Archive for category テーマ

Date: 4月 29th, 2020
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その29)

非反転増幅回路も反転増幅回路も、
OPアンプなので、回路図はシンプルだ。

OPアンプ(三角形の記号)と抵抗(二本)の回路図での説明である。
OPアンプ内部の回路のことがよくわからなくても、
アンプの働き的なことは理解できる。

ある日、気づいた。
反転増幅の回路図を少し描き直すと、
“straight wire with gain”ならぬ、“straight wire with register”になる、ということに。

増幅度をもったワイアーならぬ、増幅度をもった抵抗、ということになる。

反転増幅の場合、入力に直列に抵抗が入る。
この抵抗の出力側にOPアンプの反転入力が接がる。
と同時に、この箇所にNFB用の抵抗も接がる。

一般的な回路図の描き方だと、
入力抵抗の出力側からまっすぐのびたところにOPアンプの反転入力があり、
その少し手前の箇所から垂直に上にのばしたところで、
OPアンプの出力へと接がる抵抗(NFB用)があるわけだ。

回路図的には、
入力用抵抗とNFB用抵抗とは一直線には並んでいない。
けれど、ちょっと描きなおして、一直線になるようにする。

つまり信号経路に二本の抵抗が直列に挿入される。
出力側の抵抗(NFB用)に並列にOPアンプがぶらさがるようなかっこうになる。

こう描くと、まさしく“straight wire with register”にみえてくる。

Date: 4月 29th, 2020
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その28)

“straight wire with gain”(増幅度をもったワイアー)がアンプの理想像、
そんなことが私がオーディオに興味をもったころはよくいわれていた。

アンプの増幅という動作を理解するために、
電子工学を一から学んでいくのがいいのだければ、
中学生の私は、ともかくも極端な理想形を考えた。

カートリッジとスピーカーを、ダイレクトに接続する。
カートリッジの出力レベルも小さいし、
それにカートリッジの大半は速度比例型だから、
高域と低域とではレベル差が生じる。つまりRIAAカーヴが必要になるが、
そんなことはとにかく無視して、スピーカーとダイレクトに接続するモデルを考える。

どんな高能率のスピーカーをもってきても、蚊が鳴くような音さえ出ないだろう。
次に考えたのが、“straight wire with gain”である。

カートリッジとスピーカーを接続するケーブルが増幅度をもっていたら、いいわけだ。
実際のシステムでは、それがアンプということになるわけだが、
現実のアンプは、“straight wire with gain”ではない。

現実のアンプが理想のアンプにはほど遠いから、そう考えたのではない。
アンプに入力された信号が、文字通り増幅されて出力されるわけではないからだ。

電源の直流を、入力信号に応じて変調したものが出力されるわけであって、
入力信号が増幅されているわけではない。

でも、そのことすら、中学生の私は完全に理解していたわけではなかった。
当時、OPアンプの活きた使い方(こんな感じのタイトルだった)という書籍があった。

OPアンプだから、増幅回路を全体を三角形で表わしている。
この本で、非反転増幅、反転増幅回路があることを知る。

いうまでもなく、世の中の大半のアンプは、非反転増幅。
つまり入力と出力の極性は同じである。
反転アンプは、入力が180度反転して出力される。

Date: 4月 28th, 2020
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(「コンサートは死んだ」のか・その3)

