナログプレーヤーであれば、EMTの930st、927Dst、トーレンスのReferenceがそうだった。
アンプにも、同じくらい憧れていたモノがいくつかあった。

学生だったころ、いつかはEMT、いつかはマークレビンソン、
そんなふうに憧れていた時代だった。

けれどカセットデッキとなると、
そういう強い憧れを持たずに、ここまできてしまった。

ルボックスのB710はいいなぁ、と思ったけれど、
930stに感じていた憧れと同じとはいえない。

カセットデッキに夢中になれなかったことを、改めて感じている。

ナカミチのデッキといえば、友人のAさんは、
ハタチ前後のころ、秋葉原にあった光陽電気でアルバイトをしていた。

彼は、ナカミチのDragonを、店でいちばん売った男である。
光陽電気内だけというよりも、全国的にみても、そうとうな数を売っていたみたいだ。

Aさんが商売上手だったからなわけではない、と思っている。
Aさん自身が、ナカミチのDragonに強い憧れを抱いていたからこその売上げだ、と思っている。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その16)

ステレオサウンド 74号掲載の記事は、
Celloを興したばかりのマーク・レヴィンソンへのインタヴューである。

ここには筆者名がない。
ほんとうは筆者名(オーディオ評論家)が入るはずだった。

マーク・レヴィンソンにインタヴューしたのは、その人であった。
記事をまとめて原稿を書いたのは、その人である。
けれど、記事には筆者名がないのは、
これも〆切りをすぎてあがってきたうえに、ひどい内容だったからだ。

書き直してもらう──、
その選択肢は時間的余裕がすでになくて無理だったし、
ここでも書き直してもらったからといって、よくなる可能性は低かった。

結局、どうしたかというと、私が書くこと、まとめなおすことになった。
筆者に渡していたテープ起しのワープロ原稿と録音したカセットテープとがある。

このテープ起しは、編集部で行ったのではなく、テープ起し専門の会社に依頼したものだった。
以前から、この会社に依頼していて、
担当もその都度かわるのではなく、専門用語が出てくることもあって、
同じ人がやってくれていたようだったが、それでもオーディオに関心のない人には、
荷が重い作業のはすだ。

テープを、今度は私が聞いてワープロで文字にしていった。
そのうえで新たに記事としてまとめたのが、74号に載っているものである。

この記事も私が担当ではない。
けれど時間が迫っていればそんなことはいってられない。

それに私が新たに書いたもののほうが、ずっと濃い内容になっている。
というか、なぜ、あそこまで薄い内容にまとめられたのかが、不思議なほどである。

ここまで読まれた人のなかには、
沢村とおる氏の名前は出していて、
74号の記事では、誰なのか書かないのか、と疑問に思われるかもしれない。

沢村とおる氏の場合は、不本意ながらそのまま原稿が記事になっているから、
記事に沢村とおる、とある。

けれどCelloの記事は、私の原稿だから、
編集部原稿となってしまったから、筆者名はない。
だから、ここでの誰なのかは書かないだけである。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その15)

いまになって、三十年も前のことを、
具体的に書く必要があるのか、と疑問に思う人もいていい。

沢村とおる氏をダメな書き手と思われる人もいるだろうし、
私に批判的な人もいよう。

この項を読まれて、どう思われるのか。それは読み手の自由であって、
私は、編集者の悪意とは何か、について考えてもらいたいだけである。

沢村とおる氏の原稿を、担当者から「なんとかしてくれ」と渡されるまで、
こんな記事があったのを知らなかった。

アンケートの項目についても、どうも沢村とおる氏にまかせっきりだったようだ。
ステレオサウンドは70号の管球式アンプの特集でも、
国内外の管球アンプのメーカーにアンケートを送っている。

そこでの質問は、すべて編集部で話しあいながら決めたものだった。
私が出した質問も、二、三採用された。

こんな原稿になったのは、沢村とおる氏だけの責任ではない、とも思う。
それでも〆切りをすぎて、この程度の原稿である。
書き直してもらう時間も、書き直してならったからといって、よくなる保証はない。

