Date: 4月 27th, 2020
Cate: 日本のオーディオ
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日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その7)

後継者ということに関しては、
個人規模のメーカーに対してだけでなく、オーディオ界ほぼ全般についていえることだ。

たとえばステレオサウンド 66号の菅野先生の「ベストオーディオファイル訪問」。
永良公二氏が登場されている。

そこに後継者について語られているところがある。
     *
永良 ぼくは、いまオーディオジャーナリズムを槍玉にあげましたが、実は、それをも含めて、社会全体の、より上の世代から、より若い世代に対する、ひとつの責任としての、広い意味での教育のありかたに欠陥があるのかもしれません。
菅野 そういう責任はたしかにあると思う。瀬川君ともおなじ主題で話しあったことがあります。
永良 瀬川さんに、あんたは後継者を育ててないじゃないか、と批判したことがあります。つくっていなきゃ、あんたがやってきたことを、だれが評価するんだ、と。えらそうに文章を書いて、自分だけのものにしているのでは、マスターベーションにすぎないのではないのか、後継者を育て、そのなかに自分の考えが浸透していくのを見届けてこそ、一人のオーディオで道を立ててる人間としての、あるべき姿ではないのか、と。
菅野 耳が痛いね。でも後継者としてふさわしい人がなかなか現われない。
     *
66号を読まれた方ならば記憶されているだろうが、
永良氏は、瀬川先生が鳴らされていたJBLのエンクロージュアとウーファー(LE15A)を、
譲ってもらった人である。

瀬川先生は、後継者を育てようとされていたのか、そうでなかったのか。
永良氏は、後継者を育ててないじゃないか、と批判されている。

けれど、66号の数年後、さらにその数年後、別々の人から、
瀬川先生が若い書き手を育てよう(見つけよう、かもしれない)とされていた、ときいている。

若い人たち数人に、何か書かせるようにされていた、ということだった。
けれど、そこから先の話は、どらちの人からもなかった。

永良氏と後継者の問題について、どれだけ話されていたのかは、はっきりとしないし、
瀬川先生が何もされていなかったわけでもない。

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