Archive for category テーマ

Date: 10月 31st, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その9)

なぜ木は腐ることがあるのか。
木という素材が呼吸をする素材であるからで、
そのため湿気の多過ぎる環境下では腐っていく。

CRAFT-α9000の振動板に採用されたαウッドは、通常の木が腐ってしまう環境下でも腐らないのだろう。
つまりαウッドは呼吸をしない素材ではないのか。
その意味で、井上先生は「それは、もう木じゃないね」といわれた。

羽二重=HUBTAEの発表会での川崎先生の話の中に、ナイロンのことが出てきた。
ここでも「呼吸しない素材」ということだった。
最新のナイロンはそうではない、ということだった。

呼吸をしている素材だから、場合によっては腐ることもある。
腐るということは素材としての死であり、ならば呼吸をしているということは、素材として生きている──、
そう受けとめることもできる。

いかなる環境下でも腐らない、というのは呼吸をしていない、ということになり、
ならばその木は防腐処理をされた死んだ状態(つまりは生きていない状態)ともいえるわけだ。

生きていない状態の素材でも、それが役に立つこと(箇所)はあるだろう。
だが、オーディオの、それもスピーカーの振動板となると、
本来生きている状態の素材を生きていない状態にしてしまって使うことに、どれだけのメリットがあるといえるのか。

井上先生が話されたことは、そういうことだった。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その48)

ステレオサウンド 50号を手にした時(まだ高校生だった)、
前号の企画をそのまま旧製品を対象にしただけの、すこし安易な企画だな、と思ってしまった。

安易ではあるけれど、面白いと思いながら読んでいた。そして読み返していた。
本づくりを経験したことのない、しかも学生の私に、こう受けとめていた。

けれどいまは、むしろ50号の旧製品のState of the Art賞が先にあり、
この企画をやりたいがために49号での現行製品のState of the Art賞をやった──、
そうとも考えられるくらいに見方が変っている。

旧製品のState of the Art賞は、それまでのステレオサウンドがやってきたことを総括する企画だった。
ただ記事で旧製品をとりあげるのではなく、State of the Art賞を与える。

用意周到だったのか、それともたまたまやったことがそう見えるだけなのか、
ほんとうのところはわからないが、State of the Art賞を始める時期、49号と50号、
用意周到な企画のように思う。

“State of the Art”というセンテンスが定着しなかったこと以外は、State of the Art賞はうまくいった。
けれど”State of the Art”というセンテンスが読者に定着しなかったこと、
さらにはオーディオ業界の人たちのあいだでも定着しなかったことが、
State of the Art賞から始まった「賞」のいくつものところを変質させていくことになる。

現在のStereo Sound Grand Prixになって、変質は決定的となった、と私は感じている。
State of the ArtからStereo Sound Grand Prixへ。
あまりにも変り果てた。

でも、嘆きたくなるのは、State of the Art賞を知っているからであって、
State of the Art賞(49号、50号)を知らない世代にとっては、
なんとおおげさな……、ということになろう。

State of the ArtとStereo Sound Grand Prix、
賞の名称からして、志がまるで違う。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その1)

私がオーディオを始めたころはCDはなかった。
当然プログラムソースのメインはアナログディスク(LP)ということになる。
カセットデッキも持っていたけれど、あくまでも補助的な存在であった。
あれば便利な機器という印象が私の場合、最後まで拭えずそれほど真剣に取り組んでいたとはいえない。

アナログプレーヤーに関しては、これが唯一のメインなのだから、
それに当時はプレーヤー関連のアクセサリーが各社からいくつも出ていた。
値段も、当時高校生だった私にも、それほど無理せずとも買える範囲のモノが大半だった。

シェルリード線が各社から出始めていた。
ヘッドシェルも各社から出ていた。素材もアルミだけでなく、いくつかの種類が用意されていた。
カートリッジをヘッドシェルに取り付けるネジも、ヘッドシェルやカートリッジ附属してくるのはアルミ製だったが、
ここでも音が変化するということで真鍮製も発売されていた。

ヘッドシェルは音だけでなく、見た目も重要だったし、
それ以上に指掛けの形状が操作面に大きく関係してくることを実感できるようになると、
自分の感覚に添うヘッドシェルを探すようになってくる。

