Archive for 7月, 2018

Date: 7月 23rd, 2018
Cate: Frans Brüggen

Frans Brüggen(その2)

カザルスのベートーヴェンの交響曲第七番については、何度か書いている。
文字通り、カザルス指揮の第七番を聴いて打ちのめされた。

それから一時期、カザルスのレコードを聴きまくっていた。
七番以外にもモーツァルトの交響曲を買ったし、バッハももちろん買った。
シューベルト、それにベートーヴェンの八番などである。

八番も凄かった。
カザルスの八番を聴くまで、八番がこういう曲だとは思ってもみなかった。
カザルスの八番を聴いて、いろんな指揮者の八番を聴きまくった。

カザルスの八番以外でもっともよく聴いていたのが、
フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラによる八番だった。

その後もいくつもの八番を聴いてきた。
いまもベートーヴェンの八番といえば、カザルスとブリュッヘンである。

この二枚があれば、ベートーヴェンの八番は他にはいらない、とまではいわないものの、
この二枚がなければ、私にとってのベートーヴェンの八番はないに等しい曲になってしまう。

Date: 7月 23rd, 2018
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その22)

EL34はポピュラーな球だ。
マランツのパワーアンプに使われてきたことでも知られているし、
無線と実験、ラジオ技術でも自作アンプによく使われていた球だ。

とにかく扱いにくくない球だ、といえる。
ポピュラーな球だけあって、既製の電源トランスがそのまま使える。
電源トランス選び(外観を含めるとそれなりに苦労するけれど)に苦労することはほとんどない。

出力トランスにしても、同じだ。
特註しなければならないパーツを使う必要はない。

ソケットもそうだ。
市場に出廻っている球の中には、ソケットで苦労する場合がある。
珍しくてもそれほど高価でない球もあるが、そういう球の場合、
ソケットの方が球よりも高価だったりする。

EL34はオクタルソケットだから、そんな苦労はない。

こんなEL34を、不思議なことにマッキントッシュは一度も採用していない。
15W1は6V6、50W1と50W2は6L6G、20W2は6V6G、A116は6BG6、MC30は1614、MC60は6550、
MC240(MC40)は6L6GC、MC225は7591、MC275(MC75)はKT88/6550、
MC3500は6LQ6/6JE6Bである。

これだけの種類の出力管を使ってきていながら、EL34は一度も使っていないのは、
先にマランツが採用したからなのだろうか。

これには、マランツとマッキントッシュのあいだで暗黙の了解があったのだろうか。

マッキントッシュは三極管接続を採用していない。
EL34は三極管接続時のリニアリティの良さが知られている球でもある。
このへんにも、その理由があるのだろうか。

Date: 7月 23rd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その2)

前々から気づいていたけれど、
今回ステレオサウンド 207号を久しぶりに買って読んで、
あらためてそうだな、と感じたのは試聴記のパターンである。

試聴ディスクが、鉤括弧(「」)で括られている。
しかもそれだけでなく、試聴記のほとんどにほほ万遍なく鉤括弧付きでディスク名が出てくる。

これはほぼ間違いなく編集部からの要望というか指示なのだろう。
鉤括弧付きのディスク名がない試聴記は、
柳沢功力氏のB&Wの802D3、KISOアコースティックのHB-G1、
ソナス・ファベールのIL Cremoneseだけである。

これらを眺めていると、どことなく気持悪さを感じる。
ステレオサウンド編集部が、こういう試聴記がわかりやすいと考えているのか。

Date: 7月 23rd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その1)

2009年4月にこんなことを書いている。
     *
わかりやすさが第一、だと──、そういう文章を、昨今の、オーディオ関係の編集者は求めているのだろうか。

最新の事柄に目や耳を常に向け、得られた情報を整理して、一読して何が書いてあるのか、
ぱっとわかる文章を書くことを、オーディオ関係の書き手には求められているのだろうか。

一読しただけで、くり返し読む必要性のない、そんな「わかりやすい」文章を、
オーディオに関心を寄せている読み手は求めているのだろうか。

わかりやすさは、必ずしも善ではない。
ひとつの文章をくり返し読ませ、考えさせる力は、必要である。

わかりやすさは、無難さへと転びがちである。
転がってしまった文章は、物足りなく、個性の発揮が感じられない。

わかりやすさは、安易な結論(めいたもの)とくっつきたがる。
問いかけのない文章に、答えは存在しない。求めようともしない。
     *
自分の書いたものを引用するのはあまりやりたくないけれど、
そういいながら、これで三回目である引用をまたやっているのは、
今回の件とも関係していると思い出したからである。

