Date: 4月 27th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その11)

マークレビンソンの輸入元がRFエンタープライゼスからハーマンインターナショナルに移ったころの話だ。
輸入元が変れば、RFエンタープライゼスから購入したマークレビンソンのアンプも、
新しい輸入元のハーマンインターナショナルで修理することになる。

けれどRFエンタープライゼスから購入した人は、
ハーマンインターナショナルではなくRFエンタープライゼスでこれからもアフターサービスを受けてほしい、
そういう人が少なからずいた、ときいたことがある。

これは何も当時のハーマンインターナショナルのサービス部門の技術力に問題があったとか、
そういうことではなかった。
それ以上にRFエンタープライゼスは信頼されていたということである。

この項の(その5)(その6)(その7)で、RFエンタープライゼスのことを書いた。

そこでふれたRFエンタープライゼスの広告を読んでいたころ、
RFエンタープライゼスが取り扱っているオーディオ機器は、とても買えなかった。
買えなかったけれど、RFエンタープライゼスが取り扱っているオーディオ機器は、
いつか手にしたい、とそう思っていた。

実際にRFエンタープライゼスのサービスをうけたことのない私ですらそう思っていた。
実際にRFエンタープライゼスから購入してサービスをうけたことのある人なら、
よけいにそう思っていたのではないか。

RFエンタープライゼスがなくなって、ずいぶん経つ。
RFエンタープライゼスがあったころ、輸入元は輸入代理店ではなく、輸入商社と呼べたような気がするのは、
RFエンタープライゼスという手本があったから──、
輸入元(輸入代理店としか呼べないところが増えてきた)のウワサをきくたびに、そう思ってしまう。

Date: 4月 26th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その10)

2010年8月13日に、twitterに下記のことを投稿した。
     *
オーディオ業界もマネーゲームに翻弄されている、ときく。それによって復活するブランドもあれば、没落していくブランドもある。なのに、オーディオ誌は、そのことに無関心を装っているのか、関係記事が出ることもない。オーディオは文化だ、というのであれば、きちんと取材し報道すべきだろう。
     *
この投稿に対して、あるオーディオ評論家から反論があった。
そのオーディオ評論家は、オーディオを文化だと捉えていない、ということだった。
そしてオーディオ雑誌の読者は、そんな記事に関心をもたない、有意義ではない、ともあった。

たしかに、そのオーディオ評論家は「オーディオは文化だ」とは発言されていないのだろう。
けれどステレオサウンドはどうだろうか。
少なくとも私が読者であったころ、私が編集者であったころ、
そのあともしばらくはオーディオを文化として捉えていた。

けれど、私に反論されてきたオーディオ評論家はそうではなく、ステレオサウンドに執筆されている。
オーディオは文化なのかどうか、
人によって考え方・捉え方は違うし、そう捉えていない・考えていない人が、
オーディオ評論を成立させることが可能なのか──、その点に私は興味があるし、
文化的要素・文化的側面を感じないもの・ことに対して評論は成り立つのだろうか、とも考える。

そういう「文化」に対して資本主義(いきすぎた商業主義)がどう関わってくるのか、
良い影響もあればそうでない影響もあり、これらを記事とするのは、有意義だと考える。

読者にとっても有意義であるし、
それはオーディオ業界からはあまり歓迎されない面ももつようになるだろうが、
よい記事であれば、オーディオ業界にとっても有意義な記事となるはずである。

五年前に書いたことを思い出していた。
五年前と現在、良くなっていると、そのオーディオ評論家は思っているのだろうか。

Date: 4月 26th, 2015
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(続・映画「セッション」を観て)

映画「セッション」の最後10分間の演奏。
この演奏は、作られたものなのか生れてきたものなのか。
作られたものならば、誰によって、何によって作られたのか、
生れてきたものであれば、誰によって、何によって生れてきたのか。

映画「セッション」を観て、オーディオマニアならば、
この点について考えてもらいたい、と思っている。

そして「好きな音」、「正しい音」はどうなのか。
「好きな音」は作られるものなのか、生れてくるものなのか、
「正しい音」は作られるものなのか、生れてくるものなのか。