グレン・グールドが語った「コンサートは死んだ」。
新型コロナ禍のいま改めて「コンサートは死んだ」を考えると、
「コンサート(ホール)は死んだ」なのかもしれない。

グレン・グールドはコンサート・ドロップアウト後も、テレビ用に演奏している。
カメラの向う側、テレビの向う側に聴き手に向けてのコンサートである。

それにゴールドベルグ変奏曲もDVDが出ているくらいだ。
その他にも、グールドの映像は、
ホールでの演奏会を頻繁に行っている演奏家よりも、ずっと多い。

そんなグールドがいうところの「コンサートは死んだ」は、
コンサートホールは死んだ、ということかもしれない。

しかもコンサートホールそのものが消滅するということではなく、
そこに大勢の観客が集まってのライヴ演奏が死んだ、ということなのか。

グールドのいうように「コンサートが死んだ」としても、
コンサートホールは、特にクラシックの録音に関しては、録音の場として残っていくだろう。

だとすれば、ライヴ会場としての「コンサート(ホール)は死んだ」なのか。

グールドは指揮者としての活動も始めていた。
ワーグナーのジークフリート牧歌の録音が残っている。

それにグールドは別の場所にいて、テレビカメラでオーケストラがいる場と中継して、
離れた場所から指揮するという試みも行っている。
いまから40年ほど前のことだ。

コロナ禍により、STAY HOMEである。
クラシックの演奏家に限らず、いろんなジャンルの音楽家(演奏家)が、
自宅からインターネットのストリーミングを里余しての演奏を公開しいてる。

さらには離れた場所にいる数人がインターネットを介して、いっしょに演奏している。

昔、グールドがやっていたこととほぼ同じことをやっている、とも見える。
もしいまグールドが生きていたら、まっさきに演奏を公開していたのではないだろうか。

Date: 4月 28th, 2020
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その17)

半導体式パワーアンプの出力段は、
ほぼすべてといっていいくらいにSEPP(Single Ended Push-Pull)である。
いうまでもなくトランジスターならばNPN型とPNP型、
FETならばNチャンネル、Pチャンネルによるプッシュプルである。

もちろんそうでない回路を採用しているパワーアンプもないわけではないが、
ごくわずかであり、ほぼすべてSEPPといっても言い過ぎではない。

NPN型、PNP型トランジスターが、
完全に対になる特性を実現しているならばいいのだが、
現実はそうではない。

そこに出力段の動作方式が加わる。
A級動作とB級動作である。

実際は純B級といえるパワーアンプは存在しないといっていいだろう。
市販されている製品は、A級かAB級である。

どうも世の中には、AB級を勘違いしている人が少なからずいる。
オーディオ関係の出版社にもいるようで、
製品の解説で、小出力時はA級動作で、出力が増すとAB級動作に移行する──、
こんな感じのことを書いている。

小出力時がA級動作で、出力が増えるとB級動作に移行するのがAB級であるにもかかわらずだ。
こんな基本的な勘違いが、いまだ続いている、というか、昔ならばなかったことである。

そしてアンプに入力される信号は、交流である。
プラス側にもマイナス側には信号はふれるわけで、
プラスからマイナス、マイナスからプラスへとうつる際には、0Vの瞬間がある。

これら三つのことを考え合わせると、
パワーアンプの出力インピーダンスは変動していても不思議ではない、と考えられる。

Date: 4月 27th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その8)

瀬川先生が、若い世代の書き手を育てよう、とされていたのは事実である。
けれど、このことが、イコール後継者を育てる、ということではない、と私は考える。

それに、そもそも、ということになるが、瀬川先生は誰かの後継者ではない。
ここでまたくり返し長島先生が書かれたことを引用する。
     *
オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
(サプリームNo.144より)
     *
オーディオ評論そのものが、瀬川先生が始めた、
瀬川冬樹から始まった、といっていいのだから、
瀬川先生は誰の後継者でもない。

もちろん影響を受けた人は何人かいるはず。
五味先生もその一人だし、
菅野先生からきいた話では、佐藤信夫氏のレトリックの本の影響を受けていた、とのこと。

私が知らないだけで、他にもそういう人はいたはずだ。
それでも、そういう人たちは、たとえ五味先生であっても、
瀬川先生は五味先生の後継者ではない。

つまり瀬川先生に、オーディオ評論における師はいなかった。
ここでおもうのは、優れた師をもたなかった者は、
優れた師にはたしてなれるだろうか、である。

ラジオ技術の金井稔氏が、
《彼は自分の感性に当惑していたのであろう》と書かれていた。

そうなのだろう、とおもう。
自分の感性に当惑していた人が、後継者を育てられるだろうか。

Date: 4月 27th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その7)

