「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その54)
そのスピーカーの輸入元の担当者はオーディオ関係者である。
同時にステレオサウンドの読者でもある。
オーディオ業界で仕事をしているから──、
ということは望めないということを、私はこの件で知った。
たった一件のこととはいえ、そういう人がいるという事実は変らない。
オーディオ業界にいる人だから、しっかり読んでくれる人なわけではない。
最初は柳沢功力氏の意図を汲み取って読まれていた、と思われるのに、
誰からにいわれただけで、ころっと変ってしまう。
この人には、その人なりの読み方がないのか(私よりも年上である)。
一度、拘泥した読み方にはまってしまうと、そこから抜け出せないのか。
編集部にいると、たまに読者の方からの電話を受けることがあった。
ただ何かを話したい、という人もいたし、
相談にのってほしい、という人もいた。
なかには、上記のような担当者のような読者もいた。
どうしたら、そういう読み方になるんだろうか、と理解に苦しむこともあった。
電話の向うにいる人が、どういうオーディオマニアなのかはほとんどわからない。
声でなんとなく、このくらいの年代の人かな、と思うくらいである。
でも、それすらもどの程度当っていたのかもわからない。
いえるのは、読者一人一人みな違う、ということだけである。
その違いは、実にさまざまで、
おそらくこれを読まれている方が想像されているよりもずっと大きい(はずだ)。