Date: 9月 7th, 2020
Cate: 日本のオーディオ
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リモート試聴の可能性(その8)

その7)のコメントが、facebookにあった。
そこには、レコード演奏家という概念を認めるなら、
スピーカーからの再生音を録音するという行為は、
レコード演奏家のライヴ録音という捉え方もできるのでは──、というものだった。

このことは、私も書こうかな、と考えていた。
けれど、菅野先生が提唱されたレコード演奏(レコード演奏家)論は、
いまどれだけ広まっているのだろうか、と思うところがあって、
書こうかどうしようか、と考えていたところでもあった。

レコード演奏家論がステレオサウンドに掲載されたときから、
全否定に近いものをインターネットで読んだことがある。

全否定していた人の書いているものを読むと、
どこをどう読めば、
レコード演奏家論をここまで歪めて捉えることができるんだろう……、と思いたくなるほどだった。

そこまでひどくはなくても、レコード演奏家論を認めない人は少なからずいる。
もちろんレコード演奏論に積極的な人もいる。
それから、ほぼ無関心という人もいる。

この無関心という人が、私が感じている範囲では、多数のようでもある。

菅野先生が亡くなられて、もうすぐ二年になる。
「レコード演奏家」をオーディオ雑誌で目にすることもそうとうに減ってきたのではないだろうか。

あと数年もすれば、どうなるのか、なんともいえない。

スピーカーからの再生音を録音して、ということに否定的な人は、
おそらくレコード演奏家論にも否定的なのではないだろうか。

今日観てきた映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」では、
これをやっているわけだ。
元の音にない臨場感を生むために、
スピーカーで一度再生して、その音を録音して仕上げている。

録音の現場では、同じようなことは行われている。
デジタルで録音したものを一度アナログに変換して、音をいじる。
その後で、もう一度デジタルに変換して仕上げる。

そこに、デジタルだから、アナログだか、という妙なこだわりはない。

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