Archive for 7月, 2018

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
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「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その38)

編集者としては、すば抜けていた、才能があったジュニアさんではあったが、
だからといって、あのままステレオサウンドにいたとして編集長になれたかというと、
おそらくなれなかっただろうし、本人も編集長には向いていないと辞退したようにもおもう。

別項「オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー)」で触れているように、
いまのオーディオ雑誌の編集部には、
編集長という名のマネージャー(管理者)はいても、
編集長たるリーダー(統率者、指揮者)はいない。

ジュニアさんがマネージャー?
無理だと思う。
マネージャーよりもリーダーに向いていても、
ひとりで黙々とこなしていく、いわば独奏者だと私は思っているから、
協奏曲はピアニスト(ヴァイオリニスト)としてはよくても、指揮者は無理なような気もする。
でも、このへんは年齢をかさねることによって変化していったかもしれない。

私がステレオサウンドで働くようになる少し前から、
ステレオサウンドでは「スピーカーユニット研究」という連載が始まっていた。
園田隆史という人が担当していた企画である。

この園田隆史は、ジュニアさんのペンネームだった。
もっとも最初の数回は別の人(とあるメーカーの人)が園田隆史で書いていて、
ジュニアさんが引き継ぐかっこうになった。

だからもしジュニアさんが、ずっとオーディオの世界で仕事をしていたら、
編集長にはならず、オーディオ評論家(ジャズの熱狂的な聴き手としての)になっていた、とおもう。
もっとも本人は、評論家と呼ばれるのをイヤがっただろうが。

そうなっていたら、いまのように、こんなにぬるいオーディオジャーナリズムではなかったはずだ。
仮に編集長になっていたとしても、
小野寺弘滋氏のように、そしておそらく染谷一氏もそうであろうが、
編集長時代にStereo Sound Grand Prixの選考委員になって、
編集長を辞めるとともにオーディオ評論家になる、という、
敷かれたレール(それもステレオサウンドによって)に乗っかって、ということは、
絶対にしなかった、と、これは言い切れる。

そんな音楽の聴き方をしてこなかった人、
そんなオーディオの取り組みをしてこなかった人だからだ。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その37)

1984年に、増刊としてサウンドスタイルが出ている。
ジュニアさんが最後に、ひとりで手がけた本である。

サウンドスタイルというムックを知っている人は少ない。
そのころステレオサウンドを読んでいた人でも、知らない人が意外にいる。
売行きはよくなかった、はずだ。

だから、つまんない本だった、といいたいわけではなく、むしろ逆である。
この本のときのジュニアさんの仕事の仕方は、確かに問題があった。
完全に朝と夜とを逆転させていた。

会社員として、それはまずい。
そんなことはみんなわかっていることだ。
ジュニアさんもわかっていたばずだ。

わかっていたけれど……、
……のところは本人だけにしか書けないところだし、
そこについて書くつもりはない。

結局、そのためにジュニアさんはステレオサウンドを去ることになる。
問題社員といえばそうである。

問題社員は会社には要らない。
才能は関係ない。
私は違う意味での問題社員だったから、
ジュニアさんの約四年後にそうなった。

いまおもう。
ジュニアさんが去ったときに、いまのステレオサウンドへいたる道が始まった、と。
こんなことは、いまの編集部の人たちに、どうでもいいことなのだろうが。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その36)

編集部の新人が最初に担当するページは、巻末にあったBestBetsだった。
いまのステレオサウンドでは、SS Informationがそれにあたる。
イベント、キャンペーンや価格改定などを伝えるページである。

ペーペーの新人が特集に携わることは、すぐにはやってこない。
それでも、意外に早くその機会がやってきた。

63号のベストバイである。
そのころのベストバイは、筆者原稿と編集部原稿とがあった。

筆者原稿は、各機種のコメントの最後に括弧つきで名前がある。
それがないのは編集部原稿である。

ジュニアさんは、スピーカーシステムの編集部原稿を担当されていた。
その中のひとつ、ヴァイタヴォックスのCN191について、
「少年、書いてみな」といって私に振ってくれた。

18で入った私は少年と呼ばれていた。
ジュニアに少年、この編集部は学校か、と笑いながら、
そんな指摘をされたオーディオ評論家の方もいた。

文字数は少ない。
短いから楽なわけではない。
書けた。

原稿をジュニアさんにみてもらう。
ほとんど朱(アカ)は入らなかった。
そのまま載った。

編集部原稿だから、名前が載るわけではない。
特集のベストバイに登場する中のたった一機種。
それでも、ローコストの製品を振られたのではなく、
ヴァイタヴォックスのCN191を私に振ってくれたことが、ほんとうに嬉しかった。