後継者ということに関しては、
個人規模のメーカーに対してだけでなく、オーディオ界ほぼ全般についていえることだ。

たとえばステレオサウンド 66号の菅野先生の「ベストオーディオファイル訪問」。
永良公二氏が登場されている。

そこに後継者について語られているところがある。
     *
永良 ぼくは、いまオーディオジャーナリズムを槍玉にあげましたが、実は、それをも含めて、社会全体の、より上の世代から、より若い世代に対する、ひとつの責任としての、広い意味での教育のありかたに欠陥があるのかもしれません。
菅野 そういう責任はたしかにあると思う。瀬川君ともおなじ主題で話しあったことがあります。
永良 瀬川さんに、あんたは後継者を育ててないじゃないか、と批判したことがあります。つくっていなきゃ、あんたがやってきたことを、だれが評価するんだ、と。えらそうに文章を書いて、自分だけのものにしているのでは、マスターベーションにすぎないのではないのか、後継者を育て、そのなかに自分の考えが浸透していくのを見届けてこそ、一人のオーディオで道を立ててる人間としての、あるべき姿ではないのか、と。
菅野 耳が痛いね。でも後継者としてふさわしい人がなかなか現われない。
     *
66号を読まれた方ならば記憶されているだろうが、
永良氏は、瀬川先生が鳴らされていたJBLのエンクロージュアとウーファー(LE15A)を、
譲ってもらった人である。

瀬川先生は、後継者を育てようとされていたのか、そうでなかったのか。
永良氏は、後継者を育ててないじゃないか、と批判されている。

けれど、66号の数年後、さらにその数年後、別々の人から、
瀬川先生が若い書き手を育てよう(見つけよう、かもしれない)とされていた、ときいている。

若い人たち数人に、何か書かせるようにされていた、ということだった。
けれど、そこから先の話は、どらちの人からもなかった。

永良氏と後継者の問題について、どれだけ話されていたのかは、はっきりとしないし、
瀬川先生が何もされていなかったわけでもない。

Date: 4月 27th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その13)

高校総体も中止になった、というニュースがあった。
夏の甲子園もどうなるかなんともいえない。

一時的な収束はあっても、年内の終息はないのでは……、
私はそんなふうに思っているから、11月のインターナショナルオーディオショウは、
時期が時期だけに、第二波に備えて、ということになれば、
開催はどうなるかなんともいえないのではないか。

そんなことを考えていると、
完全終息ということにならなければ大晦日の紅白歌合戦も中止になるのか。

先のことはわからない。
そんな可能性があるかも──、というだけなのだが、
OTOTENの中止は予想できたことであって、特に残念というふうには感じていないが、
それでも2019年のOTOTENにいきなり出展したESD ACOUSTICは、ちょっと気になる。

今年のOTOTENに出展予定だったのかどうかは知らない。
出展してほしい、と思っていたメーカーである。

日本での代理店は決まらなかったようだ。
ESD ACOUSTICのサイトを見ると、昨年よりもよくなっている。
製品の写真も見ても、昨年の、いかにも試作品的な印象は薄れ、
製品っぽくなってきている。

完成度は増してきているようだ。
音はどうなのか。

この一年で、どれだけ進歩したのか、していないのか。
それを自分の耳で確かめる機会は、今年はなくなってしまった。

Date: 4月 26th, 2020
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その16)

動的なダンピングファクター、
つまり動的な出力インピーダンスについて考えるきっかけとなったのは、
ステレオサウンド 64号での長島先生によるパワーアンプの測定である。