それぞれは何によって、誰によって作られるのか、生れてくるのか。

Date: 4月 25th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その9)

ステレオサウンドが、56号、57号で「輸入オーディオ製品サービス体制」という記事の冒頭にこう書いてある。
     *
小誌読者の間には、海外製オーディオ機器に対して強い関心と興味をもちながら、アフターサービスなどについてある種の不安感をもあわせもっている方が、予想外に多かった。
     *
56号、57号は1980年に出ている。
この時よりも、いまはどうなのだろうか。
いまのほうが不安感が強いのではないだろうか。

56号、57号の時代とは違い、
いまはインターネット経由でさまざまな情報を目にする。
今回の輸入元の修理のお粗末さの件、サービス部門の切り離し(外部委託)の件にしても、
以前だったらほとんど知られることはなかっただろう。

それがいまではあっという間に拡散してしまう。
私は今回、どちらともその会社の固有名詞を出していないが、
すでにどこの会社なのか知っている人は少なくないと思う。
もう少し経てば、もっと多くの人が知ることになるはずだ。

どちらの件も、安心感へとはつながっていかない。
不安感をあおっていく。

56号、57号の三年後に輸入オーディオショウが始まった。
そして輸入オーディオ協議会ができた。
いまは日本インターナショナルオーディオ協議会と名称を変えている。

日本インターナショナルオーディオ協議会は、輸入オーディオ製品サービス体制をどう考えているのだろうか。
35年前はステレオサウンドがアンケート調査を行った。
当時は輸入オーディオ協議会はなかった。
けれどいまはある。
ならば、ユーザーの輸入オーディオ機器への不安をすこしでも解消するために、
アンケート調査を、1980年の時よりもさらに細かなことに踏み込んで行うべきではないのか。
そして調査結果をウェブサイトで公開してほしい。

Date: 4月 24th, 2015
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(映画「セッション」を観て)

昨日、映画「セッション」(原題:WHIPLASH)を観てきた。

インターネットで検索すると、賛否両論あることがわかる。
否定的な意見を読んで、観る気が失せた、という人もいるだろう。
けれど、予告編をみて、少なくとも何かを感じた人ならば、ぜひ映画館に足を運んで観てほしい、と思う。

予告編で、観たいと思った人もいれば、逆の人もいるだろう。
どちらにしても、なにかを感じたから、観たい、観たくない、ということになるわけで、
ならば観てほしい。そういう映画だった。

観たいと思った人が、良かったと思うかどうかは保証できないし、
観たくないと思った人が、観て良かったと思うかもしれない。
人それぞれだから、
この映画に対して否定的なことをいっている人が正しいとか間違っているとか、
絶賛している人がどうであるとか、そんなことは気にすることはない。

予告編でなにかを感じたなら、少なくともこのブログを読んでいる人は、
オーディオ、音楽に関心のある人なのだから、大きなスクリーンで観てほしい。

観れば、観た人同士で語りたくなる映画である(少なくとも私にとっては)。
だから、ここでもあれこれ書きたい気持はあるが、
そのためにはどうしてもストーリーについて触れざるを得ない。
公開されて一週間の映画だし、観ていない人の方が多いのだから、あえて書かない。

同じようにジャズをテーマとした映画に、日本の「スウィングガールズ」がある。
楽しい映画だった。けれど細かなストーリーはもう忘れてしまっているし、
この映画について観たもの同士で何かを語りたいとは特に思わなかった。
私にとって、「楽しかった」で済んだ映画だった。

「セッション」は語りたくなる。
いまもステレオサウンドの編集者だったら、
この映画で記事が一本つくれる、と思った。
8ページくらいの記事を、「正しい音とはなにか?」というテーマとあわせて構成できる。

そんなことを考えさせてくれる映画でもあった。

Date: 4月 24th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その8)