そんなふうにして私の編集者としてのキャリアは始まった。
私は七年間いた。
ジュニアさんはもう少し短かったかもしれない。

けれどジュニアさんは、才能があった。
いまジュニアさんと肩を並べるだけの才能をもつ編集者は、
ステレオサウンドにはいない、と断言できるほどだ。

私だって、この歳になっても、かなわないところがあるな、と思う。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その35)

私がステレオサンウドに入るきっかけとなったのは、
編集部あてに、こんな企画をやってほしい、という手紙を何通も出していたことだ。

それで面白そうなヤツがいる、ということで「編集部に遊びに来ませんか」という連絡があった。
1982年1月のことだった。
そこでN(ジュニア)さんとIさんに会った。

編集部には私には関心がない人もいた。
それでもジュニアさんが鞠力に推してくれたことで、働くようになった。
そのことを知ったのはしばらく後のことである。

ジュニアさんの、そんな推しがなかったら、
どうなっていただろうか。
オーディオに関係する仕事をしていたかもしれないが、
編集には携わっていなかったであろう。

ジュニアさんは当時高円寺だった。
私は三鷹だった。帰り道は同じ。
よくジュニアさんのところに、仕事後に寄っていた。

そのころのジュニアさんのシステムは、
スピーカーがJBLの2220に2440+2397で、
パワーアンプはマッキントッシュのMC2300、
アナログプレーヤーは、EMTの927Dstだった。

この927Dstは、瀬川先生が使われていた927である。

スピーカーの構成からほかるように、ジュニアさんはジャズの熱心な聴き手だった。
明け方まで音を聴いていたことも何度かある。

もしステレオサウンドで働いていたとしても、
ジュニアさんがいなかったら、またずいぶん違っていたはずだ。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 測定

アナログプレーヤーの測定(40年前の測定から学ぶ・その4)

テレメールの端末を使って、図形の電気信号への変換、その逆を行うわけだから、
再生図形には、テレメール端末の変換精度も関係してくる。

それにカッティングの性能、状態も深く関係してくる。
カッティングまでの時点で、図形が歪んでいると考えるべきである。

この測定方法がその後どうなったのか。
少なくとも、私は「プレーヤー・システムとその活きた使い方」以外では目にしたことがない。

ソニーは、どうしたんだろうか。
社内では、この測定をやっていたのか。
そのへんのことはまったくわからない。

1976年当時では、解決すべき問題があった。
けれど、いまはそうではない、といえるのではないか。

テレメールの端末と比較にならないほど精度の高い図形の電気信号への変換は可能だ。
それにデジタル信号処理の進歩は、カッティングにまつわる技術的な問題も含めて、
補正することも可能なはずだ。

テストレコードの制作までは、当時とは比較にならなくほど精度の高さが実現できる。
つまり、40年前に提唱された測定方法が、いま日の目をみる、といえるではないのか。

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」にも、こう書いてある。
     *
 確かに、原画と再生画との違いによる原因のなかには、すべての高低における僅かな状態変化をも含まれるため、もしプレーヤー・システム以外で起きる状態変化分を、電算機でも使って誤差修正したならば、プレーヤー全性能が画で判断できるかも知れませんし、今後の研究に期待したいところです。
     *
そのとおりである。
それに図形にしても、マス目と円形とバッテンマークだけでなく、
もっと精細な図形も使えるだろうし、図形そのものも研究も必要であろう。

それに、図形を使った測定は、なにもアナログプレーヤーだけに限るものではないはずだ。
アンプの測定、スピーカーの測定にも応用できるはずだ。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 測定

アナログプレーヤーの測定(40年前の測定から学ぶ・その3)

テレメールについて知りたい方は、
Googleで「テレメール NEC」で検索してみてほしい。
「テレメール」だけで検束すると、違う分野のテレメールが結果として表示される。

金子一夫氏発表の測定方法は、テレメールの端末で、なんらかの図形を描く。
その図形を送信状態にする。図形を読みとって電気信号に変換し、
カッティングする、というものだ。

音楽信号をカッティングするのではなく、図形を電気信号にしたものをカッティングするわけだ。
それをアナログプレーヤーで再生する。
カートリッジがピックアップした信号を、テレメールの端末を受信状態にして、
電気信号から図形へと変換する。