こうやって引用することで、引用した文章を書いた時の気持も思い出している。
この時は、怒りを感じていた。

Date: 7月 23rd, 2018
Cate: audio wednesday

第91回audio wednesdayのお知らせ(涼しげな音を出せれば、と)

8月のaudio wednesdayは、1日。
テーマは、というか、やりたいことはあるのだが、
それを準備するのが、この暑さに負けて行動に出ていない。
材料を買いに、ふだん行かないところに出掛けるのが(多少距離はある)、
億劫になっていて、おそらく先延ばしにする予定。

今回はテーマなしでの音出しも考えたが、
暑さを理由に先延ばしにすることがあるのだから、暑さを理由にしたテーマということで、
いままでよりもある部分を変えることで、少し涼しげな音が出せれば、と、
そんなことを考えている。

たいして普段と変らない音になるかもしれないが、まったく同じということにはならない。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その54)

そのスピーカーの輸入元の担当者はオーディオ関係者である。
同時にステレオサウンドの読者でもある。

オーディオ業界で仕事をしているから──、
ということは望めないということを、私はこの件で知った。

たった一件のこととはいえ、そういう人がいるという事実は変らない。
オーディオ業界にいる人だから、しっかり読んでくれる人なわけではない。

最初は柳沢功力氏の意図を汲み取って読まれていた、と思われるのに、
誰からにいわれただけで、ころっと変ってしまう。

この人には、その人なりの読み方がないのか(私よりも年上である)。
一度、拘泥した読み方にはまってしまうと、そこから抜け出せないのか。

編集部にいると、たまに読者の方からの電話を受けることがあった。
ただ何かを話したい、という人もいたし、
相談にのってほしい、という人もいた。

なかには、上記のような担当者のような読者もいた。
どうしたら、そういう読み方になるんだろうか、と理解に苦しむこともあった。

電話の向うにいる人が、どういうオーディオマニアなのかはほとんどわからない。
声でなんとなく、このくらいの年代の人かな、と思うくらいである。
でも、それすらもどの程度当っていたのかもわからない。

いえるのは、読者一人一人みな違う、ということだけである。
その違いは、実にさまざまで、
おそらくこれを読まれている方が想像されているよりもずっと大きい(はずだ)。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その53)

メーカー、輸入元といった関係者よりも、
ステレオサウンドの読者はずっと数が多いし、
ほとんどの読者と編集者とはなんの面識もない。

数だけでなく、年齢層も読者の方が広い。
私がステレオサウンドを読みはじめた13の時だが、
もっと早くからステレオサウンドを読みはじめた人も知っている。
それでも中学生あたりが下限で、上は60、70、もっと上の人も読んでいよう。

それだけ広く多いのだから、読者のレベルもさまざまである。
長く読んでいるから──、というのはまったく通用しない。

ある単語ひとつにこだわりすぎて、前後の文章がまったく目に入っていない人もいた。
そこまで読み込んでくれているのか、と嬉しくなることもあった。

少なくとも平均的な読者像なんて、まず無理だと思っている。
オーディオという狭い趣味を対象としたオーディオ雑誌でもそうである。

別項「輸入商社なのか輸入代理店なのか(OPPOと逸品館のこと・その2)」でも書いている。

あるスピーカーの新製品の記事に対し、輸入元からクレーム的なことがきた。

柳沢功力氏が、そのスピーカーを担当されていて、
記事に「悪女の深情け」と書かれていた。

もちろんいい意味で使われていた。
けれど、「悪」という一文字が使われていたのが輸入元の気に障ったようだ。

悪女の深情けは、ありがた迷惑だという意で使う、と辞書にはあるが、
そこでは、情の深い音を聴かせる、という意でのことだった。
そのことは前後の文章を読めばすぐにわかることにも関わらず、クレーム的なことが来た。

柳沢功力氏の話だと、最初は輸入元の担当者も喜んでいた、
けれどとある販売店から、何かをいわれたそうである。
それをきっかけに、ころっと態度が変ってしまった、ということらしい。