ヘッドシェルもいくつか試した、シェルリード線も、真鍮製のビスも買った。
このへんはカートリッジ関連のアクセサリーとなる。

アナログプレーヤーのアクセサリーは、ターンテーブル関連のアクセサリーもあれこれあった。
ターンテーブルシート、スタビライザーなどである。
これらももちろん買っていた。

Date: 10月 30th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その47・余談)

ステレオサウンド 50号の表紙、
マッキントッシュのMC275は、おそらく原田勲氏所有のモノだと思う。

51号、五味先生のオーディオ巡礼、
登場しているのはH氏。ヴァイタヴォックスCN191を鳴らされていた。
H氏は原田勲氏だ。

51号のオーディオ巡礼に、パワーアンプをMC275からマランツのModel 9にした、とある。
新しいリスニングルームを増築して一年半の間に、アンプを、プレーヤーを変えた、とある。

いつなのか、正確な時期ははっきりしないが、
それでも50号の表紙のMC275は原田勲氏のモノであったMC275のはず、
私はそう思っている。

Model 9は、「或るアンプの達人に修理・調整してもらった」とある。
或るアンプの達人とは、長島先生のことだろう。

こういうことを知らなくても、気づかなくても、ステレオサウンドは読める。
支障なく読める。
でも気づくかどうかで、趣は違ってくる。

Date: 10月 30th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(ヘッドフォン祭・補足)

一昨日と今日、仕事であった人に
「中野サンプラザでヘッドフォンのイベント、やってたんですよね、おもしいろんですか」といわれた。

ふたりともオーディオには関心のない人。
ヘッドフォン祭がどういう催しなのかも知らないけれど、
開催日時もはっきりと知らなくとも、場所とヘッドフォン関係のイベントということだけは知っていた。

ふたりともインターナショナルオーディオショウ、オーディオ・ホームシアター展、
ハイエンドオーディオショウについては、何も知らなかった。

しかも、このうちのひとりはインターナショナルオーディオショウの初日、
インターFMでピーター・バラカンの番組を聞いている。
私は聞いていなかったのだが、番組内でインターナショナルオーディオショウの開催を告知していた、とのこと。

オーディオが関心外なのか、耳に入ってきていたはずなのに、
インターナショナルオーディオショウのことは記憶に残っていない。
そういう人が、ヘッドフォン祭のことを断片的とは知っている、ということは、考えさせられる。

サンプル数はふたりなのだから、たまたまだろう、ということで片付けられることでもある。
でも、私のまわりにふたりいたということは、もっといると思って間違いない。

ヘッドフォン祭が始ったのはいつからなのかは知らないが、
インターナショナルオーディオショウ、オーディオ・ホームシアター展よりも、最近のことである。

もしヘッドフォン祭が、ヘッドオーディオ祭だったら、どうだったのかとも思っている。

Date: 10月 30th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その47)

ステレオサウンド 50号のころは読者だった。
そのころのステレオサウンドの表紙に何を撮るのか、
おそらく決めていたのは原田編集長だったと思う。

その原田編集長が、3号で表紙を飾ったMC275を、50号という記念号の表紙にふたたびもってくる。
そのころは思いもしなかったけれど、編集経験を経てから思うのは、
50号の企画は前々から考え企画していたのではないか、ということ。

State of the Art賞という企画をいつごろ思いつかれたのかはわからないが、
当時耳慣れない”State of the Art”を根づかせるためにも、
二号続けてやる、ということも考えつかれたのではないか。

State of the Art賞を現行製品と旧製品で行う。
旧製品のState of the Art賞はやるには50号がぴったりである。
ならば現行製品のState of the Art賞は、一号前の49号ということになる。

そうして49号、50号とState of the Art賞が続いた。
これで、ステレオサウンドのState of the Art賞というものが確立した、といってもいい。

ステレオサウンドとステレオサウンドのメイン筆者の人たちが考える”State of the Art”とは、
どういうことなのか、どういうモノなのかが、はっきりと読み手側に伝わってきた。

“State of the Art”のうまい和訳が思いつかなくとも、
“State of the Art”が意味しているところは、
49号と50号で選ばれているオーディオ機器が語ってくれていたからこそ、読み手は理解できた。