元の図形と再生した図形とが、まったく同じならば、
そのアナログプレーヤーはきわめて優秀な性能をもっていることになる。

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」には、
テスト原図と再生図形例が載っている。

原図は格子状のマス目と、円形とバッテンマークを組み合わせたもので、
これが再生図形では直線が波打ち、円も歪む。
円は三つ描かれているが、歪み方は同じではない。

金子一夫氏によれば、
線のゆらぎ、円の変形でワウ・フラッターの量が比較判別でき、
線の大きな曲りや円の再現位置で、回転数、サーボ周波数のドリフトが判定できる、そうだ。

ターンテーブルは同じままで、トーンアーム、カートリッジを交換した測定の場合、
線や円のゆらぎから、カートリッジ、トーンアームの低域共振の度合も判断できる、とのこと。

つまりターンテーブルはの回転精度だけでなく、
アナログプレーヤー・トータルの測定も可能になるわけだ。

それも数値ではなく、図形という、
いままでの測定方法にはなかった形で提示される。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 測定

アナログプレーヤーの測定(40年前の測定から学ぶ・その2)

ステレオサウンド 48号は1978年の秋号だ。
その二年前に、オーディオピープル(1976年3月号)に、ユニークな測定方法が、
ソニーの金子一夫氏によって発表されている。

そのころはいまよりもオーディオ雑誌がいくつもあった。
サウンドメイトもあったし、オーディオピープルもあった。

オーディオピープルも買っていた。
けれど1976年春は、まだオーディオに関心をもっていなかったころで、
そのオーディオピープルを読んでいるわけではない。

なのに知っているのは、1977年に無線と実験/初歩のラジオ別冊として、
誠文堂新光社から「プレーヤー・システムとその活きた使い方」に載っているからだ。

第10章・最近の新しい測定法として、
パルスを応用した測定、テレメールを応用したワウ・フラッターの測定、
レコードを使わないワウ・フラッターの測定について書かれている。

ソニーの金子一夫氏によって発表された測定法は、
テレメールを応用したワウ・フラッターの測定である。

テレメール? という人が大半だろう。
私も「プレーヤー・システムとその活きた使い方」を読むまでは知らなかった。

テレメールを応用したワウ・フラッターの測定とは、
ワウ・フラッターを数値、グラフで表わすのではなく、図形で表示・判別する。

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」には、
《電話線で結ばれた加入者相互が、ダイヤルで相手を選び出し、通話確認後、図形や文書を電送するシステムの中に、テレメールというのがあります》
となっている。

一種のファクシミリなのだろう。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 測定

アナログプレーヤーの測定(40年前の測定から学ぶ・その1)

テクニクスのSP10Rが登場した。
ダイレクトドライヴの雄であるテクニクスらしい、優秀な回転精度を誇っている。
ワウ・フラッターのカタログ発表値は0.015%以下である。

低い数値である。
ベルトドライヴでは実現困難な数値である。

ダイレクトドライヴのワウ・フラッターは、低い。
ダイレクトドライヴ全盛時代だった40年ほど前は、
カッティングレーサーもダイレクトドライヴ化し、それをう謳っていたレコード会社もあった。

ダイレクトドライヴにはサーボ技術が採り入れられ、
クォーツロックも導入された。
そうやってワウ・フラッターの値は低くなっていったものの、
一部では音が冴えない(悪い)という評価もあった。

ステレオサウンドでの測定では、無負荷状態での速度偏差、
レコードトレーシング字の速度偏差/ダイナミック・ワウを、
グラフで掲載していた。

48号で行われたこれらの測定データを見ると、
テクニクスのSP10MK2は、確かに優秀だった。

カタログ数値では低い値を誇るプレーヤーの中には、
測定グラフをみると、数値では表わせない特徴が、やや悪い意味で現れている機種もあった。

けれど直感的に、回転精度の優秀さが伝わってくるわけではなかった。
メーカーのエンジニアには、これでも十分すぎるデータであっても、
ステレオサウンドの読者にとって、すべての人にとってわかりやすい、とまではいえない。

それは仕方ないことなのか。

Date: 7月 8th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その34)

