ちいさな結論(問いつづけなくてはならないこと・その3)
美しく聴く、ということは、
自分と和する心をもつことなのだろう。
美しく聴く、ということは、
自分と和する心をもつことなのだろう。
facebookでのコメントによると、
SRM 15Xも搭載ユニットはスーパー・レッド・モニターと同じK3808である、と。
私も記憶では確かそうだった、と思っていたけれど、
ステレオサウンドのHI-FI STEREO GUIDEだと、3828となっている。
HI-FI STEREO GUIDEは、編集部による校正だけでなく、
メーカー、輸入元に、その会社の取扱い製品に関してはお願いしていた。
それでも誤植やミスが完全になくなるわけではないことは承知しているが、
それでも輸入元のティアックがチェックしたうえでの、3828である。
K3808と指摘された方は、SRM 15Xを使われているから、K3808で間違いはない。
なのに3828となっているということは、
おそらくどこかでK3808から3828へ変更された可能性が考えられる。
フェライト化されてII型になったアーデンとバークレーは、
当初DC386が搭載されていたが、途中から3828に変更になっている事実がある。
なのでSRM 15Xもそうだったのかもしれない。
オーディオ店に行けば、接点関係のアクセサリーはいくつもある。
なかにはかなり高価なモノもあるし、眉に唾をつけたくなる謳い文句のモノもある。
接点をきれいにしておくことは大事なのだが、
では何を使ったらいいのか? と正直迷う。
効果的であっても、信頼性が高くなければ使いたくない。
けれど信頼性は実際、ある程度の期間を使ってみないことにはなんともいえない。
その期間中に、もしかすると接点をいためてしまうこともないわけではない。
いまのところ、信頼性がありそうだな、と感じているのが、
3M Novec Contact Cleanerである。
私は海神無線で購入している。
スーパー・レッド・モニターは、
ステレオサウンド 54号「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」に登場している。
瀬川先生の試聴記だ。
*
タンノイであれば、何よりも弦が美しく鳴ってくれなくては困る。そういう期待は、誰もが持つ。しかしなかなか気難しく、ヴァイオリンのキイキイ鳴く感じがうまくおさえにくい。もともと、エージングをていねいにしないとうまく鳴りにくいのがタンノイだから、たかだか試聴に与えられた時間の枠の中では無理は承知にしても、何かゾクッと身ぶるいするような音の片鱗でも聴きとりたいと、欲を出した。三つ並んだ中央のツマミはそのままにして、両わきを一段ずつ絞るのがまた妥当かと思った。しかし、何となくまだ音がチグハグで、弦と胴の響きとがもっと自然にブレンドしてくれないかと思う。エンクロージュア自体の音の質が、ユニットの鳴り方とうまく溶け合ってくれないようだ。もっと時間をかけて鳴らし込んだものを聴いてみないと、本当の評価は下せないと思った。ただ、総体的にさすがに素性のいい音がする。あとは惚れ込みかた、可愛がりかた次第なのかもしれない。
*
なんだろう、微妙な評価だなぁ……、とまず感じた。
タンノイのスピーカーは、44号、45号の総テストにも登場している。
その時の試聴記とは、何か違う、とも感じていた。
54号にはクラシック・モニターは登場していない。
スーパー・レッド・モニターの、ステレオサウンドでの評価は高かった。
53号での、ステート・オブ・ジ・アート賞にも選ばれている。
55号のベストバイでも高い得票だった。
59号のベストバイでもそうだった。
読者の選ぶベストバイ・コンポーネントでも、55号、59号で4位である。
注目度は高かった。
私もけっこう注目していたからこそ、59号のベストバイを結果をみて、
54号での微妙な感じは、やっぱりそうだったのか、に変っていった。
59号でもスーパー・レッド・モニターの評価は高い。
ペアで60〜120万円未満のベストバイ・スピーカーで、
