続・無題(その10)
「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」は三万字をこえる。
1975年に発表された文章だ。
「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」を読まれていない方は意外に思われるか、
なかには、不誠実な、と憤慨される方もごくわずかいるのかもしれないが、
五味先生は、モーツァルトの弦楽四重奏曲第23番 K.590を聴かれていない。
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私はモーツァルトの研究家では勿論ないし、一九五〇年以降、新たにザルツブルクの国際モーツァルト協会から刊行されている《モーツァルト・ヤールブーフ》など読めもしない。私は音楽を聴くだけだ。そしてまだ聴いたことのないのが実はこのプロイセン王セットの弦楽四重奏曲である。おそらく、聴きもしない作品で文章を綴れるのはモーツァルトだけだろう。一度も聴かないで、讃歌を書けるとは何とモーツァルトは贅美な芸術だろう。私も物書きなら、いっぺんは、聴いたこともない作品に就いて書いてみたかった。それのできるのはモーツァルトを措いていない。中でも最後の弦楽四重奏曲だろうと、モーツァルトの伝記を読んでいて思った。書けるのは畢竟、聴けるからだ。きこえる、幻のクワルテットが私にはきこえる、こういうそして聴き方があっていいと私はおもう。
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《聴きもしない作品で》三万字をこえる《文章を綴れるのは》、
五味先生がプロの物書きだから──、ではないはずだ。