輸入商社なのか輸入代理店なのか(その10)
2010年8月13日に、twitterに下記のことを投稿した。
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オーディオ業界もマネーゲームに翻弄されている、ときく。それによって復活するブランドもあれば、没落していくブランドもある。なのに、オーディオ誌は、そのことに無関心を装っているのか、関係記事が出ることもない。オーディオは文化だ、というのであれば、きちんと取材し報道すべきだろう。
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この投稿に対して、あるオーディオ評論家から反論があった。
そのオーディオ評論家は、オーディオを文化だと捉えていない、ということだった。
そしてオーディオ雑誌の読者は、そんな記事に関心をもたない、有意義ではない、ともあった。
たしかに、そのオーディオ評論家は「オーディオは文化だ」とは発言されていないのだろう。
けれどステレオサウンドはどうだろうか。
少なくとも私が読者であったころ、私が編集者であったころ、
そのあともしばらくはオーディオを文化として捉えていた。
けれど、私に反論されてきたオーディオ評論家はそうではなく、ステレオサウンドに執筆されている。
オーディオは文化なのかどうか、
人によって考え方・捉え方は違うし、そう捉えていない・考えていない人が、
オーディオ評論を成立させることが可能なのか──、その点に私は興味があるし、
文化的要素・文化的側面を感じないもの・ことに対して評論は成り立つのだろうか、とも考える。
そういう「文化」に対して資本主義(いきすぎた商業主義)がどう関わってくるのか、
良い影響もあればそうでない影響もあり、これらを記事とするのは、有意義だと考える。
読者にとっても有意義であるし、
それはオーディオ業界からはあまり歓迎されない面ももつようになるだろうが、
よい記事であれば、オーディオ業界にとっても有意義な記事となるはずである。
五年前に書いたことを思い出していた。
五年前と現在、良くなっていると、そのオーディオ評論家は思っているのだろうか。