まだ書くのか、と思われようが、まだまだ書くことはある。
どこまで書くのかははっきりと決めているわけではない。

どのテーマでもそうなのだが、書いているうちに気づくことがある。
書くほどに出てくる。

気づくこと、思い出すことが出てくる。
書く、といっても、昔のように原稿用紙に筆記用具で書いているわけでなく、
キーボードを叩いているだけである。

その指の動きは、目の前の小さな何かを耕しているようにも思えることもある。
耕すことによって、気づくこと、思い出すことを発見しているのかもしれない。

書きは、ときどき誤変換として掻き、と出る。
書くも、掻く、と出る。

掻くには、犁などで田畑をすき返す、という意味もある。
他の意味もある。

長くなる。
書いていると、長くなってしまう。
その6)から、この件について書き始めて、
まだ書き続けている。

そうしながら思い出していた人がいる。
私がステレオサウンドで働くようになったのは、
この人のおかげ、といえるNさんのことを思い出していた。

いまも株式会社ステレオサウンドには、同姓のNさんがいるが違う人だ。
そのNさんよりも若く、私よりも七つ年上のNさんである。

当時、Nさんが二人いたため、若い方のNさんはジュニアと呼ばれていた。
私も、ジュニアさんと呼んでいた。その人のことである。

Date: 7月 8th, 2018
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(Aleph 3の場合)

7月のaudio wednesdayでは、
別項で書いているようにパワーアンプはPASSのAleph 3。

このアンプを使われている方ならば、
リアパネルを見たことのある人ならば、スピーカーケーブルの接続が、
難しい、やっかいとまではいかないものの、
少し面倒なことは確かなのはわかっているはず。

ヒートシンクで囲まれている筐体のどこに、
入出力端子、電源スイッチ、ACインレットがあるかというと、
ヒートシンクとヒートシンクの、わずかな隙間に垂直方向に配置されている。

この隙間の幅が広ければ何の問題もないのだが、狭い。
しかもスピーカー端子の取り付け方向から、ケーブルは上下から差し込むのではなく、
左右から差し込まなければならない。

スピーカー端子とヒートシンクの間は、それこそほんのわずかであり、
被覆を剥いたスピーカーケーブルの先端は直角に曲げなければ、
スピーカー端子の穴に入れることはできない。

つまり太いスピーカーケーブルは物理的に無理な端子の配置である。
末端処理をYラグでやったとしても、そのYラグを直角に曲げなければならないし、
それでも太いケーブルはかなり難儀するはずだ。

もちろんバナナプラグを使えば、ある程度の太いケーブルまでは楽に接続できる。
でも、私はバナナプラグ、
それも太いケーブルに対応した見た目が立派すぎるバナナプラグを、
決していいとは思っていない。

往々にしてキャラクターの強い音が、それらのバナナプラグを使うと乗ってしまうからだ。
それを、音が鮮明になった、と喜べる人はそれでいいと思う。

とにかく太いスピーカーケーブルだと面倒なことはわかっていたので、
最初から細いスピーカーケーブルを買ってきた。

オーディオテクニカのAT365Sという、細いスピーカーケーブルだ。
ここまで細くなくともいいが、細いケーブルでいいと思う。

Aleph 3の出力は8Ω負荷で30Wである。
このくらいの出力なのだから、このくらいの細さのスピーカーケーブルで十分だよ、
設計者のネルソン・パスがそういいたげなAleph 3の入出力端子の配置である。

Date: 7月 8th, 2018
Cate: 五味康祐

続・無題(その10)

「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」は三万字をこえる。
1975年に発表された文章だ。

「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」を読まれていない方は意外に思われるか、
なかには、不誠実な、と憤慨される方もごくわずかいるのかもしれないが、
五味先生は、モーツァルトの弦楽四重奏曲第23番 K.590を聴かれていない。
     *
 私はモーツァルトの研究家では勿論ないし、一九五〇年以降、新たにザルツブルクの国際モーツァルト協会から刊行されている《モーツァルト・ヤールブーフ》など読めもしない。私は音楽を聴くだけだ。そしてまだ聴いたことのないのが実はこのプロイセン王セットの弦楽四重奏曲である。おそらく、聴きもしない作品で文章を綴れるのはモーツァルトだけだろう。一度も聴かないで、讃歌を書けるとは何とモーツァルトは贅美な芸術だろう。私も物書きなら、いっぺんは、聴いたこともない作品に就いて書いてみたかった。それのできるのはモーツァルトを措いていない。中でも最後の弦楽四重奏曲だろうと、モーツァルトの伝記を読んでいて思った。書けるのは畢竟、聴けるからだ。きこえる、幻のクワルテットが私にはきこえる、こういうそして聴き方があっていいと私はおもう。
     *
《聴きもしない作品で》三万字をこえる《文章を綴れるのは》、
五味先生がプロの物書きだから──、ではないはずだ。