とにかく悪という漢字一文字が気にくわない、というのか、
そんな漢字を使うな、といわんばかりのようだった。

当惑とは、こういうことなのか、と当時思っていた。
書かれた柳沢功力氏も他のオーディオ評論家の方も編集部も、
放っておこう、ということで一致した。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー、それに組織・その2)

スイングジャーナルの1980年3月号に、
「質の時代に入るか! オーディオ界」という菅野先生と瀬川先生の対談が載っている。
     *
瀬川 また、話しは前後してしまいますが、こうした技術とセンスのバランスがあたり前のような世の中になっても、まだ聴いても測定しても相当おかしなスピーカーが新製品として平気で出てくること自体が分らない(笑)。
菅野 それは、何と言っても組織のもたらす影響が大きいんですよ。組織がなければ、現代企業の発展はないのだけれど、起業、組織といったものは必ずしもプラスばかりに働かない。特に、こうしたオーディオ機器と作るというものは、非常に組織化しにくいものなんですね。特に編集部なんぞは管理しきれない(笑)。
     *
編集部というくらいだから、ひとつの、それほど大きくない組織である。
いろんな雑誌があって、いろんな編集部があるわけだが、
とりわけオーディオ雑誌の編集部は管理しきれないのだったのだろう、
この対談が行われた40年ほど前は。

管理しきれないからこそ、マネージャーではなく、リーダーが必要なのだろう。
けれど、これは40年ほど前の話である。
いまのオーディオ雑誌の編集部がそうだ、とは私はまったく思っていない。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その36)

この項は、このブログを書き始めたころは熱心に書いていたのに、
その35)を書いたのは、三年半ほど前。

ふと思いだし、また書き始めたのは、
ステレオサウンド 207号の特集が「ベストバイ・スピーカー上位49モデルの音質テスト」だからだ。

ステレオサウンドでの前回のスピーカーシステムの総テストは187号で、五年前。
ひさびさのスピーカーシステムの総テストであるし、
私もひさびさに買ったステレオサウンドだった。

49機種のスピーカーシステムの、もっとも安いモノはエラックのFS267で、
420,000円(価格はいずれもペア)。
もっとも高いモノは、YGアコースティクスのHailey 1.2の5,900,000円である。

どことなく似ているな、と感じるスピーカーシステムもあれば、
はっきりと個性的なスピーカーシステムもある。

使用ユニットもコーン型は当然として、ドーム型、リボン型、ホーン型、
コンデンサー型などがあるし、
ピストニックモーションが主流だが、ベンディングウェーブのスピーカーもある。

これら49機種のスピーカーシステムは、
いずれも半年前のステレオサウンドの特集ベストバイの上位機種ということだから、
人気も評価も高いスピーカーシステムといえる。

その意味では、すべてが現代スピーカーといえるのか、と思うわけだ。

いったい現代スピーカーとは、どういうものなのか。
それをこの項では書こうとしていたわけだが、過去のスピーカーシステムをふり返って、
あの時代、あのスピーカーは確かに現代スピーカーだった、といえても、
現行製品を眺めて、さぁ、どれが現代スピーカーで、そうでないのか、ということになると、
なかなか難しいと感じている。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その21)

その19)で、
《他人(ヒト)とは違うのボク。》
と書いた。

スピーカーにしろアンプにしろ、自作の理由、大義名分は、
他人とは違うのボクを求めて、であって、これを否定できる人はいるのだろうか。

私だってそれはある。
その一方で伊藤先生のアンプそっくりのモノを作りたい、という気持があるのは、
まったく矛盾していない、と感じることもある。

伊藤アンプをそっくりに作れるようになったとして、
それのどこが「他人と違うのボク」ということになろうが、
伊藤アンプと呼べるアンプを作れるようになることこそが、
「他人とは違うのボク」といえるレベルになるということである。

真空管アンプを自作する人の中には、珍しい真空管、
手に入りにくい真空管、誰も使ってなさそうな真空管で、
アンプを構成することを楽しみにしている人がいる。

確かにこれも「他人と違うのボク」であり、もっともわかりやすい「他人と違うのボク」である。
そういう人にとっては、EL34のような球はポピュラーすぎて、
使う気にもならないのかもしれない。

真空管アンプで鳴らしています。
出力管は何ですか。
EL34です。
……。

こんな会話がなされているかもしれない。
EL34が出力管ということで、話が止ってしまうことだってある。
そのくらいEL34のアンプは多い。

EL34でも、マランツのModel 2、Model 9を使っている、といえば、
会話も別の方向に弾んでいくだろうが、
自作アンプとなると、そうでもなかったりしよう。