パワーアンプの負荷を8Ωから1Ωに瞬時に切り替えた際の電流供給能力を測定し、
グラフと実際の波形で表している。

これとは別に参考データとして、
8Ω/4Ω瞬時切替THD測定データが、九機種分載っている。
こちらはあくまでも参考データということで機種名はふせてある。

この全高調波歪で、一機種のみ圧倒的に優れた特性を示している。
これがケンウッドのL02Aである。

そして瞬時電流供給能力の波形とグラフをみても、
L02Aが瞬時の負荷抵抗の変動に対応しているのがわかる。

64号をもっている人は、L02Aと、他の機種との比較してほしい。
L02Aは、もっと物量投入型のモデル、高価なモデルよりもきわめて優秀な特性である。

このころは、L02Aは電源が大容量なのだ、と最初は考えた。
けれど、64号ではプリメインアンプだけでなくパワーアンプの測定も行なっている。

電源の容量の大きさならば、L02Aよりも上のモデルがある。
それよりもL02Aは優れている。

単に電源の容量だけでなく、配線を含めての設定がうまいのか──、
次にそう考えた。

それでもL02Aだけが、ここまで測定結果が優れている理由の説明には足りない。
他にどんなことが考えられるか。
一年ほどあれこれ考えた結果が、出力インピーダンスの変動ではないか、だった。

Date: 4月 25th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その6)

「日本のオーディオ、これから」ということが、ここでのテーマであり、
2015年に復活したNIRO Nakamichiには、その意味でも関心をもっていた。

NIRO Nakamichiの製品は、オーディオ雑誌にほとんど登場してない。
ステレオサウンド 198号には、スピーカーシステムのHE1000が取り上げられているくらいか。

オーディオ販売店においても同様だ。
東京のオーディオ販売店で、HE1000が展示されているところに遭遇していない。

型番に1000がついている。
HE1000は、ナカミチ時代にラインナップにはなかったスピーカーシステムである。
最初のスピーカーステムに、1000がつけられているということは、
それだけの自信作という表明であるはずだ。

少なくとも私はそう受けとっている。
NIRO Nakamichiのウェブサイトをみても、ずっと更新されていないようだ。
新製品もない。

HE1000は、それだけの自信作なのだから、
これ以上のモノは、もう開発できない──、ということなのかもしれない。

そんなふうに思いながらも、
日本のオーディオ、これから、というテーマで考えると、
どうしても後継者という問題が浮んでくる。

Date: 4月 25th, 2020
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その35)

SMEのロバートソン・アイクマンが、
《ソニーの電子制御アーム。これも私にとって興味をいだかずにはいられないものでした》
と語ったことが載っているステレオサウンドのオーディオフェアの別冊でのインタヴューでは、
もう一人、KEFのレイモンド・クックが、電子制御のトーンアームについて語っている。

クックは、1979年のオーディオフェアで興味のあったことの第一は、
スピーカーエンジニアということもあってだろうが、日本のオーディオメーカー各社から、
平面振動板のスピーカーが登場したことを挙げている。

第二が、電子制御のトーンアームである。
《ついに現われたかという感じなんですが、一方ではPCMディスクでしょう。この関係が今後どうなるのか、電子制御アームは今となってはおそすぎたのか、これは興味のあるところですね》
と語っている。

「ついに現われたか」ということは、
クックは、以前からトーンアームには電子制御が必要かどうかではなく、
電子制御のトーンアームの可能性を考えていた、ということなのか。

まったく考えていなかった者が「ついに現われたか」とはいわないだろう。
クックが、どういう電子制御のトーンアームを考えていたのか、
それはある程度具体的なことだったのか、
それとも漠然と電子制御のトーンアームを想像していただけなのか、
いまとなってはわからないが、妄想をふくらませるならば、
クックは、スピーカーの電子制御を考えていたのか。

もし考えていたとしたら、一般的なMFBとは違う電子制御だったのか。

Date: 4月 24th, 2020
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(その10)