Date: 7月 7th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その11)

BeymaSICAからも、
30cm口径のダブルコーンフルレンジユニットは、いまも発売されている。

Beymaはスペイン、SICAはイタリアのメーカーである。
両社から出ていたのは以前から知っていた。
けれど特に関心はなかった。
AXIOM 402を聴く以前だったからだ。

いまは積極的に聴いてみたい、と思っているし、
ヨーロッパのスピーカーユニットのメーカーのラインナップに、
大口径のダブルコーンのフルレンジユニットがいまも残っている理由も掴めた、と思っている。

Beyma、SICAのダブルコーンのフルレンジユニットは、そう高いモノではない。
普及クラスのスピーカーユニットである。
数百万円もするハイエンドオーディオのスピーカーシステムに搭載されるユニットとは、
お世辞にもいえない。

そういう世界とは別のところで、家庭で音楽を聴くことを目的として、
いまも製造されているスピーカーユニットではないのか──、
私はAXIOM 402を聴いて、そう考えるようになった。

多くを求める人には向かない。
多くの情報量を求める人には向かない。

けれど”Less is more”という。
そういう聴き方があることを、AXIOM 402の音は提示している。

Date: 7月 7th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その10)

アンプがなんであれ、シングルボイスコイルのフルレンジユニットのよさ、
ここではロクハン(16cm)以上の口径のフルレンジとしておくが、
中低域の魅力にあると感じている。

あくまでも優れたフルレンジということに限るのだが、
この中低域の良さ、魅力は、口径が16cmから20cm、20cmから30cmと、
口径が大きくなるとともに、豊かになってくるように、
今回AXIOM 402を聴いていて感じていた。

そこに(その5)で書いた量感の豊かさを感じるし、
そこにこそ大口径フルレンジの音の美がある、ともいえる。

量感と書いてしまうと、誤解されてしまうようなところがある。
クラシック音楽を長く聴いてきた聴き手と、
そうでない聴き手とでは、この量感に対するイメージは、そうとうに違っているように感じる。

量より質。
そんなことがいわれる。

オーディオの世界では、昔から音量で音質をごまかしている、
そんなこともいわれている。

そんなことが関係してなのか、量感という言葉に対して、
いい印象を抱いていない人が少なからずいる。

けれど量感も音を表現する言葉であり、
音の美に関係してくる音の要素である。

なのに、いつのころからか忘れられつつある。
特に、今回のように中低域の豊かな量感ともいおうものなら、
私が、そこでイメージしている音と、まるで真逆の音をイメージする人がいるのは、
昔から知っているし、いまもけっこういるようだ。

そういう人が、AXIOM 402の音を聴いたら、ひどい評価を下すだろう。
そこまででなくとも、ゆるい音とか、いうかもしれない。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その9)

グッドマンのAXIOM 402を鳴らすパワーアンプとして、
まっさきに考えたのがPASSのAleph 3だった。

audio wednesdayの常連のKさんのラインナップに、このアンプがあるのは知っていた。
他にもいくつかのアンプがあるのは知っていたけれど、
ここではAleph 3以外の選択肢は、私の頭のなかにはなかった。

Alephシリーズのパワーアンプは、
設計者のネルソン・パス独自の考えによる回路だということは知られている。

ここで、そのことを詳しく説明するつもりはない。
それに、その理論がほんとうなのかどうかも、なかなか判断しにくい。
それでも信念をもって設計されたアンプである。

通常のプッシュプル回路が上下対称なのに、
Alephシリーズの回路は上下非対称で、
プラス方向の出力がマイナス側よりもわずかに高い、という。

そのことがどう音に影響するのか、正確にわかるものではない。
ただコーン型スピーカーを真横からみればわかるように、前後対称に、
均等の力がかかっている(必要)とは考えにくい。

特にダブルコーンは、シングルコーンのユニットよりも、
振動板が前に動くときと後に動くときのエネルギーの差は大きいのではないか。

ならばダブルコーンのフルレンジに、Alephのような出力傾向をもつアンプは、
理屈としても合うのではないか──、
実をいうと、最初はそんなことまったく考えてなかった。
すべて後付けである。

ただなんとなくAleph 3がよさそうだ、と思っただけであり、
結果としてうまくいったから、そんなことを考えて書いたみた。