賞というのは権威がやはり必要である。
ステレオサウンドは見事にそれをやった。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(ウィルソン・ブライアン・キイの著書・その1)

新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。つまり初期の時代、あるいは、少し前までは、海外の新製品、そして国産の高級機の新製品などは、東京とか大阪のごく一部の場所でしか一般のユーザーは手にふれることができなかったわけで、したがって「ステレオサウンド」のテストリポートは、現実の新製品知識を仕入れるニュースソースでもありえたわけです。
 ところが現在では、そういった新製品を置いている販売店が、各地に急激にふえたので、ほとんどだれもが、かんたんに目にしたり、手にふれてみたりすることができます。「ステレオサウンド」に紹介されるよりも前に、ユーザーが実際の音を耳にしているということは、けっして珍しくはないわけですね。
 そういう状況になっているから、もちろんこれは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。
     *
初めて読む人は、つい最近の発言かな、と思われたかもしれない。
これが載っているのはステレオサウンド 50号巻頭の座談会。
1979年の瀬川先生の発言である。
35年前のことが、いまを表している。

35年前よりもオーディオの最新情報はもっと氾濫している。
ここまで氾濫する世の中になるとは、瀬川先生も驚かれるはず。
スマートフォンを一台持っていれば、
いつでもどこからでもオーディオの最新情報(何も最新情報だけではなくうんと古い情報も)が得られる。

最近、頭から離れないのがウィルソン・ブライアン・キイの著書のタイトルだ。
一冊は「メディア・セックス」、もう一冊は「メディア・レイプ」。

本の内容よりも、タイトルが何度も浮んできている。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その46)

ステレオサウンドのState of the Art賞は49号から始まっている。
なぜ49号からだったのか。
それは50号のひとつの前の号だからである。

50号の表紙はマッキントッシュのMC275。
すでに製造中止になっているパワーアンプが表紙になっている。
MC275は、3号の表紙も飾っている。

ひとつの機種が、二回登場することは例がなかった。
33号と34号のプリメインアンプの特集ということで、
プリメインアンプが表紙になっている。

この二冊を見ると、仕上げが違うだけの同じアンプが続けて表紙になっているようにみえる。
どちらもアンプもケンブリッジオーディオの製品で、33号がP140Xで、34号がP70X。
このふたつのプリメインアンプはフロントパネルは仕上げが違うだけで同じである。
そういう例はあったけれど、M275だけが、表紙に二回登場した唯一の例である。

なぜ50号はMC275だったのか。
ここで思い出してほしい文章がある。
瀬川先生がステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」マッキントッシュ号に書かれたものだ。
     *
テストの最終日、原田編集長がMC—275を、どこから借り出したのか抱きかかえるようにして庭先に入ってきたあのときの顔つきを、私は今でも忘れない。おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた。彼はマッキントッシュに惚れていたのだった。マッキントッシュのすばらしさを少しも知らない我々テスターどもを、今日こそ思い知らせることができる、と思ったのだろう。そして、当時までマッキントッシュを買えなかった彼が、今日こそ心ゆくまでマッキンの音を聴いてやろう、と期待に満ちていたのだろう。そうした彼の全身からにじみ出るマッキンへの愛情は、もう音を聴く前から私に伝染してしまっていた。
     *
50号の表紙をMC275に決めたのは、間違いなく原田編集長(当時)のはずだ。
瀬川先生の文章から、MC275がどういう存在だったのかは伝わってくる。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その8)

話がそれるように思われるかもしれないが、ひとつ思い出したことがあるので書いておく。
1987年に大建工業がスピーカーシステムCRAFT-α9000を出した。

それまでオーディオとは関係のなかった企業のオーディオへの参入であり、
大建工業のスタッフの方が、ステレオサウンドの試聴室にCRAFT-α9000を持ち込まれた。
音を聴き、説明を受けた。

後日、井上先生の新製品の試聴があった。
そのときにCRAFT-α9000の話になった。
どうだった? ときかれたので、話した。

そのとき井上先生がいわれたことが今も記憶に残っている。
「それは、もう木じゃないね」だった。

CRAFT-α9000は振動板にαウッドと呼ばれる新素材を採用した平面振動板による3ウェイのシステムだった。
αウッドは、中部コーン製作所と京都大学の木材研究所との共同開発で生れてきたもので、
アセチル化処理により木材の欠点を改良した、というものだった。
細かなことはインターネットで検索すれば出てくるので省略するが、
大きな特徴として水を吸いにくい(吸わない)ので腐らない、ということだった。
経年変化もわずかということだった。

