Date: 9月 10th, 2020
Cate: スピーカーとのつきあい
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複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その22)

スピーカーシステムを役者として捉える考え、
これが正しいかどうかではなく、そういう考えからスピーカーが鳴る、ということを捉えれば、
スピーカーは、その時にかける音楽に応じて演じている、という見方ができる。

スピーカーは演じている。
そんなふうに考えることもできな、と、ここ十年くらい、思うようになってきた。

好きな演奏家のレコード(録音)をかける。
スピーカーから、その演奏家の演奏が流れてくる。

それはスクリーンに映し出された俳優の演技を観ているような感覚が、
まったくない、といえるだろうか。

たとえばグレン・グールドのレコード(録音)をかける。
グールドを演じている、としたら、
グールドを演奏を、単なる模倣で終ってしまっている、としか感じられない程度で、
グールドを演じる役者(つまりはスピーカー)がいる。

映画やドラマをみていると、演技はうまいんだけれども、
感情移入ができない、という役者がいる。

私が感情移入できる役者に、ほかの人も感情移入できるのかどうかは知らない。
私が、ここで考えたいのは、なぜそんなふうに感じ方の違いが生じるのか、である。

映画を観るのは好きだが、
観るのが好き、というところで留めている。
それ以上、深く映画について勉強していこう、とは思っていない。

つまり演技のことについては、まったくの素人であり、
知識らしい知識は持っていない、という逃げ道をまずつくっているのだが、
スタニスフラフスキー・システムというのがあるのを知ったのは、
もう30年以上の前のことだ。

手塚治虫の「七色いんこ」のなかで、スタニスフラフスキー・システムのことが出ていた。

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