JBLの4333Bの18点に次ぐ14点で、2位に位置している。
それでも瀬川先生は、というと、SRMシリーズのタンノイだけでなく、
アーデンII、バークレーIIにも、一点も入れられていない。
51号と55号のベストバイは、
誰がどの機種に点を入れたのかはまったくわからないようになっていた。
瀬川先生がスーパー・レッド・モニターに点を入れられていたのかは、はっきりしない。
けれど、入れられていなかったはずだ。
アーデンがW66.0×H99.0×D37.0cmに対し、
スーパー・レッド・モニターとクラシック・モニターはW72.2×H109.5×D43.6cmとなっている。
重量はアーデンが43.0kg、スーパー・レッド・モニターらは65.0kgとかなり重くなっている。
スーパー・レッド・モニターは聴いている。
けれどエンクロージュアを叩いて見たことはない。
それでも、この重量からも、そしてオーディオ雑誌の記事でも、
アーデンよりもエンクロージュアがしっかりとしたつくりになっている、とのことだった。
スーパー・レッド・モニターとクラシック・モニターから少し遅れて、
SRM 15Xも発売になっている。
型番のSRMは、Super Red Monitorから来ている。
このSRM 15Xの外形寸法は、W65.0×H102.0×D42.0cmとアーデンと近い。
重量は51.0kgとアーデンよりも8kg重くなっている。
SRM 15Xはバスレフボートの数は三つ、スーパー・レッド・モニターらは四つ。
このことからもSRM 15Xはアーデンのエンクロージュアをよりしっかりとしたつくりにしたモノといえる。
だからといって、アーデン(正確にはこの時期にはアーデンIIである)との違いは、
エンクロージュアだけではなく、ユニットも違っている。
SRMの名が示すように、タンノイがスーパー・レッド・モニターと呼ぶK3808が搭載されている。
アルニコ磁石時代のタンノイの同軸型ユニットは、口径の違いだけだったが、
フェライト磁石の同軸型ユニットは、口径が同じでもいくつかのユニットがあった。
38cm口径ではK3808のほかに、クラシック・モニター搭載のK3838、
それからSRM 15X、アーデンII、バークレーII搭載の3828があった。
単売されていたユニットはK3808とDC386で、K3838は単売されなかった。
DC386が、HPD385Aの後継機(フェライト仕様)にあたるわけだが、
このユニットと3828が同じなのか、違うとすればどの程度なのかははっきりとしない。
アーデンIIとバークレーIIの初期の頃はDC386が搭載されていたはずだ。
この時代のタンノイのラインナップから、チェビオット、デボン、イートンは消え、
SRM 10B、SRM 12B、SRM 12Xがかわりに登場した。
さらにはSuper Red Cable 1というスピーカーケーブルも出ていたし、
さらに輸入元のティアックは、タンノイ用を謳ったセパレートアンプPA7とMA7が、
タンノイからはエレクトリッククロスオーバーのXO5000も登場した。
スーパー・レッド・モニターとクラシック・モニターには、
バイアンプ駆動用の端子も用意されていた。
この時代のタンノイは、じっくり聴いてみたかったけれど、それはかなわなかった。
タンノイをXO5000でバイアンプ駆動した音も、ひじょうに興味があった。
いつかステレオサウンドで記事になるはず、と期待していた。
けれど読める日はこなかった。
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号に、
タンノイのリビングストンと瀬川先生の、こんなやりとりが載っている。
*
瀬川 実はウインザーとバッキンガムについては、申しわけないのですが、われわれ少し認識不足だったんです。というのは、1年前に発表されたにもかかわらず、品物がほとんどなくて、テスト用のサンプルを借り出すことも不可能だったものですから、われわれとしても勉強不足の点が多々あります。