「他人と違うのボク」をEL34では満たさない──。
300Bの刻印ならば満たされるのか、Edならばいいのか。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(BTSの場合・その5)

いまは違ってきているが、昔はプロ用機器はインピータンスマッチングが前提だった。
それに対しコンシューマー用機器は、
送り側のインピーダンスは低く、受け側のインピーダンスは、
送り側のインピーダンスよりも十分に高い値にするのが前提である。
いわゆるロー送りハイ受けである。

ところでMM型カートリッジの場合このインピータンスマッチングはおろか、
ロー送りハイ受けにもなっていないことに気づいたときは、
やはり驚いた。

国産アンプのPHONO入力はたいていは47kΩだった。
海外製は50kΩ(中には49.9kΩと細かく表示しているモノも)が多かった。

プレーヤーに付属していたカートリッジに慊らず、小遣いを貯めて買ったエラックのSTS455Eだと、
20kHzでのインピーダンスはアンプの入力インピーダンスよりも高くなっている。
これではロー送りハイ受けどころか、ハイ送り(若干)ロー受けとなっている。

STS455Eの実測データをみると、
33kΩ、47kΩ、100kΩでは2kHz以上の周波数特性に違いがある。
同じエラックでもCD4対応のSTS655-D4だと、このへんは違ってくる。

STS655-D4は4チャンネル対応ということなのだろうが、
コイルの直流抵抗は652Ω、インダクタンスは216mHとSTS455Eの約1/2であり、
20kHzのインピーダンスも27kΩと低いこともあって、
受け側のインピーダンスを変化させても、周波数特性の違いはわずかである。

それはアンプの入力容量をかえてもSTS455Eは変化量が大きいが、
STS655E-D6は小さい。

カートリッジの負荷抵抗は、共振周波数のQに関係してくる。
カートリッジの負荷容量は、共振周波数に関係してくる。

どちらも内部インピーダンスの高いカートリッジ、
つまりコイルの直流抵抗とインダクタンスがともに高いカートリッジほど、
負荷抵抗、負荷容量の影響が大きく出る。

Date: 7月 21st, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(試聴における再現性の重要性)

井上先生からよくいわれたことのひとつに、再現性がある。
再現性というと、音楽の再現性といった意味にとられがちだが、
ここでの再現性とは、いわゆる実験の再現性と同じ意味での、試聴の再現性である。

あるオーディオ機器を試聴。
その試聴記が誌面に載る。
その製品のメーカー(輸入元)から、クレームが来た、とする。

その場合、どうするか。
ステレオサウンドの試聴室に来てもらい、
その製品を聴いたときの状況をできるだけ再現して、
試聴記の元になった音を、もう一度再現し、メーカー(輸入元)の人に聴いてもらう。
そうやって納得してもらう。

その重要性をくり返しいわれていた。
結局、言葉よりも、オーディオの世界なのだから、音が重要となる。
そのためには、同じ状況を高い再現性で何度もくり返せるだけのセッティングの確かさが必要となる。

同じ器材、同じ部屋、同じプログラムソースを鳴らしているのに、
セッティングするたびに、音が違っていては、誰も説得・納得させてることはできない。

その再現性が高さを身につければ、たいていのクレームには対処できる──、
そう井上先生はよく言われていたし、
そのために必要なことを井上先生から学ぶことができた。

Date: 7月 21st, 2018
Cate: 楽しみ方, 老い

オーディオの楽しみ方(天真爛漫でありたいのか……・その3)

四年前の「続・モーツァルトの言葉(その3)」で、
ネクラ重厚、ネアカ重厚、ネクラ執拗、ネアカ執拗といったことを書いた。

ネアカ重厚、ネアカ執拗で、オーディオ(音)に取り組んでいるつもりだが、
ネクラ重厚ではなく、ネクラ軽薄もあるように、
別項の「時代の軽量化」を書き始めて、思うようになった。

このネクラ軽薄が、(その2)でふれた「深刻ぶっているね」にも関係しているような気がする。

Date: 7月 21st, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その52)