せめてメーカーからアンケートへの回答が手元にあれば、まだどうにかできた可能性はあったが、
それすらない。
あるのは〆切りをすぎた程度の低い原稿のみである。

同じことは別の筆者でも、以前にあった。
74号(1985年春号)掲載の、
「Cello by Mark Levinson ミュージックレストアラー〝オーディオパレット〟登場」
がそうである。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その14)

ステレオサウンド 88号で、
沢村とおる氏は、
《ユニットとエンクロージュアを相互に考えながら、一体化して考えていく》のが、
スピーカーの専門家(いわばメーカー)の考え方であって、
《ユニット構成に基づいて、それに一番適合したエンクロージュアを考える》のは、
アマチュアの考え方として書かれているが、
それはあくまでも沢村とおる氏の目にうつっている範囲内でしかない。

海外のスピーカーメーカーに目を向ければ、そうでないことは誰の目にも明らかなのに、である。
ここでのテーマは、
海外のスピーカーメーカーと日本のメーカーの、
スピーカー開発における考え方・手法の違いについて述べることではないので、
これ以上詳しくは書かないが、
JBLにしてもタンノイにしても、それからKEFもそうなのだが、
日本のメーカーが、新しいスピーカーを開発するにあたって、
新しいユニット、さらには新しい素材による振動板から開発するのに対して、
海外のメーカーは、既存のユニットをベースに、システムを組み立てていく。

もちろん、そこには既存のユニットであっても、
《ユニットとエンクロージュアを相互に考えながら、一体化して考えて》いっているはずであり、
アマチュアであっても、それは同じである。

もちろんアマチュアにはユニットを開発していくことは無理ではあるが、
既存のユニットを選び使い、
《ユニットとエンクロージュアを相互に考えながら、一体化して考えていく》ことは可能である。
なかには、そうでないアマチュアも少ないないとは思うが、
だからといって、沢村とおる氏の捉え方は、狭すぎる。

何かについて書くにあたって、
すべてのことを書くことは、まず無理である。
どこかで情報の取捨選択を迫られる。

それに書き手が、書くテーマについてすべてを知っていることなんて、
まずありえない。

意図的な取捨選択、そうでない取捨選択が常にあるのが原稿といえよう。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その7)

ステレオサウンド編集部にいたからといって、
当時登場したオーディオ機器のすべてに接することができたわけではない。

関心をもっていても、実物をみたことすらない製品もある。
私にとって、そして、この項のテーマに関係しているモノで真っ先に浮ぶのは、
dbxのdbx 700である。

dbx 700のフロントパネルには、“DIGITAL AUDIO PROCESSOR”とある。
とはいえ、PCMプロセッサーではない。

当時の広告には、
《サンプリングレイト640kHzを持つ世界で初めてCPDM(Companded Predictive Delta Modulation)──圧縮予測型Δ・モジュレーション──方式》
とある。

16ビットPCMではない、とも広告にはある。
いまでこそ700kHzを超えるサンプリング周波数のPCMは実現しているが、
dbx 700が登場したのは1984年である。

ほとんどのCDプレーヤーが、四倍オーバーサンプリングを謳っていた時代である。

dbx 700は、受註生産だった。
価格は1,650,000円で、
外形寸法/重量はW48.2×H13.3×D29.2cm/10.5kgで、消費電力は60Wである。

dbx 700については、Wikipedia(英語版)を参照してほしい。

ソニーのPCM-F1の登場から約三年が経っている。
当時の広告には、《2年のR/Dを経た今》とある。

dbx 700の開発が始まったのは、PCM-F1の登場後である。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その18)