リビングストン タンノイとしても、まさにバッキンガムがロールスロイス、ウインザーがジャガーのつもりなんです。イギリスでもロールスロイスは18ヵ月、ジャガーは9ヵ月待たなければいけないという状態です(笑)。タンノイとしても、その点は申しわけないと思っております。
*
積層構造のリジッドなつくりのエンクロージュアの製造がたいへんだったのだろう。
リビングストンによれば、バッキンガムとウインザーは、
イギリスではスタジオモニターとして、カナダではカナダ放送局が採用。
タンノイとしては、当初世界市場で売れても月12台くらいという予測だったそうだ。
それが実際には月40台くらいのペースで注文がくるため、
バックオーダーがたまっていく、ということだった。
以前、「ワイドレンジ考」でキングダムについてふれたさいに指摘しているように、
このバッキンガムの設計思想をより徹底したところでの、1996年に登場したKingdomである。
ことわっておくが、現行製品のKingdom Royalのことではない。
そんな存在であったバッキンガムは、51号の読者の選ぶベストバイで、
わずか9票(0.3%)で37位でしかない。
51号では、アーデンは3位、オートグラフは5位に入っている。
バッキンガムはスピーカーの総テストにも登場していない。
ステレオサウンドでも、取り上げられることはゼロだったわけではないが、
タンノイのフラッグシップモデルにしては極端に少なかった。
聴く機会がなかっただけに、バッキンガムの評価が気になっていたのだが、
1979年ごろには製造中止になって、横型のモデルだけになってしまったし、
さらにSuper Red Monitor、Classic Monitorというモデルが登場した。
どちらも465,000円(一本)。アーデンの約二倍の価格での登場である。
バッキンガム、ウインザーといっても、
タンノイにそんなスピーカー、あったっけ? という人は多いかもしれない。
私はすごく注目していたけれど、
だからといって音を聴いているわけではない。
実物をみたこともない。中古でもみたことはない。
バッキンガムは25cm口径の同軸型ユニットに、
30cm口径のウーファーを二発加えた、かなり大型の3ウェイモデルである。
最初、三つのユニットは縦一列に並んでいた。
その後、ウーファー二発が横に並べられたモデルも登場してきた。
縦型と横型のバッキンガムがあったわけだが、そのどちらもみたことはない。
バッキンガムのことは別項で以前ふれている。
ある意味ハーマン時代だからといえるところも見受けられる。
同軸型ユニットに、スラントプレートの音響レンズが設けられているところがそうだ。
それから、バッキンガムが登場した時点では、まだタンノイはアルニコ磁石が主流だった。
HPDシリーズが現行ユニットだった。
なのにバッキンガム、ウィンザーはフェライト磁石を採用しているだけでなく、
25cm口径の同軸型ユニットでは、フェライト磁石を低域・高域で独立している。
デュアルコンセントリックと呼ばれているタンノイの同軸型ユニットは、
アルテックの同軸型(デュプレックス)とは違い、磁石を一つにしていることのメリットを、
謳っていたにも、関らずである。
それは置くとして、バッキンガムは物量投入のスピーカーシステムだった。
たとえばLCネットワーク。
バッキンガムでは、大小七つの空芯コイルが使われている。
6mH、4mH(2つ)、2mH、0.8mH(2つ)、0.7mHという内訳だ。
バッキンガムの同軸型ユニットとウーファーのクロスオーバー周波数は350Hzだから、
コイルの値は大きなものとなる。
通常ならば鉄芯入りコイルである。
JBLの4343も鉄芯入りである。
それからエンクロージュア積層構造で、
それまでのタンノイのイメージからは想像できないほどにリジッドなつくりとなっている。
アーデンが43.0kgなのに対し、バッキンガムは95kgである。
4343が79kg、4350が110kgである。
アーデンとバッキンガムの外形寸法を比較してみると、
W66.0×H99.0×D37.0cm(アーデン)とW60.0×H117.5×D45.4cm(バッキンガム)。
