Date: 4月 23rd, 2020
Cate: 訃報
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皆川達夫氏のこと

皆川達夫氏の訃報を、朝、目にした。
昨日の夕方にはニュースになっていたようだが、気がつかなかった。

皆川氏を音楽評論家といってしまうのは正しくないのはわかっていても、
私が皆川氏の名前を知ったのは、レコード評で、であった。

レコード芸術がいまもやっている、名盤300選、500選といった企画。
ここ二十年ほどはまったく興味を失ってしまったが、
20代のころ、つまり1980年代は、この企画はおもしろかった。

皆川氏はバロック音楽の選者の一人だった。
七人の選者のうち、私がもっとも信頼していたのは皆川氏だった。

皆川氏がどんな方なのか、ほとんど知らなかったが、
1982年に出たサプリーム(トリオの広報誌)のNo.144は、瀬川冬樹追悼号だった。
十五人のなかの一人が、皆川達夫氏だった。

その文章をよんでいたから、よけいに信頼していたのかもしれない。
サプリームから引用しよう、と思って、手にとって読み始めたら、
どこかを切り離すことができなかった。
     *
瀬川冬樹氏のための〝ラクリメ〟
(サプリーム No.144より)

 瀬川冬樹さん、お別れ申しあげます。
 あなたがわたくしにおつき合いくださった期間はわずかこの2、3年のことにすぎませんでしたが、しかしそのご交誼はまことにかりそめならぬものがあったと信じております。
 オーディオ専門ではないわたくしには、あなたのオーディオ専門家としての実力と申しましょうか、力量のほどは本当のところ分かっていないと思います。何の世界でもそうでしょうが、ひとつの専門とは素人の理解をはるかに越えた深さがあるものです。
 しかしながら、それでいて専門の世界での実力はおのずから素人にも大きな感銘をあたえ、また影響力をもつものです。あなたはそのような形でわたくしに、ふかい影響をあたえてくださいました。
 わたくしのような素人に辛抱づよく相手をされ、どんな素人質問にも適切に答えて、オーディオという世界の広さと深さを提示してくださったのです。
 どう仕様もないぐらい鳴りの悪いスピーカーが、あなたの手にかかるとたちまち音楽的なものに生まれ変ってゆく現場をみて、わたくしのような素人にはそれがひとつの奇蹟のように思えたものでした。それもそんな大騒ぎするのでなく、アンプのツマミをふたつ、みっつさわり、コードを2、3回はめ直すだけで、スピーカーはまるで魔法にかかったように生きかえってゆく。そんなことはわたくしだって何回もやっていたのに、どうして瀬川さんがさわるとちがってしまうのだろうと、どうにも納得がゆかなかったのです。
 そうした表情のわたくしに、あなたは半分いたずらっぽく半分は照れながら、「これはあまり大きい声では言えませんが、オーディオの専門家だからといって誰にでも出来るというものではないんですよ」と、心に秘めた自信のほどを冗談めかしに垣間見せてくださったのも、今ではなつかしく、そして悲しい思い出になりました。
 わたくしがあなたにもっとも共感し、共鳴していた点は、あなたがオーディオというものを常に音楽と一体にしておられたことです。
 あなたご自身は機械をみずからの分身のようにいつくしみ、狂気にもちかい機械遍歴をたどられながら、しかしあえて機械至上主義を排して音楽を優先させておられました。そのようなあなたの基本的態度は、「音楽を感じる耳と心なくしてはオーディオの進歩はありえない」というあなたの言葉に集約されておりましょう。
 これはわたくしが外部から見るかぎり、日本のオーディオ界にもっとも欠けている大切なポイントであり、この自覚なくしては本当に「オーディオの進歩はありえない」と思います。あなたは一貫してこの立場を提唱しつづけ、人びとを啓蒙されつづけたのでした。
 瀬川さん、しかしあなたはそれでいて、他人には常に誠実に、ソフト・タッチで接しておられましたね。決して自説を押しつけることはせず、他人の言い分にもよく耳を傾け、他人との交わりを大切にされましたね。
 そのなかにわたくしは、あなたの心の奥ふかくに根ざした孤独と苦悩とを読みとっていました。どうしてあなたは何時も孤独感を持ちつづけているのか。あなたがどのような環境のなかで、どのような人生を歩んでこられたか──わたくしはそれを知ろうとは思いませんし、また詮索する必要もないことです。
 ただあなたは並の人間以上にそうしたものを持ちつづけ、そのためになお他人にたいして当りよく、時には人恋しく、そして時にはやや背伸びしてこられましたね。さらにわたくしはそうしたあなたのなかに、マザー・コンプレックスとでもいったものさえ感じとっておりました。
 そうしたあなたのもろもろの心情が、おそらくあなたをしてより美しい音楽を求めさせ、より美しい音楽を鳴らす機械を追求させていったのでしょう。あなたがいろいろの機械を並べてひたすらより美しい音楽を求めておられる姿は、時には求道僧にも似た厳しさと寂しさとを秘めていました。それはもはや他人のためにでも、もちろん名声や金のためにでもなく、ただ自分自身の心のためにひたむきになっている姿でした。
 わたくしは以前そのようなあなたの姿を、永遠の美女を求めつづけたドン・ジョヴァンニにたとえ、また永遠の救済を求めてさすらったオランダ人船長にたとえたものでした。
 そのあなたがわずか46歳の若きで、突然世を去ってしまわれました。あなたはその年ですでに永遠の音楽を、そして永遠の救済を見いだされたというのでしょうか。あなたはその若さで、もう人間の孤独と苦悩から解放されたというのですか。それをあなたのために喜んでさしあげるべきか、それともやはり悲しむべきなのか──わたくしには分かりません。ただひとつだけはっきり言えることは、あなたはそれでいいかもしれないが、あなたにこんなに早く逝かれてしまわれては、多くの人びと、そしてあなたより年上のこのわたくし、さらに日本のオーディオ界が困るのです。まことに、まことに口惜しい限りです。
 瀬川さん、わたくしには天国にいるあなたの姿が見えるようです。相変わらずソフト・タッチで、しかし一切の妥協はせずに、天体の音楽の周波数を測定したり、天使の音楽の編成について論じたりしている。そうしてまたわたくしには、ふとした風のそよぎのなかに、あなたがこの世に立ちかえってきて、あなたが好きだった極上のブランデーの盃を傾けながら、オーディオ談義をはじめる姿が感じとられてならないのです。
 たとえあなたが世を去られたにしても、あなたの果たされたお仕事は確実に今この世に生きていて、わたくしを含めた多くの人びとと共にあり、そして日本のオーディオ界を支えているのです。
 どうか、安らかに、安らかにお眠りください。
     *
三ページにわたっている。
最後のページには、あるレコードのジャケット写真があった。
ほかの方のところには、あったりなかったりしているが、
レコードの写真は皆川氏のところだけだった。

ほかの方のところにある写真から判断すると、
ここでのレコードは皆川氏が選ばれたのではないか、と思っている──、
というよりも信じている。

バルバラの「Seule」だ。

「Selue」を聴いている人ならば、
皆川氏の文章の、ここのところは結びつくはずだ。
《そのなかにわたくしは、あなたの心の奥ふかくに根ざした孤独と苦悩とを読みとっていました。どうしてあなたは何時も孤独感を持ちつづけているのか》

皆川達夫(1927年4月25日 – 2020年4月19日)

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