オーディオというシステムのなかには、いくつものコイルが存在する。
テープデッキのヘッドにも、コイルは存在する。

銀線採用が謳い文句のようになってきたころ、
ヤマハのカセットデッキのK1も、
メタルテープ対応以外にも、ヘッドの巻線を銀線に変更して、K1aへとモデルチェンジした。

さらにヤマハK1aをベースに、dbx対応としたK1dを出してきた。
K1もK1aもK1dも、ヤマハ独自のセンダストヘッド採用なだが、
K1dのヘッドの巻線が銀線なのかどうかは、いまのところはっきりしない。

K1dの内部は、K1aの内部とほぼ同じである。
dbxのエンコード/デコード用の基板が、
メイン基板の上に増設されているくらいの違いである。

もっともこれは目に見える範囲内だけの違いであって、
ヘッドにも変更が加えられているのかもしれない。

K1dのヘッドは銀線の可能性はある。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その6)

井上先生が、ステレオサウンド 73号のベストバイにおいて、
カセットデッキの現状について、こんなことを書かれている。
     *
 カセットデッキの高性能化、機能の多様化は、すでに完成期を迎え、オーディオ製品というよりは、プログラムソースのベースとしての必需品的な性格が強くなり、ステレオサウンド的オーディオとは関係のない商品へと進んでいる様子である。
 価格的にも、すでに10万円前半が高級機の上限的な傾向が定着し、カセットテープの高性能化によるクォリティアップという好材料もあって、最下限の音質が向上したため、一段とオートリバース、Wカセットへの方向が促進されるだろう。
     *
73号は1984年冬号である。
ナカミチの1000ZXLは、この時点でも現行製品だったが、
カセットデッキのベストバイではなくなっている。
二十万円以上のカセットデッキのベストバイとして、
B&OのBeocord 9000には岡先生が二点をいれられているが、
これのみ、岡先生だけである。

1000ZXLが登場したころとは、ずいぶんな様変りである。
こういうふうになることは、メーカーならばある程度は予測できたことなのか──、
とも思う。

予測していたメーカー、そうでないメーカー、どちらもあったと思う。
井上先生は、77号のベストバイでは、
《あれほどまでに、全盛を誇っていたカセットデッキが、急激に衰退を示したことは、日の出の勢いを謳歌するCDプレーヤーにとっても、何れは己れの身かな、という一種の警鐘であるのかもしれない》
と書かれている。

77号は1985年、三十四年前のステレオサウンドである。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その5)

アキュフェーズが、カセットデッキを出していたら、
どんなモノになっていただろうか、と想像するのはけっこう楽しいし、
その音についても、勝手に想像するのもさらに楽しい。

けれどアキュフェーズからはカセットデッキは出なかった。
ナカミチのカセットデッキと肩を並べるモノを出してきたかもしれない。
なぜ、アキュフェーズはカセットデッキを出さなかったのか。

結局は、アンプと同じレベルのアフターサービスの維持が困難だったからではないのか。
アキュフェーズのアフターサービスについては、
ユーザーであればご存知のはず。

ユーザーでなくてとも、アキュフェーズのアフターサービスについて、
悪い話は聞いたことがない。
アキュフェーズはしっかりしている、という話ばかりを聞く。

カセットデッキで、これだけのアフターサービスは無理ではないだろうが、
その分会社への負担は大きくなるだろう。

オーディオの業界では、修理を専門とするところ(人たち)がいる。
そういう人でも、カセットデッキの修理だけはやりたくない、という。
そうでない人もいるだろうが、
カセットデッキの修理はやりたくない、という人の気持はよくわかる。

修理というのは、モノにもよるが大変な作業である。
自分で作ったモノを修理するのではない、
誰かが作ったモノを修理するのは、
修理の対象となる製品を理解していなければ、できないことである。

カセットデッキの修理は、故障の程度にもよるが、
アンプの修理よりも手間も時間も神経も使う作業である。

アキュフェーズがカセットデッキを開発しなかった理由はわからないが、
アフターサービスのことを抜きにしての理由はないはずだ。