このことからも、エンクロージュアのつくりが、アーデンとバッキンガムはそうとうに、
というよりも、根本的に設計思想が違っている。
1970年代後半、JBL(proを含めて)のラインナップは充実していた。
タンノイはどうだろうか。
オートグラフ、GRFのエンクロージュアは国産になり販売は続いていたとはいえ、
どちらも設計は古い。
オートグラフは1953年のニューヨークのオーディオショウに出品されているし、
GRFは1955年に発表されている。
どちらもモノーラル時代のスピーカーシステムである。
なので当時のタンノイの主力モデルといえば、
現在Legacyシリーズとして復活しているアーデンを筆頭とする一連のモデルだった。
アーデンは220,000円(一本)だった。
1978年ごろには円高で200,000円になっていた。
同時期の4343は739,000円、その後、560,000円(どちらもグレイ仕上げ)。
タンノイのアーデンは、安価だった。
日本では4343の人気、それも異常といえるほどの人気が語られることは多いが、
アーデンもよく売れていたスピーカーだった。
タンノイ、アーデンの話になると、
昔鳴らしていた、とか、父が鳴らしていた、という話を数人の人から聞いている。
私の周りの話だけでいえば、4343よりもアーデンを鳴らしていた人の方が多い。
価格が大きく違うのだから、それも当然なのだろうが、
ステレオサウンドのベストバイでの読者が鳴らしているスピーカーの順位では、
アーデンは4343を超えたことはない。
59号での集計では、4343を使っている人は355人、アーデンは101人と、
差は、かなり大きくなっている。
私がオーディオに興味をもったころには、
タンノイのラインナップからはランカスター、ヨーク、IIILZは消えていた。
アーデンは良心的なモデルといっていいだろう。
それでもオーディオに興味をもち始めたばかりの私とって、
アーデンは憧れの存在とはならなかった。
とはいえオートグラフもオリジナルのエンクロージュアではなくなっていたから、
憧れではなかった。
そこのところで、なんとなくタンノイにもの足りなさに近いものをおぼえていた。
だからバッキンガムへは、その反動みたいなものからか、
強い関心をもっていた。
孔子の論語が頭に浮ぶ。
子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
「人は歳をとればとるほど自由になる」とは、
「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」でもあるのだろう。
「心の欲する所に従って、矩を踰えず」といえる音を出せた時に、
音楽の聴き手にとっても、バッハが友達となってくるような予感がある。
「人は歳をとればとるほど自由になる」
内田光子は、あるインタヴューでそう語っていた。
YouTubeに「Play with Gulda」というタイトルの動画がある。
グルダの二番目の妻、祐子グルダが「今の友達はバッハ」と語っている。
この動画の撮影時、祐子グルダは73歳。
内田光子は、70でバッハを、と以前語っていた。
「人は歳をとればとるほど自由になる」からこそ、バッハが友達となってくるのか。
「伝説の歌姫 李香蘭の世界」は、録音データが記載されている。
1940年から1954年までの録音がおさめられている。
同時代、もしくはもう古い録音のディスクは何枚も持っている。
いずれもクラシックの録音で、海外の録音である。
これらを聴いてもっていた印象と「伝説の歌姫 李香蘭の世界」の音の印象は、
昔から、海外オーディオメーカーの人たちが、
日本の音(スピーカー)は甲高い、といっていたのに関係しているように感じる。
そう甲高く感じられる。
録音器材のせいなのか、それともあえてこういう音に録っているのだろうか。
1940年代の日本の録音を、「伝説の歌姫 李香蘭の世界」で初めてきちんと聴いた。
他の、この時代の日本の録音がそうだったのかはまではまだ確認していない。
「伝説の歌姫 李香蘭の世界」の一枚目の一曲目、