その9)で、変換効率の高さのために物量を投入する、
という、いにしえのスピーカーにわくわくする、と書いている。

この「わくわく」は、スピーカーユニットをモノとして見てのわくわくである。
けれど、これらのユニットが聴かせる音も、また「わくわく」であることが多い。

多いと、つい書いてしまったが、あくまでも個人的にそう感じることが多い、ということであって、
他の人がどうなのかまでは知らない。

長島先生は、よく「ダルな音」という表現を、
変換効率を犠牲にして諸特性を追求したスピーカーの音に使われていた。

微細な領域での音色のわずかな変化。
これがきちんと出る(出せる)スピーカーとそうでないスピーカーとがあって、
後者のスピーカーの音は、いわゆるダルい。

山中先生も、ダルという表現は使われていた。
長島先生も山中先生も、変換効率の高いスピーカーを愛用されてきた。

この「ダルい音」は確かにある。
気配を感じにくい音ともいえるし、
音像のリアリティに欠ける音ともいえる。

私はマーラーの交響曲を、バーンスタインの演奏でよく聴く。
またか、といわれそうだが、
1980年代にさんざんステレオサウンドの試聴室で聴いたインバル指揮のマーラーを、
私は聴きたいとはまったく思わない男だ。

その後、インバルはレーベルをかわってマーラーを再録音している。
そちらのほうは聴いていないので、
私がここでいうところのインバルのマーラーは、
1980年代、デンオン・レーベルから出た一連の録音のことを指す。

バーンスタインがドイツ・グラモフォンで再録音したマーラーと、
インバルがデンオンで録音したマーラーの違い、
共通する違いを変換効率の高いスピーカーとそうでないスピーカーの音に感じる。

私にとっては、インバルのマーラーもダルい。
ダルな演奏である。

Date: 4月 24th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その12)

6月20日と21日に開催予定だったアナログオーディオフェアも中止になった。
オーディオショウの中止だけでなく、
ラジオ技術 6月号(5月発売号)は発売延期になり、7月号との合併号となる。

ステレオサウンド、オーディオアクセサリーなどは季刊誌だから、
まだ影響は小さいだろうが、月刊誌だとそうとはいえないところも、
ラジオ技術に続いて出てくるかもしれない。

新型コロナが収束したら、元通りになる──とは思っていないし、
元通りになることがいい、とも思っていない。

Date: 4月 24th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その10)

フツーにおいしい、とか、フツーにいい音、とかに使われる「フツー」、
ここに予防線のようなものを感じてしまうのは私だけなのか。

自分で食べておいしいと感じたものを、誰かに教える。
そこで、相手もおいしいといってくれればそれでいいのだが、
相手が「たいしておいしくない」とか、どこか否定的ことを言ってきたら……。

そこで、こいつ味オンチだな、と思う人もいれば、
自分の舌がおかしいのかな、と思う人もいる。

フツーにおいしい、をよく使う人は、後者ではないのか。
そんなふうに思うことがある。

「たいしたことないよ」といわれたときに、
「だからフツーにおいしい、って言ったじゃない」と言い返せる。

ここでの「フツー」は、はっきりと予防線である。

その7)で、
《オーディオ側から「どう、このいい音は」と言われているような音が好きではない、
だからそういう音にしないようにしている──》、
そんなコメントが(その6)にあったと書いているが、
このコメントにも、私は「フツー」と同じ予防線のにおいを感じてしまう。

コメントの人には、そんな意図はないのかもしれない。
たぶんないであろう。

本人も、「ない」というであろう。
でも、それは本人も意識していない予防線の可能性もある。

相手の反応に傷つきたくない──、
そういうことなのか。

Date: 4月 24th, 2020
Cate: 進歩・進化

検電ドライバーのこと

一本あれば便利なのが検電ドライバー。
なくても他のモノで代用できたりするので、
以前使っていたのが使えなくなってしまってから、ずっとそのままだった。

他のモノを注文したときに、検電ドライバーも加えた。
その時知ったのだが、いまや検電ドライバーもLED化されている。

私が知っている検電ドライバーはネオン管採用だから、電池は不要。
ネオン管の寿命がそのまま検電ドライバーの寿命だった。

ネオン管式は電池もいらない。
LED式の検電ドライバーは、電池を必要とする。

電池の残量が無くなれば使えなくなる。
電池要らずが検電ドライバーの特徴でもあったはずなのに……、
と思ってしまうのだが、ネオン管の光り方が足りない、ということから生れたようだ。

