Date: 6月 8th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド
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編集者の悪意とは(その4)

ステレオサウンド 211号の119ページの写真、
小野寺弘滋氏が大股開きで、椅子に浅く腰掛けての写真。

これだって、誰かに迷惑をかけているわけではない。
電車で、こんな座り方をされては周りの人の迷惑になるが、
119ページの写真では一人掛けの椅子だし、
両隣の椅子との間隔も十分開いているから、迷惑になってたりはしない。

けれど、インターナショナルオーディオショウでのポケットに手を突っ込んだままの印象が、
119ページの写真としっかりと結びついてくる。

それに別の方(続きを書くきっかけとなったコメントの人とは別の人)は、
あるところで小野寺弘滋氏が、119ページのような座り方をされているのを見られている。

こういう人なんだなぁ、と思ってしまう。
行儀のよくない人と思ってしまう。

とはいえ、小野寺弘滋氏の書くもの、話すことと結びつけようとは思っていない。
書くもの、話すことが面白ければ、普段から行儀がよくなくても、少なくとも私は気にしない。
周りに迷惑をかけていないのであれば。

そういうところまで、いまのステレオサウンドの書き手に求めてはいないし、
小野寺弘滋氏でも、電車で、こんな座り方はしないはずだろうから。

もちろん、受けとめ方は人それぞれだから、
私と違い、興醒めと思われた方もいる(facebookのコメントにあった)。

切り離して読む人、切り離せずに読む人、どちらもいるわけだ。
だからこそ、編集者は気をつけるべきだ、と私は思う。

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