「紅い睡蓮」が収録されたディスクは、1940年に10月に発売され、
1941年2月末までに28万枚以上製造された、という記録が残っている、とのこと。
当時の28万枚は、そうとうな数字である。
つまり、多くの人が、「紅い睡蓮」を、ああいう音で聴いている、ということでもある。
それとも当時の蓄音器では、これできちんと鳴っていたのだろうか。
ステレオサウンドのベストバイの企画は、35号が一回目で、二回目は43号である。
43号からは、読者の選ぶベストバイ・コンポーネントも始まっている。
43号ではタイトル通りの内容(集計)だったが、
三回目の47号からは、読者の現在使用中の装置の集計も載っている。
47号は1978年の夏号。
この時のステレオサウンド読者が鳴らしているスピーカーの一位は、
ヤマハのNS1000(M)である。
二位はヤマハのNS690(II)、三位はタンノイのレクタンギュラーヨーク、
四位はテクニクスのSB7000とJBLの4343、六位はタンノイのアーデン、
七位はダイヤトーンのDS28B、八位はタンノイのIIILZ、九位はJBLのL26(A)、十位はKEFのModel 104(aB)。
ブランド別では、一位は、やはりヤマハで13.4%、二位タンノイ(11.1%)、
三位JBL(9.0%)、四位ダイヤトーン(8.6%)、五位JBL Pro(7.1%)となっている。
このころはJBL(コンシューマー)とJBL pro(プロフェッショナル)に分れていて、
4300シリーズのスタジオモニターはJBL proである。
二つのJBLをあわせると16.1%となり、ヤマハを抜いて一位となる。
43号、47号での読者が選ぶベストバイ・コンポーネントのスピーカーの一位は、4343で、
51号でも4343が一位、55号、59号もそうである。
五年連続4343が、読者が選ぶベストバイ・コンポーネントのスピーカー部門の一位である。
人気だけではなく、47号では四位(2.4%)だったのが、
51号では二位(5.0%)、55号では現用機種の発表はなく、
59号では一位(12.6%)と着実に順位を上げていっていた。
読者の選ぶベストバイ・コンポーネントでも、
55号では得票数1059(42.1%)でダントツだった。
1970年代後半の4343の人気と実績は、こういうところにもあらわれていた。
この時代のタンノイはどうだったかというと、
4343の勢いにおされていっていた。
ステレオサウンドに執筆されていたオーディオ評論家で、
タンノイを鳴らされていた、といえるのは、上杉先生だけといっていい。
上杉先生は最初にGRF、その次にオートグラフを購入されている。
それからウェストミンスター、RHR、たしかオートグラフ・ミレニアムも買われていた。
長島先生も、一時期GRFを鳴らされていた。
そのGRFについて、ステレオサウンド 61号で、
タンノイのやさしさがもの足りなかった、といわれている。。
タンノイは、だから演奏会場のずうっと後の席で聴く音で、
長島先生は、前の方で聴きたいから、ジェンセンのG610Bにされている。
瀬川先生も一時期タンノイを鳴らされていた。
最初はユニットだけを購入されて、そのあとで、レクタンギュラーGRFを鳴らされている。
「私とタンノイ」の最後のほうで、こう書かれている。
*
お断りしておくが、オートグラフを、少なくともG・R・Fを、最良のコンディションに整えたときのタンノイが、どれほど素晴らしい世界を展いてくれるか、については、何度も引き合いに出した「西方の音」その他の五味氏の名文がつぶさに物語っている。私もその片鱗を、何度か耳にして、タンノイの真価を、多少は理解しているつもりでいる。
だが、デッカの「デコラ」の素晴らしさを知りながら、それがS氏の愛蔵であるが故に、「今さら同じものを取り寄せることは(中略)私の気持がゆるさない」(「西方の音」より)五味氏が未知のオートグラフに挑んだと同じ意味で、すでにこれほど周知の名器になってしまったオートグラフを、いまさら、手許に置くことは、私として何ともおもしろくない。つまらない意地の張り合いかもしれないが、これもまた、オーディオ・マニアに共通の心理だろう。