ステレオサウンド 56号と57号の二号にわたって、掲載された記事がある。
地味な企画といえる記事だが、いまのステレオサウンドには期待できない記事でもある。

記事のタイトルは「輸入オーディオ製品サービス体制」で、
輸入代理店24社にアンケートを出し回答を依頼したものである。

アンケート質問項目は次のとおり。
①販売網について……日本全国どこでも買えますか
②日本語の取扱説明書は付属していますか
③保証書の有無、保証期間について
④故障した場合、またはMCカートリッジ針交換の依頼先について……輸入元直接か販売店経由か
⑤修理依頼の方法は……持ち込むのか、取りにきてくれるのか、輸送か(運賃は)
⑥出張修理は行なっていますか(出張費用は)
⑦修理出来上りの際は……受け取りにいくのか、配達してくれるのか、輸送か(運賃は)
⑧修理期間およびその費用について
⑨各種パーツのストックについて
⑩輸入中止、あるいは製造中止になった製品の修理パーツは、中止されてからどのくらいの期間保有していますか
⑪輸入元が変更になった場合、サービスは新・旧どちらの代理店で行なうのですか
⑫電源電圧をはじめ、日本仕様に変更している箇所はありますか
⑬入荷製品のチェックをしていますか……それは抜き取り検査ですか全数チェックですか
⑭どのような項目についてチェックしているのですか
⑮チェックの際、測定を行ないますか……そのデータを製品に添付しますか
⑯チェック済か否かの見分け方について

今日もfacebookで、ある輸入代理店がサービス部門を外部に依託する、という投稿があった。
その3)でも、ある輸入代理店の修理のことがfacebookで話題になっていた、と書いた。

(その3)で書いたところも輸入代理店としては大手である。
今回のところも同じように大手である。

今回のことは、取扱い全ブランドの修理が外部に依託されるのかどうかははっきりしていない。
今後どうなるのかも、いまのところはっきりしていない。
それに外部依託によって、アフターサービスのクォリティが、どう変っていくのかも、まだわからない。
悪くなる可能性もあれば、良くなる可能性もないわけではない。

外部委託がすべて悪いとは考えていない。
製品によっては、自社のサービス部門よりも、より技術力のある(得意とする)ところにまわしたほうが、
結果は良いことにつながる。

私の体験でいえば、SUMOのThe Goldが故障した際、
輸入元だったエレクトリに修理を依頼した。
割とすぐに修理されて戻ってきた。
明細を見たら、そこにはエレクトリではなく、他の会社名があった。
テクニカルブレーンだった。

SUMOが輸入された期間は短い。
私が修理に出した時は、すでにエレクトリは取り扱いをやめていた。
それに当時、テクニカルブレーンは、GASやSUMOの修理、メンテナンスを得意としていたところである。
だから、テクニカルブレーンの修理で良かった、と思った。

こういうこともあるから、外部委託が悪いとは決めつけたくない。
けれどユーザーとしては、今回のことは、やはり不安に感じる。

Date: 4月 23rd, 2015
Cate: 4345, JBL

JBL 4345(4347という妄想・その1)

ステレオサウンド 60号の特集記事の座談会、
JBLの4345のところで、次のように瀬川先生が語られている。
     *
 この前、あるアマチュアでおもしろい指摘をした人がいまして、4345の音を聴いた後、ウーンと得なって、「なるほどいいところはある。けれども、4341が4343になって完成したと同じく、これはもしかしたら4347ぐらいが出ると、もっと完成後が高まるんじゃないか」と言った人がいました。
     *
4345の後継機としての4347。
4343の後継機として4348は登場したけれど、4347というモデルナンバーのスピーカーは登場しなかった。
18インチ口径のウーファー搭載の4300シリーズは、4345だけで終ってしまった。

4345の後継機はなぜ登場しなかったのか。
その理由はいくつか考えられるけれど、はっりきとしたことはよくわからない。

瀬川先生が生きておられたら……、4347なるモデルが登場したかもしれない。
私はそうおもってしまう人間である。

いまも4347がもし登場したら、どんなスピーカーだったっのか、とあれこれ妄想してしまう時間がある。

4347、
やはりウーファーは4345と同じ18インチ口径であってほしい。
それから4341が4343になって洗練されたように、4347も絶対そうであってほしい。
となるとミッドバスが4345と同じ2122ではどうしてもうまくいかないような気がする。

