「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その1)
2009年4月にこんなことを書いている。
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わかりやすさが第一、だと──、そういう文章を、昨今の、オーディオ関係の編集者は求めているのだろうか。
最新の事柄に目や耳を常に向け、得られた情報を整理して、一読して何が書いてあるのか、
ぱっとわかる文章を書くことを、オーディオ関係の書き手には求められているのだろうか。
一読しただけで、くり返し読む必要性のない、そんな「わかりやすい」文章を、
オーディオに関心を寄せている読み手は求めているのだろうか。
わかりやすさは、必ずしも善ではない。
ひとつの文章をくり返し読ませ、考えさせる力は、必要である。
わかりやすさは、無難さへと転びがちである。
転がってしまった文章は、物足りなく、個性の発揮が感じられない。
わかりやすさは、安易な結論(めいたもの)とくっつきたがる。
問いかけのない文章に、答えは存在しない。求めようともしない。
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自分の書いたものを引用するのはあまりやりたくないけれど、
そういいながら、これで三回目である引用をまたやっているのは、
今回の件とも関係していると思い出したからである。
こうやって引用することで、引用した文章を書いた時の気持も思い出している。
この時は、怒りを感じていた。