*
結局、瀬川先生のリスニングルームにタンノイが落ち着くことはなしに、
ある愛好家の方に譲られている。
井上先生は、タンノイを所有されていた。
「私のタンノイ観」では、こう書かれている。
*
つねづね、何らかのかたちで、タンノイのユニットやシステムと私は、かかわりあいをもってはいるのだが、不思議なことにメインスピーカーの座にタンノイを置いたことはない。タンノイのアコースティック蓄音器を想わせる音は幼い頃の郷愁をくすぐり、しっとりと艶やかに鳴る弦の息づかいに魅せられはするのだが、もう少し枯れた年代になってからの楽しみに残して置きたい心情である。暫くの間、貸出し中のコーナー・ヨークや、仕事部犀でコードもつないでないIIILZのオリジナルシステムも、いずれは、その本来の音を聴かしてくれるだろうと考えるこの頃である。
*
タンノイとのかかわりあいはけっこうあっても、
なぜか、ここでもメインのスピーカーの座にタンノイはない。
菅野先生は、(その1)で引用した文章にあるように、
《一度もタンノイを自分のリスニングルームに持ち込まず、しかし、終始、畏敬の念を持ち続けてきたという私とタンノイの関係》である。
イギリスのLEAK(リーク)が、ひさしぶりに復活する、とのこと。
LEAKというブランドのことは知識としては持っている、
当時のアンプが、どんな回路構成だったのかは知っている、
実物を見たこともあるが、音を聴いたことはない。
LEAKのスピーカーシステムに関しても同じだ。
みたことはある。でも聴いたことはない。
なので特別な思い入れはない。
それでもLEAKが復活するのか、とちょっと嬉しくなるのはなぜなのだろうか。
今回登場したのはプリメインアンプのSTEREO 130とCDトランスポートのCDTの二機種である。
STEREO 130は昔の、STEREO 30、70といったプリメインアンプのイメージである。
そのためなのかどうかはわからないが、トーンコントロールが、ちゃんとある。
それからD/Aコンバーターも内蔵している。
だからCDプレーヤーではなくCDトランスポートを出してきている。
このCDTの操作ボタンが、ボタンそのものといえる。
操作の感触まではいまのところわからないが、愛矯を感じさせる。
昔のLEAKのブランドイメージは残っている、と思う。
少なくともLEAKの製品といわれて、納得できる雰囲気に仕上がっている様子だ。
日本の取り扱いはLEAKのサイトによれば、
ロッキーインターナショナルであるが、
ロッキーインターナショナルのサイトにはまだ何の情報もない。
インターナショナルオーディオショウが中止にならなければ、11月に聴けたはずだ。
LEAK Hi-Fiで検索していたら、「LEAK Audio Hi-Fi」という本が出ているのを見つけた。
884ページのペーパーバックで、amazonで購入できる。
「これでいいのだ」と、
10代の私、20代の私、30代の私、40代の私、
そしていま50代の私がそういったとしよう。
「これでいいのだ」は、たったこれだけで完結している、といえる。
だからといって、それぞれの年代の私の「これでいいのだ」が、同じなわけではない。
40代のまでの私は、「これでいいのだ」とはいわなかったし、思わなかったところがある。
それらがあっての、いま考えている「これでいいのだ」である。
いまどきの若い人のなかには、諦観ぶっている人がいないわけではない。
本人は諦観の境地に達している、つもりなのだろうが、
そんな歳で諦観ぶって、どうするの? といいたくなる。
けれど、そんなことを直接言ったりはしない。
それに私と同世代であっても、オーディオを少しばかりかじった程度の人が、
オーディオに対して「これでいいのだ」といったとしても、
その「これでいいのだ」と私の「これでいいのだ」とは、そうとうに意味するところが違う。
心の底から「これでいいのだ」といえる日が来るのかどうかは、なんともいえない。
それでも「これでいいのだ」が芽ばえてきていることだけは否定できない。