18インチ口径ウーファー搭載で、システムとしてのサイズはどうしても大きくなってしまう。
ならばいっそのことミッドバスも10インチではなく12インチにしたほうが、
全体のバランス、プロポーションは整ってくるはずだ。

このことは昔からそう思っていた。
それが確信に変ったのは、タンノイのKingdomの登場があったからだ。

現在のKingdom Royalではなく、最初のKingdom。
18インチ口径ウーファーに、12インチ口径同軸型ユニット、そしてスーパートゥイーターの4ウェイ構成。
この大型のシステムは、威風堂々としていて、4345のようなずんぐりしたイメージはまったくない。

つまりミッドバスには、4350、4355に搭載されている2202となる。
そうなればミッドハイのドライバーは2420(2421)から2441にしても、
エネルギー的にバランスがとれるようになる。
スーパートゥイーターは2405のまま。

こんな4347を想像している。

Date: 4月 23rd, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(なぜ、ここまでこだわるのか)

ブログを書いていて、われながら、なぜここまで4343にこだわるのか、と思わないわけでもない。
このブログで、オーディオ機器に関しては4343のことをもっとも多く書いている。

読まれる方の中には、「また4343か」という人がいるのはわかる。
それでも、こうやって4343について書いているのは、
オーディオ界を見渡すためにも必要なことのように感じているからでもある。

もちろん個人的な理由の方が大きいとはいっても、
4343という、いわばスタジオモニター、それも高価なスピーカーシステムが、
驚異的な本数が売れたということは、なにか象徴的な現象のように思える。

そういえば……、と思いだす。
菅野先生が、ステレオサウンド別冊「JBLモニター研究」で、次のように書かれている。
     *
 そしてその後、中高域にホーンドライバーを持つ4ウェイという大がかりなシステムでありながら、JBL4343というスピーカーシステムが、プロのモニターシステムとしてではなく、日本のコンシューマー市場で空前のベストセラーとなった現象は、わが国の20世紀後半のオーディオ文化を分析する、歴史的、文化的、そして商業的に重要な材料だと思っている。ここでは本論から外れるから詳しくは触れないが、この問題を多面的に正確に把握することは、現在から近未来にかけてのオーディオ界の分析と展望に大いに役立つはずである。
     *
1998年に書かれている。
4343に憧れてきたひとりとして、そのとおりだと思うとともに、
残念に思うのは、いまのステレオサウンドには4343という材料(問題)を、
多面的に正確に把握することは期待できない、ということだ。

「名作4343を現代に甦らせる」という記事が、強く裏付けている。

Date: 4月 22nd, 2015
Cate: モニタースピーカー

モニタースピーカー論(その1)

「正しい音はなにか?」を書いていて、モニタースピーカー論が書けるような気がしてきた。

ステレオサウンド 44号、45号はスピーカーシステムの特集だった。
46号もスピーカーの特集号だったが、44号、45号が基本的にコンシューマー用スピーカー中心だったのに対し、
46号では「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」と題して、
世界各国のモニタースピーカーの特集だった。

特集の冒頭には、
岡先生による「モニタースピーカー私論」、
菅野先生による「レコーディング・ミキサー側からみたモニタースピーカー」、
瀬川先生による「モニタースピーカーと私」が載っていた。

世の中にはMonitor Speaker、もしくはStudio Monitorと呼ばれるスピーカーシステムがある。
これらはプロ用スピーカーとも呼ばれることもある。
録音スタジオ、放送局などで使われるスピーカーシステムのことをモニタースピーカー、
もしくはスタジオモニターという。

では「モニタースピーカーとは何か?」となると、
ステレオサウンド 46号の三氏の文章をどれだけ読もうとも、
明解な答が得られたと思えない。

モニタースピーカーだからといって、
コンシューマー用スピーカーと違う方式のユニットが採用されているわけではない。
むしろコンシューマー用スピーカーのほうが、さまざまなユニットが使われているともいえる。
それでもモニタースピーカーもそうでないスピーカーも、基本的に同じといえる。