ネオン管の光り方が足りない、と感じたことはこれまで一度もないが、
そう感じる人がいるのは事実のようだ。

検電ドライバーの仕組みからいっても、使う人によってネオン管の光り方には多少の差が生じよう。
でも点いているかのかどうかわからないほどではない、と思っていた。

LED式はネオン管式よりもかなり明るいようである。
それでもLED式の検電ドライバーは、進歩とは思えない。

それまで不要だった電池が必要とすること、
使えなくなった電池は廃棄する必要があること、
むしろ退歩しているように感じる。

Date: 4月 23rd, 2020
Cate: 訃報

皆川達夫氏のこと

皆川達夫氏の訃報を、朝、目にした。
昨日の夕方にはニュースになっていたようだが、気がつかなかった。

皆川氏を音楽評論家といってしまうのは正しくないのはわかっていても、
私が皆川氏の名前を知ったのは、レコード評で、であった。

レコード芸術がいまもやっている、名盤300選、500選といった企画。
ここ二十年ほどはまったく興味を失ってしまったが、
20代のころ、つまり1980年代は、この企画はおもしろかった。

皆川氏はバロック音楽の選者の一人だった。
七人の選者のうち、私がもっとも信頼していたのは皆川氏だった。

皆川氏がどんな方なのか、ほとんど知らなかったが、
1982年に出たサプリーム(トリオの広報誌)のNo.144は、瀬川冬樹追悼号だった。
十五人のなかの一人が、皆川達夫氏だった。

その文章をよんでいたから、よけいに信頼していたのかもしれない。
サプリームから引用しよう、と思って、手にとって読み始めたら、
どこかを切り離すことができなかった。
     *
瀬川冬樹氏のための〝ラクリメ〟
(サプリーム No.144より)

