Archive for category テーマ

Date: 2月 26th, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

3月4日のaudio wednesdayには、
ポリーニとアバド/シカゴ交響楽団によるバルトークも持っていく──、
前回書いた。

ポリーニとアバドのバルトークを、3月のaudio wednesdayの最後にかけようと思っている。

最初にかけるのは、
アルゲリッチとコンドラシン/バイエルン放送交響楽団によるチャイコフスキーにするかもしれない。

アルゲリッチとコンドラシンのチャイコフスキーのピアノ協奏曲は、
これまで何度か鳴らしているが、その時は通常のCDだった。
つまり、まだ喫茶茶会記にマッキントッシュのMCD350が導入される前だった。

今回は、タワーレコード独自のSACDをもっていく。
コンドラシンによるリムスキー=コルサコフのシェエラザードとのカップリング。
どちらもずっと昔よく聴いていたことがある。

シェエラザードは、瀬川先生が、熊本のオーディオ店でかけられたことがある。
実を言うと、リムスキー=コルサコフのシェエラザードの、
コンドラシン/コンセルトヘボウ管弦楽団のこの一枚しかもっていない。

ポリーニとアバドのバルトークもそうだが、
アルゲリッチとコンドラシンのチャイコフスキーも、
以前鳴らしていた時と、喫茶茶会記の音は違っている。

だから、アルゲリッチのチャイコフスキーも、いまここで鳴らしたい、という気持が強い。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 26th, 2020
Cate: 会うこと・話すこと

店で買うと云うこと(その1)

本もCDも、できるだけ店に行って買うようにしたい、と思っていても、
タワーレコード、HMVのサイトを眺めていると、
結局、インターネットを使って買った方が安くなることが多いので、
ついそちらを利用してしまう。

とはいえ新宿のタワーレコードにはときどき行くようにはしている。
渋谷のタワーレコードのほうが規模は大きいのだが、
渋谷駅からタワーレコード渋谷店までが人が多すぎるように感じてしまう。

それでつい億劫に思い、新宿を利用することが私の場合、多い。

日本のCDの売上げが世界一とかいわれている。
でもタワーレコードの渋谷店、新宿店にずっと行っている人ならばわかっているはずだ。

クラシック、ジャズの売場は、どちらも狭くなっている。
どちらの店舗も、できたころと較べると、クラシックとジャズの売場はかなり狭くなっている。

ポップス/ロックの売場も、クラシック、ジャズほどではないが狭くなっている。
かわりに広くなっているのは、J-POPとK-POPの売場である。

クラシック、ジャズ売場は人が少ない。
以前はもっと人がいたのに……、と思うほどに少なく感じる。

日本のCDの売上げが世界一といっても、
クラシック、ジャズは減ってきているのではないのか。
もしかすると店舗には行かずにインターネットで買う人の割合が増えているだけのことであって、
クラシックのCDもジャズのCDも、売場の狭さほどには縮小していないことも考えられる。

でも店舗に行くと、やっぱりいいな、と思う。
タワーレコードは若い店員が多い。

髪をいろんな色に染めている人、
ピアスをいくつつけているんだろうか、とつい数えたくなる人もいる。
そうでない人もいる。

でも、みな対応がいい。
タワーレコードでイヤな思いをしたことは記憶にない。

今日も行っていた。
2フロアー、いろいろ眺めて、数枚のCDを買った。

どちらのフロアーの店員も気持いい接客である。
タワーレコードで働くのが好きだからなのか。

私が行くのは新宿店と渋谷店ぐらいだ。
ほかの店舗がどうなのかは知らないが、
タワーレコードに行くと、また来よう、といつも思う。

Date: 2月 25th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいシゲティの無伴奏ソナタとパルティータ

シゲティの、バッハの無伴奏ソナタとパルティータが、
3月下旬にLPで復刻されるのを、タワーレコードのページで知った。

《VANGUARD社所蔵のオリジナル・マスターテープからの最新リマスタリング》とある。
さらにマスタリングエンジニア、マスタリングに使われた器材の表記もある。

これを見て気づくのは、一度デジタルに変換してのマスタリングである、ということだ。
これを批判する人も少なからずいるだろうが、
私はむしろ、同じマスターでMQAで配信、もしくはMQA-CDで出してくれないか、
そういうことを思ってしまう。

いまのところシゲティは、MQA-CDもないし、e-onkyoでも配信されていない。
今回のLP復刻を機に出てこないものか、とちょっぴり期待している。

Date: 2月 25th, 2020
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その18)