にもかかわらず、モニタースピーカーとそうでないスピーカーとの間には境界線がある。
はっきりとその境界線を見定めようとすればするほど、
その境界は曖昧なものであることに気づかされる。

それでもモニタースピーカーの定義を考えている。

いままでモニタースピーカー論は避けてきたテーマである。
まだどこまで書けるのか自信がないようなところもある。
それでも「正しい音とはなにか?」を書いてきて、
なんとなくではあるが「モニタースピーカーとは何か?」について答が得られそうな気がしている。

Date: 4月 22nd, 2015
Cate: audio wednesday

第52回audio sharing例会のお知らせ(続・五味康祐氏のこと、五味オーディオ教室のこと)

5月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

「五味オーディオ教室」をくり返し読んでは、
五味先生のオートグラフの音を想像していた。

ステレオサウンド 47号から、続オーディオ巡礼が始まった。
五味先生がオーディオマニアのところに行かれる。
けれど、誰かかが五味先生のところにうかがう記事はないのか、と思っていた。

ステレオサウンド 50号、旧製品のState of the Artで、
タンノイ・オートグラフが選定されている。
岡先生がオートグラフについて書かれている。
     *
 オートグラフを有名にしたのは、すくなくとも日本では五味康祐さんであろう。「西方の音」によれば五味さんのお宅にオートグラフが納まったのは六四年七月二十五日だという。それからのことは「西方の音」にくわしく書かれている。筆者がオートグラフに脱帽したのは、その五味さんのお宅できいたときだった。バランスのよさとか音の品位のたかさとか、いろいろあるが、一ばんびっくりしたのはローエンドに支えられた音楽のプレゼンスのよさとあざやかなパースペクティヴをもった見事な定位感だった。デュアル・コンセントリックと複雑で巨大なホーンシステムの生みだした見事な成果であろう。指向性の最適ポイントは一ヵ所しかない。その証拠に五味さんのお宅のソファはここが指定席ですというように一点だけ凹んでいた。そうまでしてきかせるオートグラフはたしかに名品であった。スペック云々などアホらしくなるような。
     *
岡先生の、この文章を読んで何度もうんうんと首肯いていた。
やっぱり、そういう音で五味先生のリスニングルームではオートグラフが鳴っているんだ、と。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 4月 22nd, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(その3)

ステレオサウンドを読みはじめたころは、記事だけでなく広告も丹念に読んでいた。
すべての広告がそうだったとはいわないけれど、少なからぬ広告には記事的な要素もあったように感じていた。
だから記事も広告もじっくり読んでいた。

なので広告のこともけっこういまでも記憶している。
そんな広告の中で、不思議と目に留ったのがスペックスだった。
MC型カートリッジSD909の広告で、毎号広告の内容は変っていっても、必ず共通するコピーがあった。

このころのステレオサウンドを読んでいた人ならば、
あぁ、あれね、とすぐに思い出されるだろう。
スペックスのSD909の広告には、必ず「日産21個」とあった。

SD909は当時30000円のカートリッジだった。
日産21個ということは、63万円になる。
カートリッジの製造原価がどの程度なのか当時は中学生だったからまったく知らなかった。

正直、日産21個が、MC型カートリッジの生産量として多いのか少ないのかはわからなかった。
けれど、こうやって毎号広告に出しているくらいだから、それは少ない数なのだろう、ということは察しがつく。

それにスペックスの会社の規模についても、ほとんど知らなかった。
規模の大きい会社ならば21個は非常に少ないことになるけれど、
規模が小さい会社ならばそれほどでもなくなる。

1975年発行のステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEによれば、スペックスのカートリッジは六機種。
MM型のSM100MKII、MC型のSD801 EXCEL、SD900SP、SD700 TYPEII/E、SD901、SD900。
まだ、日産21個のSD909は登場していない。

SD909登場のころは、SM100MKIIとSD900SPだけが残っている。
SD909以外のカートリッジの生産量は広告で謳っていないことからも、
やはり日産21個は少ない数といっていいだろう。

Date: 4月 21st, 2015
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(その15)