 瀬川冬樹さん、お別れ申しあげます。
 あなたがわたくしにおつき合いくださった期間はわずかこの2、3年のことにすぎませんでしたが、しかしそのご交誼はまことにかりそめならぬものがあったと信じております。
 オーディオ専門ではないわたくしには、あなたのオーディオ専門家としての実力と申しましょうか、力量のほどは本当のところ分かっていないと思います。何の世界でもそうでしょうが、ひとつの専門とは素人の理解をはるかに越えた深さがあるものです。
 しかしながら、それでいて専門の世界での実力はおのずから素人にも大きな感銘をあたえ、また影響力をもつものです。あなたはそのような形でわたくしに、ふかい影響をあたえてくださいました。
 わたくしのような素人に辛抱づよく相手をされ、どんな素人質問にも適切に答えて、オーディオという世界の広さと深さを提示してくださったのです。
 どう仕様もないぐらい鳴りの悪いスピーカーが、あなたの手にかかるとたちまち音楽的なものに生まれ変ってゆく現場をみて、わたくしのような素人にはそれがひとつの奇蹟のように思えたものでした。それもそんな大騒ぎするのでなく、アンプのツマミをふたつ、みっつさわり、コードを2、3回はめ直すだけで、スピーカーはまるで魔法にかかったように生きかえってゆく。そんなことはわたくしだって何回もやっていたのに、どうして瀬川さんがさわるとちがってしまうのだろうと、どうにも納得がゆかなかったのです。
 そうした表情のわたくしに、あなたは半分いたずらっぽく半分は照れながら、「これはあまり大きい声では言えませんが、オーディオの専門家だからといって誰にでも出来るというものではないんですよ」と、心に秘めた自信のほどを冗談めかしに垣間見せてくださったのも、今ではなつかしく、そして悲しい思い出になりました。
 わたくしがあなたにもっとも共感し、共鳴していた点は、あなたがオーディオというものを常に音楽と一体にしておられたことです。
 あなたご自身は機械をみずからの分身のようにいつくしみ、狂気にもちかい機械遍歴をたどられながら、しかしあえて機械至上主義を排して音楽を優先させておられました。そのようなあなたの基本的態度は、「音楽を感じる耳と心なくしてはオーディオの進歩はありえない」というあなたの言葉に集約されておりましょう。
 これはわたくしが外部から見るかぎり、日本のオーディオ界にもっとも欠けている大切なポイントであり、この自覚なくしては本当に「オーディオの進歩はありえない」と思います。あなたは一貫してこの立場を提唱しつづけ、人びとを啓蒙されつづけたのでした。
 瀬川さん、しかしあなたはそれでいて、他人には常に誠実に、ソフト・タッチで接しておられましたね。決して自説を押しつけることはせず、他人の言い分にもよく耳を傾け、他人との交わりを大切にされましたね。
 そのなかにわたくしは、あなたの心の奥ふかくに根ざした孤独と苦悩とを読みとっていました。どうしてあなたは何時も孤独感を持ちつづけているのか。あなたがどのような環境のなかで、どのような人生を歩んでこられたか──わたくしはそれを知ろうとは思いませんし、また詮索する必要もないことです。
 ただあなたは並の人間以上にそうしたものを持ちつづけ、そのためになお他人にたいして当りよく、時には人恋しく、そして時にはやや背伸びしてこられましたね。さらにわたくしはそうしたあなたのなかに、マザー・コンプレックスとでもいったものさえ感じとっておりました。
 そうしたあなたのもろもろの心情が、おそらくあなたをしてより美しい音楽を求めさせ、より美しい音楽を鳴らす機械を追求させていったのでしょう。あなたがいろいろの機械を並べてひたすらより美しい音楽を求めておられる姿は、時には求道僧にも似た厳しさと寂しさとを秘めていました。それはもはや他人のためにでも、もちろん名声や金のためにでもなく、ただ自分自身の心のためにひたむきになっている姿でした。
 わたくしは以前そのようなあなたの姿を、永遠の美女を求めつづけたドン・ジョヴァンニにたとえ、また永遠の救済を求めてさすらったオランダ人船長にたとえたものでした。
 そのあなたがわずか46歳の若きで、突然世を去ってしまわれました。あなたはその年ですでに永遠の音楽を、そして永遠の救済を見いだされたというのでしょうか。あなたはその若さで、もう人間の孤独と苦悩から解放されたというのですか。それをあなたのために喜んでさしあげるべきか、それともやはり悲しむべきなのか──わたくしには分かりません。ただひとつだけはっきり言えることは、あなたはそれでいいかもしれないが、あなたにこんなに早く逝かれてしまわれては、多くの人びと、そしてあなたより年上のこのわたくし、さらに日本のオーディオ界が困るのです。まことに、まことに口惜しい限りです。
 瀬川さん、わたくしには天国にいるあなたの姿が見えるようです。相変わらずソフト・タッチで、しかし一切の妥協はせずに、天体の音楽の周波数を測定したり、天使の音楽の編成について論じたりしている。そうしてまたわたくしには、ふとした風のそよぎのなかに、あなたがこの世に立ちかえってきて、あなたが好きだった極上のブランデーの盃を傾けながら、オーディオ談義をはじめる姿が感じとられてならないのです。
 たとえあなたが世を去られたにしても、あなたの果たされたお仕事は確実に今この世に生きていて、わたくしを含めた多くの人びとと共にあり、そして日本のオーディオ界を支えているのです。
 どうか、安らかに、安らかにお眠りください。
     *
三ページにわたっている。
最後のページには、あるレコードのジャケット写真があった。
ほかの方のところには、あったりなかったりしているが、
レコードの写真は皆川氏のところだけだった。

ほかの方のところにある写真から判断すると、
ここでのレコードは皆川氏が選ばれたのではないか、と思っている──、
というよりも信じている。

バルバラの「Seule」だ。

「Selue」を聴いている人ならば、
皆川氏の文章の、ここのところは結びつくはずだ。
《そのなかにわたくしは、あなたの心の奥ふかくに根ざした孤独と苦悩とを読みとっていました。どうしてあなたは何時も孤独感を持ちつづけているのか》

皆川達夫(1927年4月25日 – 2020年4月19日)