また話が逸れていくのか、と思った人もいようが、
今回の件をはっきりさせるためには必要なことであるし、
広告とオーディオ雑誌については、
多くの人が考えているような関係よりも、問題は別のところにある、
と私は感じていて、そのことは別項で書く予定だ。

今回の件、
ステレオサウンド 207号の柳沢功力氏のYGアコースティクスのHailey 1.2の試聴記だが、
これについて輸入元のアッカが編集部に対してクレームを入れているわけではない。

avcat氏という、一人のオーディオマニアが、自身のtwitterで、
柳沢功力氏の試聴記に対しての不満をツイートしただけである。

柳沢功力氏の試聴記に不満を感じて、
それに対してツイートするのはかまわない。
個人の自由である。

それにavcat氏は、一人のアマチュアであるのだから、
その行為について否定的であったり、批判したりはしない。

ただ、そのツイートが偏った、幼いものだとは思ったけれど、
だからといって、ツイートするのも自由だし、私がとやかくいうことではない。

この件について書いたものを読まれている人の中には、
avcat氏という一人の読者が、編集部に対してゴリ押ししたように捉えている人がいるようだが、
ゴリ押しではないだろう。

ツイートは、あくまでも個人のつぶやきのようなものだし、
avcat氏はアマチュアなのだから、そう捉えるのはいかがなものか。

avcat氏のツイートは、ステレオサウンドへのクレームなわけではない。
avcat氏とステレオサウンドの染谷一編集長は顔見知りのようだから、
avcat氏は、染谷一編集長が読んでいることを念頭に書いているとは思う。

それでもツイートはツイートだし、ステレオサウンドへの直接のクレームではない。
なのに染谷一編集長は、すばやく反応しての謝罪である。

私が問題にしているは、この点であり、
そこでの謝罪の際にavcat氏に伝えたことである。

この問題はいろいろなことと関係してくるため、かなり長くなっている。
だから、このことは、もう一度はっきりとしておく。

Date: 7月 21st, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
1 msg

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その51)

オーディオ雑誌だけでなく、雑誌という形態は広告があるから成り立っている。
広告収益の方が多いのも事実だ。

だから、雑誌は広告主に逆らえない、という主張する人たちが出てくる。
短絡的に考えれば、そう思えるだろう。

でも、少しだけ深く考えてみてほしい。
メーカーや輸入元が出す広告費はどうやって得ているのか。

メーカーや輸入元が取り扱っている製品が売れるからである。
その製品を買っている人がいるからであり、
その買っている人の多くは(少なくともブームのころは)、
オーディオ雑誌の読者である。

このことを考えほしいわけだ。
もちろんブームが去って、オーディオ雑誌の売行きが落ちる。
なぜ落ちているのか。

ブームが去って、ブームに乗せられているだけの人がいなくなった、
それに人には寿命があるから、ずっとオーディオを趣味として来た人もこの世を去る。
まだ生きているし、オーディオマニアであっても、
私のようにオーディオ雑誌を買わなくなった人もいる。

いろいろな理由があって、オーディオ雑誌の売行きは落ちている。
広告もはっきりと減っている。

広告を出す側も、広告をもらう側も運命共同体である。
片方だけの力が強ければ、すぐさま衰退していく。
製品を買う人が極端に減ってしまえば、どうなるかは書くまでもない。

広告が載っているデメリットは、確かにある。
けれど、メーカー、輸入元にとって都合のいい記事ばかりで、
オーディオ雑誌の誌面が埋め尽くされたら、読者はどう感じるか。

実際、そう思えるオーディオ雑誌がある。
そんなオーディオ雑誌を買って読んでいる人もいるのも事実だ。
全体的にそうなりつつあるのも否定しない。

それでも、一部の人が考えているような、
オーディオ雑誌は、メーカー、輸入元に絶対に逆らえない、なんてことはない。

メーカー、輸入元だって、
そんなことをすれば自分たちの頚を間接的に絞めることになるのはわかっている。

自分のところだけよければ……、そういう会社もあるだろうが、
長続きはしないのではないか。

どんな経営者であれば、長く会社をやってきている者であれば、
ぎりぎりのバランスのところは感じている、と思う。

そんな擁護するようなことを書きたくなるほど、
本の編集を軽く見過ぎている人たちがいる。

そういう人たちが言いたいこともわかる。
その傾向は強くなっている。

それでも、まだ良い方向に向うのではないか、と思うからこそ、
こうやってブログを書いているともいえる。