(その14)で引用した五味先生の文章には、「あらためてこのことに私は気づいた。」とある。
何をあらためて気づかれたのか。
     *
 そもそも女房がおれば外に女を囲う必要はない、そういう不経済は性に合わぬと申せるご仁なら知らず、女房の有無にかかわりなく美女を見初めれば食指の動くのが男心である。十ヘルツから三万ヘルツまでゆがみなく鳴るカートリッジが発売されたと聞けば、少々、無理をしてでも、やっぱり一度は使ってみたい。オーディオの専門書でみると、ピアノのもっとも高い音で四千ヘルツ、これに倍音が伴うが、それでも一万五千ヘルツぐらいまでだろう。楽器でもっとも高音を出すのはピッコロやヴァイオリンではなく、じつはこのピアノなので、ピッコロやオーボエ、ヴァイオリンの場合はただ倍音が二万四千ヘルツくらいまでのびる。
 一番高い鍵を敲かねばならぬピアノ曲が果たして幾つあるだろう。そこばかり敲いている曲でも一万五千ヘルツのレンジがあれば鑑賞するには十分なわけで、かつ、人間の耳というのがせいぜい一万四、五千ヘルツ程度の音しか聴きとれないとなれば、三万ヘルツまでフラットに鳴る部分品がどうして必要か——と、したり顔に反駁した男がいたが、なにごとも理論的に割切れると思い込む一人である。
 世の中には男と女しかいない、その男と女が寝室でやることはしょせんきまっているのだから、汝は相手が女でさえあれば誰でもよいのか? そう私は言ってやった。女も畢竟楽器の一つという譬え通り、扱い方によってさまざまなネ色を出す。その微妙なネ色の違いを引き出したくてつぎつぎと別な女性を男は求める。同じことだ。たしかに四千ヘルツのピアノの音がAのカートリッジとBのとでは違うのだから、どうしようもない。
     *
実は、ここのところは引用するつもりは最初はなかった。
けれど(その14)を書いていて気づいたことがあった。

世の中には男と女しかいない、その男と女が寝室でやることはしょせんきまっている、とある。
寝室は、いわば密室である。
リスニングルームも、また密室であることが多い。

リビングルームで家族とともに音楽を聴くのが楽しみという人もいるけれど、
私にとってのリスニングルームとは、そういう意味での「密室」である。

この密室であることが、
オーディオを介して音楽を聴くという行為は密室での行為であるがゆえに、問題となってくるからだ。

Date: 4月 21st, 2015
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(その14)

五味先生の「五味オーディオ教室」からも思い出す文章がある。
     *
 EMTのプレーヤーで再生する音を聴いて、あらためてこのことに私は気づいた。以前にもEMTのカートリッジを、オルトフォンやサテンや、ノイマンのトランスに接続して聴いた。同じカートリッジが、そのたびに異なる音の響かせ方をした。国産品の悪口を言いたくはないが、トランス一つでも国産の“音づくり”は未だしだった。
 ところが、EMTのプレーヤーに内蔵されたイクォライザーによる音を聴いてアッと思ったわけだ。わかりやすく言うなら、昔の蓄音機の音がしたのである。最新のステレオ盤が。
 いわゆるレンジ(周波数特性)ののびている意味では、シュアーV15のニュータイプやエンパイアははるかに秀逸で、EMTの内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣化したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、たとえばコーラスのレコードをかけると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。
 私の家のスピーカー・エンクロージァやアンプのせいもあろうかとは思うが、とにかく同じアンプ、同じスピーカーで鳴らしても人数は増す。フラットというのは、ディスクの溝に刻まれたどんな音も斉しなみに再生するのを意味するのだろうが、レンジはのびていないのだ。近ごろオーディオ批評家の言う意味ではハイ・ファイ的でないし、ダイナミック・レンジもシュアーのニュータイプに及ばない。したがって最新録音の、オーディオ・マニア向けレコードをかけたおもしろさはシュアーに劣る。
 そのかわり、どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。あまりそれがあざやかなのでチクオンキ的と私は言ったのだが、つまりは、「音楽として美しく」鳴らすのこそは、オーディオの唯一無二のあり方ではなかったか? そう反省して、あらためてEMTに私は感心した。
 極言すれば、レンジなどくそくらえ!
     *
ここで書かれているシュアーV15のニュータイプとは、V15 TypeIIのことだろう。
V15 TypeIIの評価は、かなり高かったようだ。
私が聴いているシュアーのV15シリーズはTypeIII以降で、残念ながらV15 TypeIIは聴く機会がなかった。