「音は人なり」

オーディオを介してスピーカーから鳴ってくる音は、
まぎれもなく、そのスピーカーを鳴らしている人の表現である。

だからといって、自己表現ということばは使いたくない。
それでも己の、なんらかの表現であることは確かである。

「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」

13歳で出逢った「五味オーディオ教室」に、そう書いてあった。
他にもいくつか深く心に刻まれたことばはある。
その中でも、この「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」は、
オーディオの最終解答のようにも感じた。

「音は人なり」に「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」をあてはめようではないか。
そうすると、ここでの無音とは己の表現を無にした音なのではないか。
そうおもえてくる。

Date: 2月 24th, 2020
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その8)

イギリスのCHORDは、スイッチング電源に最も意欲的・積極的なメーカーである。
CHORDのD/Aコンバーターやコントロールアンプといった、
消費電力の少ない製品に関しては、90Vから250Vまで対応している。

消費電力の大きいパワーアンプではどうかというと、各国の電源事情にあわせている。
日本の輸入元タイムロードのウェブサイトには100Vのみが記載されている。

本国のCHORDのサイトでは、D/Aコンバーター、コントロールアンプなどでは、
90v AC-250v AC auto switchingとある。

パワーアンプのところには、電源電圧に関する項目がない。
スイッチング電源の専門メーカーともいえるCHORDだから、
パワーアンプにおいては、auto switchingでは電源電圧の低い国では、
音質的に不利になることを理解しているのだろう。

ジェフ・ロゥランドも、スイッチング電源を採用している。
プリメインアンプのDaemonのリアパネルをみると、85-265 VACとある。

パワーアンプのリアパネルには、スイッチング電源であっても100Vとあったりする。

このあたり、ジェフ・ロゥランドが、
スイッチング電源と電源電圧の関係による音の変化をどう考えているのか知りたいところだ。

スイッチング電源を搭載しているオーディオ機器は何も使っていない──、
そういう人もいる。
そういう人でも、パソコンを使って再生しているのであれば、
そのパソコンに使われている電源は、メーカー製であるならばスイッチング電源である。

ノート型で、音楽再生時にはバッテリー駆動しているというのであればいいが、
AC電源を使う場合、電源電圧は高いほど有利になるのは同じだ。

Date: 2月 24th, 2020
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その7)

メーカーは100Vの電源電圧であっても、
十分な容量のコンデンサーを搭載している、というはずだ。

けれど、このことは240Vで使用すれば、
コンデンサーの容量にかなりの余裕がある、ということになる。

平滑後のスイッチング電源でリップルは抑えている、と、またメーカーはいうだろう。
たしかにそうだろうが、それでも音は変らない、といえるだろうか。

でも、それは整流・平滑のあとに定電圧回路を入れているから、
電源トランス、ダイオード、コンデンサーなどによって音は変らない、というのと同じことだ。

スイッチング電源では、入力される電源電圧によって音は変化しない──、
そうであってほしい、といちばん願っているのはオーディオマニアなのかもしれないが、
現実には音は変ってくる。

音が変る──、ということで喜ぶオーディオマニアも意外に多いのかもしれないが、
私は変ってほしくない、と思う側だ。

でも変る以上はなんとかする必要がある。

自分で設計し自作するのであれば、
スイッチング電源の場合、最初から100Vに限定しておくのがいい。

けれどメーカー製の場合はそうはいかない。
メリディアンの218も、平滑コンデンサーの耐圧は450Vとなっている。
100Vに限定すれば、耐圧は半分以下におとせる。

そして、その分、同サイズのコンデンサーならば容量は増える。
218(version 10)とは、このコンデンサーの交換のことである。

でも別項「218はWONDER DACをめざす」で書いているように、
部品の交換はやらないと決めている。

ならばどうするか。
電源電圧を昇圧するわけだ。

Date: 2月 24th, 2020
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その6)

スイッチング電源では、平滑コンデンサーにかかる電圧は、入力される電源電圧によって違ってくる。
100Vと200Vとでは、平滑コンデンサーにかかる電圧がそれだけ違ってくる。

つまりスイッチング電源で、100Vから200V(もしくは240V)まで対応するには、
高い電圧のほうに、コンデンサーの耐圧をあわせることになる。

交流を整流し平滑して直流にする。
けれどこれだけで完全な直流になるわけではなく、
リップルという小さな波が残ってしまう。

リップルが小さければ小さいほどいいわけで、
コンデンサーの容量は、このリップルと密接に関係してくる。
簡単にいってしまえば、コンデンサーの容量が大きいほどリップルは小さくなっていく。