自然素材である木の欠点を改良する。
いいことのように思えるけれど、そこに井上先生の一言で考えさせられた。

木の欠点をなくすことで、木の良さも失っている。
それはもう木とは呼べない、ということだった。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: 情景

情報・情景・情操(8Kを観て・その4)

ソニーのブースで、スタッフの人が言っていた。
4Kには最低でも、このくらいのサイズで見てほしい、といったことを。

ソニーのブースのスクリーンは120インチだった(と記憶している。)。
このことはソニーのスタッフはいうとおりであり、
映像としての情報量が増えていけば、画面(スクリーン)のサイズも大きくなっていて、
1インチあたりの画素数も高くなっていかなければならない。

実家にあった古いテレビはモノクロ。
幼いころなのでサイズまでは正確に記憶していないけれど14インチくらいだったはずだ。
この時代に20インチ以上のテレビはあったのだろうか。
あったとしても、このころのテレビ放送には20インチ、それ以上のサイズは必要としなかったのではないか。

三菱電機が37インチのテレビを発表した時、ステレオサウンドで働いていたから、
HiVi編集部に、この37インチのテレビが搬入された日のことはよく憶えている。

エレベーターに乗るのか、重量はどのくらいなのか。
前の日から搬入の大変さが予想されていた。

液晶テレビが当り前の世代にとって、37インチの三菱電機のテレビの大きさはどう映るだろうか。
とにかく大きい、と感じた。画面サイズは想像できていたけれど、奥行きは想像をこえていた。
こんなに大きい(デカイ)テレビが、そんなに売れるのだろうか、と、個人的な感覚で思ってしまったが、
世の中には受け入れられていった。

このことが関係しているのか、テレビということに関して、36インチくらいでいいと思っている。
そんな人間だから、4Kに対してもそれほど関心がなかったわけだ。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その11)

目の前に紙が一枚ある。
手に取り、ぐしゃっとまるめる。

どんなに細心の注意をはらっても、まるめた紙と同じように別の紙をまるめることはできない。
まるめた紙は似ているまるめた紙はあっても、まったく同一のまるめ方の紙はおそらく存在しない。

だからといって、まるめた紙を「芸術(アート)だ」といえるわけがない。
だが、現実にはこれと同じことをして、「芸術(アート)だ」という人がいる。

まるめた紙がアートとなるのか。
まるめた本人がそういうのであれば、少なくともまるめた本人にとってはアートということになる。
本人だけでなく、一人以上の人が賛同してくれればどうなるか。
アートなのだろう。

ときとして、この程度であってもアートであるけれど、
これでは絶対にデザインにはならない。

その9)に書いた「4343よりも4333がデザインがいい」という人は、
まるめた紙をアートだといい、デザインだ、といっている人である。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(その13)

録音されたモノを再生する、という行為で、
高城重躬氏の行為と、市販されているプログラムソースを購入して鳴らす、という私を含めての一般的な行為、
このふたつの行為の違いはなんなのか。

別項「ハイ・フィデリティ再考」の(その29)で書いたことをくり返すことになる。

High Fidelity ReproductionかHigh Fidelity Play backの違いである。
High Fidelity Reproductionは、誰かがどこかで録音したプログラムソースを鳴らす行為であり、
High Fidelity Play backは、高城氏がやられていた行為である。

この考えが一般的がどうかはわからないが、私はそう考えている。
グレン・グールドがいうところの「感覚として、録音は未来で、演奏会の舞台は過去だった」、
録音は未来であるためには、reproductionでなければならない。

reproduction(リプロダクション)には、High Fidelity ReproductionとGood Reproductionとがある。
1950年代にイギリスの音響界で、ハイ・フィデリティについて討論がなされていたころ出て来た概念が、
Good Reproduction(グッド・リプロダクション)であり、
最近のステレオサウンドで、ハイ・フィデリティとグッド・リプロダクションの扱われ方には、
いくつかいいたくなるけれど、ここでは控えておこう。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(その12)

