Date: 6月 8th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド
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編集者の悪意とは(その5)

私が、今回ステレオサウンド 211号の119ページの写真の件を書いているのは、
小野寺弘滋氏の周りの人たちは、小野寺弘滋氏の行儀について、何も気づいていなかった、
感じていなかったのか、ということだ。

小野寺弘滋氏は、1989年にステレオサウンド入社、
2010年に退社してオーディオ評論家として活動されている。

オーディオ業界に入って三十年。
周りにいる人たちとのつきあいも、それだけ長い。

その長さのなかで、誰一人、気づいていない、ということがあるのだろうか。
直接、本人に「行儀が悪いですよ」とは言いにくいものだ。

それに誰かが言ってくれるだろう──、そんなふうに思っていたのかもしれない。

119ページの写真を、編集者が掲載したのは、
意図的だった可能性があるようにも思えてくる。

誰もいわない、誰もいえない。
それにステレオサウンドの筆者のポジションとしての、小野寺弘滋氏は上である。

昨年、ある人に、こんなことを訊かれた。
「ステレオサウンドに書いている人のトップは柳沢功力氏で、その次が傅信幸氏で……」、
その人なりの順位を聞かされた。

それに対して私は、違う、といった。
特集をみれば明らかだが、
私の印象では、柳沢功力氏と小野寺弘滋氏はほぼ同じといっていい。
その次に傅信幸氏、三浦孝仁氏、和田博巳氏という順である。

そして、ここまでがStereo Sound Grand Prixの選考委員であり、
ここではっきりとした線引きが行われている、と読める。

小野寺弘滋氏のステレオサウンドにおけるポジションは高い。
今後さらに高くなる。
そういう人に、いまさら「行儀が悪いですよ」とは、以前以上に言い難いのではないか。

ならば小野寺弘滋氏自身が気づくようにするしかない。
ステレオサウンド 211号の119ページの写真を見れば、
小野寺弘滋氏も気づくはず、という期待を込めて。

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