けれどコンデンサーには耐圧という制約がある。
耐圧が高いコンデンサーと低いコンデンサーである。
この二つのコンデンサーのサイズが同じならば、
耐圧の低いコンデンサーのほうが容量は大きい。

それから実際に電源回路に使った場合、
消費電流が少ないほど、同じ電源電圧、同じコンデンサーの容量であっても、リップルは小さくなる。
ほかの条件が同じでも、電流が大きくなればリップルも大きくなる。

電圧に関してはどうかといえば、電流が同じであれば、
電圧が高い方がリップルは小さくなり、低くなればリップルは大きくなる。

どういうことかというと、240Vの電源電圧まで対応できるスイッチング電源であれば、
平滑コンデンサーの耐圧はそれだけ高いわけだし、リップルに関しては有利になる。

それを100Vで使うとなると、コンデンサーの容量は変らず、電圧だけが低くなるわけだから、
リップルに関しては不利になる。

240Vと同じリップル率にするには、100Vではコンデンサーの容量を増さなければならない。

Date: 2月 24th, 2020
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その5)

オーディオアンプにスイッチング電源が採用されたのは1970年代後半からだから、
スイッチング電源という考え方は、それ以前からあったのだろうなぁ、ぐらいには思っていた。

数日前に、あるニュースサイトに
コンピューターや家電製品の「電源」はどのように進化してきたのか?』という記事があった。

この記事によると、スイッチング電源の構想は1930年代とある。
まだトランジスターが登場していないころである。
動作周波数20kHzのスイッチング電源は、1960年代後半に登場したこともわかる。

この記事に刺激されて、スイッチング電源の歴史で検索してみると、
なかなかおもしろい。

1974年ごろ、Robert Boschert氏によるスイッチング電源の簡略化が実現してなければ、
オーディオへの採用はもっと後になっていたかもしれない。

とにかくそうやってビクターやソニーのパワーアンプ、
それからテクニクスのコンサイスコンポへ搭載された。

このころのスイッチング電源は、100Vのみだった。
いまのスイッチング電源は、そうではない。

メリディアンの218のリアパネルには、100-240V ACとある。
内部は緯線を切り替えることなく、100Vでも200Vでも、240Vでも対応できる。

いまではあたりまえのことなのだが、
初期のスイッチング電源ではそうではなかったから、進歩といえる。

けれどオーディオに関していえば、進歩と素直に喜べない面もある。

スイッチング電源は、まずダイオードで整流し、コンデンサーで平滑する。
通常の電源は、まず電源トランスがあり、そこで電圧を昇圧・降圧したうえで、
整流・平滑とする。

つまり通常の電源の場合、平滑用コンデンサーにかかる電圧は、
各国の電源事情にあわせて電源トランスの一次側の巻線で対応するため、
100Vの国だろうと、もっと高い電圧の国であろうと同じである。

スイッチング電源は、そこが違う。

Date: 2月 23rd, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その8)

別項「オーディオにおけるジャーナリズム(ウィルソン・ブライアン・キイの著書・その4)」で、
情報というよりメディアがBGM化していると捉えるならば、
background mediaだから、もうひとつのBGMとなる──、と書いた。

同じく(その3)では、情報の垂れ流しについて書いた。

私がSNSへのマルチポスト、
そしてマルチポストを平気でする人に対して嫌悪感をいだくのは、
ここである。

それは情報の垂れ流しであり、BGM(background media)であるからだ。

垂れ流しとは、辞書には、未処理の廃棄物などをたれ流すこと、とある。
未処理の情報もどきも、未処理の老廃物と同じように感じるからだ。

Date: 2月 23rd, 2020
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(オーディオアクセサリー 176号)

オーディオアクセサリーの最新号が書店に並んでいる。
176号のページによれば、《編集部入魂の1冊》だそうだ。

この号で興味を惹くのは、巻頭企画②「新春座談会2020年 これからのオーディオを語る」である。
記事の紹介文を引用しておく。
     *
2020年最初の刊行となる176号では、本誌で健筆をふるう評論家陣が大集合。福田雅光氏がオーディオ界でいまもっとも勢いのあるオピニオンリーダー達を自宅の新試聴室に招集。もともとは福田氏が単に新年会を企画していただけのことだったのですが、この錚々たるメンバーが一堂に会する機会などめったにない。そこで編集部はこの機会を逃すまいと、この新年会に潜入。新春座談会という形で、しばしの間(!?)、オーディオの未来や、アナログ再生の現状、オーディオ雑誌の問題点等々のお話をしていただいた。編集部からの要望はひとつだけ。「立派な話はしないでくださいね」。これを受けて“正論”無しのバトルが火を噴いた。掲載できるギリギリの内容までつめた、評論家陣のぶっちゃけトークをぜひともお楽しみください。
     *
福田雅光氏監修とある。
これだけを読んでいると、期待できそうな感じもしないでもない。
とはいってもオーディオアクセサリーだから……、
それほど期待はしていなかったが本音でもある。