録音の対象であるスタインウェイが置かれた部屋での再生。
そこでほぼナマのスタインウェイの音と判断がつかないレベルの音が出たとしても、
スタインウェイのピアノを、その場から出した状態で、もう一度再生してみたらどうなるか。

ずいぶん違う印象の音になることはまちがいない。
スタインウェイのピアノが置かれた状態では、
ナマのスタインウェイの音と再生音との区別がはっきりとわからなかった人でも、
スタインウェイのピアノがなくなってしまった状態では、わかる人も出てくるはず。

このことで高城重躬氏が追求されていた「原音再生」を否定はしないし、できもしない。
ピアノがあることの、再生音への影響は高城重躬氏もよくわかっておられたであろうし、
あくまでも高城氏のリスニングルーム(スタインウェイのピアノが置かれた部屋)という、
非常に限られた条件下での原音再生であるのだから。

高城氏がLPも再生されていたのは知っている。
重量級のターンテーブルプラッターを、
オープンリールデッキのモーターを流用しての糸ドライヴという手法を、かなり昔からやられていた。

けれど高城氏の著書を読むかぎりでは、あくまでも音の追求ということに関しては、
LPで、ということではなく、自身で録音されたスタインウェイの音である。

高城氏がオーディオ、音について書かれたものを読む際に忘れてはならないのは、このことである。
とはいえいったん録音したものの再生であることには、レコード再生も自宅録音の再生も変りはない。

たとえば同じ部屋をふたつつくり、片方の部屋にはスタインウェイのピアノ、
もう片方にオーディオのシステムを置く。

ピアノの音うマイクロフォンで拾い、録音せずにそのまま隣の部屋のオーディオで鳴らす。
これでそっくりの音が出るように追求する、という原音再生の手法も考えられる。
けれど高城氏はそうではない。いったん録音されている。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: 「オーディオ」考

豊かになっているのか(その6)

サンスイのプリメインアンプAU-D907 Limitedを買ったことは何度か書いているとおり。
それからSMEの3012-R Specialも無理して買った。

AU-D907 Limitedは型番からもわかるように台数限定だった。たしか1000台だったはず。
3012-R Specialも、ステレオサウンドに最初広告が載った時には、限定、と書いてあった。
結局、SME(もしくはハーマンインターナショナル)が思っていた以上に売行きが良かったのだろう、
限定ではなく通常の製品になっていた。

オーディオ機器にはLimitedの型番がモノが他にもいくつもある。
Limitedとつかなくとも限定のオーディオ機器もいくつもある。

マニアの心理としてLimitedの文字には弱い。
それはなぜなのか。
「いい音で聴きたい」という気持よりも「人よりもいい音で聴きたい」という気持が、
時として強く、その人自身を支配しているからではないのか、と思う。

AU-D907 Limitedも3012-R Specialも、かなり無理して買っている。
これらが限定ではなかったら、そこまで無理はしなかったであろう。

いま買わないと、もう手に入らなくなる。そんなあせる気持もあった。
しかもAU-D907 Limitedも3012-R Specialも、音を聴かずに買っている。

なぜそこまでして買ったのだろう。
「いい音で聴きたい」という気持からだ、とは、もちろんいえる。
オーディオマニアのほとんどの人が、おそらくそういうだろう。

でも、やはり「人よりいい音で聴きたい」という気持があったからだ、ともいえる。

このことだけではない、オーディオマニアとしての「いい音で聴きたい」ための行動を、
少し違う視点からふり返ってみると、どうしても「人よりいい音で聴きたい」という気持があったことを、
少なくとも私は否定できない。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: audio wednesday

第46回audio sharing例会のお知らせ(賞とショウ)

11月のaudio sharing例会は、5日(水曜日)です。

インターナショナルオーディオショウもハイエンドオーディオショウも、
showをショーではなく、ショウとしている。
今年もあと二ヵ月ほどだ。
11月、12月に出るオーディオ雑誌では、それぞれ独自の賞を特集する。

showも賞も、(しょう)と読む。
単なる偶然なのだろうが、オーディオ雑誌の賞の在り方をみていると、
単なる偶然なのだろうか、という気がしてくる。

賞はshowなのか。
この関係について、何か話せるような気がしている。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。