Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
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「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その35)

私がステレオサンウドに入るきっかけとなったのは、
編集部あてに、こんな企画をやってほしい、という手紙を何通も出していたことだ。

それで面白そうなヤツがいる、ということで「編集部に遊びに来ませんか」という連絡があった。
1982年1月のことだった。
そこでN(ジュニア)さんとIさんに会った。

編集部には私には関心がない人もいた。
それでもジュニアさんが鞠力に推してくれたことで、働くようになった。
そのことを知ったのはしばらく後のことである。

ジュニアさんの、そんな推しがなかったら、
どうなっていただろうか。
オーディオに関係する仕事をしていたかもしれないが、
編集には携わっていなかったであろう。

ジュニアさんは当時高円寺だった。
私は三鷹だった。帰り道は同じ。
よくジュニアさんのところに、仕事後に寄っていた。

そのころのジュニアさんのシステムは、
スピーカーがJBLの2220に2440+2397で、
パワーアンプはマッキントッシュのMC2300、
アナログプレーヤーは、EMTの927Dstだった。

この927Dstは、瀬川先生が使われていた927である。

スピーカーの構成からほかるように、ジュニアさんはジャズの熱心な聴き手だった。
明け方まで音を聴いていたことも何度かある。

もしステレオサウンドで働いていたとしても、
ジュニアさんがいなかったら、またずいぶん違っていたはずだ。

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