バッハ 平均律クラヴィーア曲集(その5)
ピアノで弾かれた平均律クラヴィーア曲集ならば、
私はリヒテル、グールド、グルダがあれば、いい。
他にもいくつかのディスクは聴いている。
といっても、市販されたディスクの半分も聴いていないはずだ。
リヒテル、グールド、グルダの演奏よりも、もっと素晴らしい演奏がすでにあるかもしれないし、
いまはなくとも今後登場してこないとは言い切れない。
それでも、私は、もうこの三組の平均律クラヴィーア曲集で充分である。
クラシック、ジャズ好きの人に多いように感じているが、
グールド一番だ、とか、コルトレーンは金メダル、とか、
そんな表現をしがちな人がいる。
演奏は競技ではないのに、なぜ、一番とか金メダルとか、
そんな表現をするのだろうか。
グールドは素晴らしい、コルトレーンは素晴らしい、でいいではないか。
なぜ、そこに順位をつけるようなことをいうのだろうか。
結局、これは、自分は一番いいものを知っている、
その良さを理解している──、
そんなふうに主張したいだけなのか。
そんな人は、平均律クラヴィーア曲集に関しても、
私なんかよりももっともっも多くの録音を聴いて、
これが一番! というのだろう。
そこには、自分はこれだけの枚数を聴き込んできた、という自慢も含まれているのか。
満たされる、ということはないのか。
満たされる、ということがないまま音楽を聴き続けていくのだろうか。