続・モーツァルトの言葉(その3)
50をこえて、これから先どこまで執拗になれるのか、と考えるようになってきた。
齢を重ねることで淡泊になる、枯れてくるかと思っていたら、
どうも執拗になっていくようだ。
だから、そういう音を望むようになってきている。
20代前半、ステレオサウンドで働いていたころ、
菅野先生がよくいわれていた──、
「ネクラ(根暗)重厚ではなく、ネアカ(根明)重厚でなければ」と。
菅野先生は1932年生れだから、そのころの菅野先生の年齢にほとんど同じぐらいになっている。
どこまで執拗になれるのか、と思うようになり、
菅野先生の、この「ネアカ重厚」を思い出している。
ネクラ執拗ではなく、ネアカ執拗でありたい。