ステレオサウンド 50号の巻頭座談会でも、V15 TypeIIのことが語られている。
     *
菅野 シュアーのV15のタイプIIが出はじめたころで、たまたまぼくは少し前に、渡米した父親に買ってきてもらって、すでに使っていたのです。そして、たしかオルトフォンのS15MTと比較して、V15/IIの方が断然優れていると書いたりしていた。そのV15/IIを、瀬川さんが手に入れた日に、たまたまぼくは瀬川さんの家に行ったんですよ。それで、ふたりして、もうMCカートリッジはいらないんじゃあないか、と話したことを覚えている(笑い)。
瀬川 そんなことがありましたか(笑い)。
菅野 あったんですよ。つまりね、ぼくたちはそのとき、カートリッジはこれで到着すべきところまできた、ひとつの完成をみたのであって、もうこれ以上はどうなるものでもないのではないか、ということを話しこんだわけです。たしかにそのときは、そういう実感があったんですね。
     *
当時におけるシュアーのV15 TypeIIの優秀性が伝わってくる。
五味先生もEMTのTSD15よりも「レンジ(周波数特性)ののびている」意味では優秀と書かれている。
そうだと思う。
おそらくトラッキングアビリティもシュアーの方が良かったであろう。
セパレーションも、EMTはシュアーに及ばない、とある。

ならば、あくまでも、この時点ということに限っては、
EMTのTSD15よりもシュアーのV15 TypeIIが「正しい音」を出している、
より「正しい音」といえるのか。

私はそうは思わない。

Date: 4月 21st, 2015
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(デザインのこと・その1)

「正しいデザイン」と、前に書いた。
書いておきながら、「正しい音はなにか?」を書いていると、
「正しいデザイン」と書いていることのおかしさのようなものに気づく。

デザインとデコレーションは違う。
デザインとアートも、また違う。
その区別をはっきりとさせようとしていくと、
本来、デザインとは正しいモノ・コトであることに気づいたからである。

正しいモノ・コトの頭に、「正しい」とつけることのおかしさがある。
にもかかわず「正しいデザイン」と書いていかなければならないとも感じている。

あまりにも「間違っているデザイン」(それはもはやデザインとは呼べないけれど)、
「正しくないデザイン」も「正しいデザイン」と一緒くたに語られている。

デザインは正しいモノ・コトなのだから、あえて「正しい」とつける必要はないはずなのだ。
けれど、現実・現状としてはつけざるをえない。

デザインを好き嫌いで語ることが氾濫している。
これがなくならないかぎり、「正しいデザイン」といっていかなければならないのだろうか。

そしておもう、「正しい音」も、じつのところ同じだ、と。

Date: 4月 20th, 2015
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(映画「セッション」)

一月に、WHIPLASHという映画のことを知った。
凄い映画という評判を知った。
アメリカでは既に公開されていて、AppleのMovie Trailersで予告編をさっそく見た。

当り前だが日本語の字幕はないので、予告編を見たといっても、
こまかなところまでわかったわけではないけれど、
凄いというウワサがどうも本当のようだ、ということは伝わってきた。

とにかく、これが今年もっとも観たい映画の一本となった。
WHIPLASHとは、鞭紐、鞭打ちという意味である。

邦題は「セッション」となっている。
原題のWHIPLASHでは、何の映画なのか伝わりにくいところがある。
だから、「セッション」としたのは理解できなくはないが、
セッション(session)としたことで、この映画を観ようとする人に対して、
やや違う方向に誘導してしまうところがないわけでもない、とも思う。

4月17日から公開になっている。
まだ観ていない。
にも関わらず、ここで「セッション」について書いているのは、
原題のWHIPLASHが意味するところが、「正しい音」と深く関係してくるような予感があるからだ。