おもしろければ、つまりほんとうに紹介文通りの内容であれば買うつもりだった。
これだけ、いわば煽っているのだから、
ボリュウム的にも最低でも8ページくらいあるんだろうな、とも勝手に想像していた。

書店に手にとって、がっかりした。
わずか4ページしかない。

《掲載できるギリギリの内容までつめた、評論家陣のぶっちゃけトーク》が、
ほんとうに読めるのであれば、それでもかまわない。

でもページをめくって4ページ目にある見出しを見て、
もう期待できない、と確信した。

福田雅光氏の発言が見出しになっていた。
買わなかったので、正確な引用ではないが、こんなことだった。

書き方を変えた、
持論を加えるようになった

そんなことだった。
これをどう受け止めるのだろうか。
ほとんどの人が、それではいままで持論を語ってこなかったのか、と驚くのではないのか。

Date: 2月 21st, 2020
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(余談・その3)

いま書店に並んでいるおとなの週末の最新号の特集は、とんかつ。

そこに西荻窪のけい太という店が、高く評価されている。

西荻窪は以前住んでいたし、いまは途中の駅である。
途中下車して行ってみた。

駅からはとても近いビルの地下一階にある。
そこは昭和のころは、別のとんかつ店だった。
二三度行ったことがある。

令和に、新しいとんかつ店になっている(開店は2019年11月とのこと)。
夕方早い時間に、一人だったこともあり、並ぶこともなく入れた。

でも次々と客が入ってくる。
電話もかかってきていた。予約の電話のようだった。
おとなの週末であれほど高い評価なのだから、だろう。
私もおとなの週末を見て来ているのだから。

まず、なにもつけずにそのまま食べてほしい、とあった。
それから塩、わさび醤油、ソースをお好みで、とあった。

そのとおりに食べた。
感じたのは、刺し身的ということだった。

とんかつはソース! という私でも、
けい太のとんかつはわさび醤油がいい、と感じていた。

残念なこと、というか、不思議なこと、というべきか、
ソースをつけたのがいちばん少なかった。

ソースも、スパイシーなウスターソースであったならば、と思いもしたが、
ないものはしかたない。

食べていて、昭和のころのおいしいとんかつとは違ってきたことを感じていた。
どちらも私は好きなのだが、
ちょっとおもうところもある。

それは刺し身的に感じられたこととも関連してくるのだが、
このとんかつならば、白いご飯よりも、他にもっと合うものがあるのではないか。
けい太のご飯もおいしかった。

ケチをつけるようなことではないのだが、
昭和のおいしいとんかつ、
つまり白いご飯とよく合うとんかつに親しんできた者は、
そんなことをつい思ってしまう。

もっとも、このことも、
昭和のそういうとんかつに慣れ親しんだことでつくられた感覚にすぎないのかもしれない。

Date: 2月 21st, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

3月4日のaudio wednesdayには、
ポリーニとアバド/シカゴ交響楽団によるバルトークも持っていく。

2016年1月のaudio wednesdayから音を鳴らすようになった。
この時、来られた方の一人が、ポリーニとアバドのバルトークをもってこられた。
鳴らしている。

四年以上が経ち、
喫茶茶会記のシステムも変化していっている。
スピーカーはおおまかには変っていないといえるが、
それでも変化はある。

それ以上に音は変化している。
だから、いまここで鳴らしたい、という気持が強い。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 20th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その7)

表現のインフレーションとSNSへのマルチポスト。
ここに共通してくるのは、殊更という感覚なのではないだろうか。

殊更は、2月のaudio wednesdayに来られたデザイナーの坂野さんが、
facebbokにくれたコメントにあったことばだ。

『殊更』とあった。
ふだん、ほとんど意識せずに使っている「ことさら」ではあるが、
『殊更』を見て、今年一年の私にとってのキーワードになっていく予感がした。

オーディオのアクセサリー類を、
屋上屋を重ねるような使い方をしている人はけっこう多い。
私もハタチぐらいのころは、似たようなことをしてきた。

屋上屋を重ねることをやっていたときは、
音がよくなった、と思っていた。

なのにしばらくして、屋上屋を重ねる的なことをすべて取っ払ってしまった音を聴くと、
何をしていたのだろうか、何を聴いていたんだろうか、というおもいにとらわれることもしばしばあった。

これは、殊更感を増すためにやっていたのではないだろうか。

別項で「時代の軽量化」を書いている。
殊更感が増すほどに、時代の軽量化も進んでいくような気もしている。

その3)で、SNSを眺めていると、
この人は、いったいどういう音を鳴らしているのか、と思ってしまうことを書いた。

オーディオマニアならば、スピーカーとかアンプを交換したときの音の違い、
それもたいていはグレードアップなのだから、音が良くなっているはずなのだから、
そこでの音の良さについて誰かに伝えたくなる気持はある。

そういう文章を読んで、素直に喜びが伝わってくる、と感じるよりも、
最近では、この人は、いったい、どんなにすごい音を出しているのか──、
そんな疑問が先にたつことが増えてきた。

つい先日もtwitterを眺めていて、そうだった。

Date: 2月 20th, 2020
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その6)

オーディオ評論は、どうだろうか。
マンガと違い、オーディオ評論用のスマートフォンのアプリはいまのところない。

これから先もまずない、だろう。
なので、掲載誌という概念はまだ残っていくのか、といえば、
どうなのだろうか、と考え込むところもある。

一冊の書籍でも書き下ろしでなければ、巻末に初出誌一覧がある。
岩崎先生の「オーディオ彷徨」、瀬川先生の「虚構世界の狩人」、
菅野先生の「音の素描」などにも、初出一覧がある。

けれど初出一覧をじっくり見ている人はどのくらいいるのか。
意外と少ないようにも感じている。

「オーディオ彷徨」だとステレオサウンドとスウイングジャーナルで大半をしめ、
あとはレコード芸術、オーディオ・ジャーナル、ジャズ、ジャズランド、サプリーム、FMレコパル、
サウンド、レアリテなどがある。

私は「オーディオ彷徨」を最初に読んだ時、
読み終ってから初出一覧を見て、
あの文章はやはりスイングジャーナルに書かれたものなのか、
レアリテって、どういう雑誌? と思い、冒頭を読み返したりもした。

「虚構世界の狩人」でも同じことをやったし、
黒田先生の「レコード・トライアングル」、菅野先生の「音の素描」のときもそうだった。

おもしろいと感じた文章ほど、どこに書かれたなのなのかが気になる。
自分がそうだから、ほかの人も同じ、と思い込まない方がいいのはこの件でも同じで、
初出一覧なんて、まったく気にしない、という人がいるのも知っている。

そこに書かれた内容をしっかりと読んでいさえすれば、
初出がどの雑誌なのか、なんてことは気にする必要はない、
といいきれないところが私にはある。

この感覚は、性格的なものでもあろうし、マンガを読んできていたからなのか、とも思う。

Date: 2月 19th, 2020
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その5)

スマートフォンでマンガを読む人がけっこう多くなったように感じている。
電車に乗っていると、男の人だけでなく、女の人もスマートフォンで読んでいる。

女の人だから、女性向けのマンガを必ずしも読んでいるわけでもなく、
男性向けのマンガを読んでいる人も増えているようだ。

私もマンガ好きなので、iPhoneにはいくつかのマンガ用アプリを入れている。
一時期は、新しいマンガ用アプリが出ればインストールしていた。
けっこうな数使って、いまは四つだけに絞っている。

マンガ用アプリで読んでいて気づくことは、
人気の高いマンガは、一つのアプリだけでなく、
複数のアプリで読むことができる、ということだ。

このことは紙の本では絶対に、といっていいくらいありえないことである。
どんなに人気があるマンガであっても、
掲載誌が複数ということはこれまでなかった(はずだ)。

だからこそ、このマンガを読みたいから、このマンガ誌(掲載誌)を買っていたわけだ。
つまりマンガという作品は、掲載誌とつねに関連づけられていた。

けれど、いまはどうだろうか。
スマートフォンでマンガを読む人が増えれば増えるほど、
掲載誌という概念はなくなりつつあるわけだ。

そうだから、女の人でも、いまでは男性向けのマンガを読む機会、接する機会が、
紙の本だけの時代よりもずっとずっと多くなっている。

おそらくマンガ雑誌の編集者の人たちは、
掲載誌という概念が希薄になっている、
すでに失われつつある──、ということを以前から感じとっていた、と思う。