Archive for category テーマ

Date: 5月 7th, 2014
Cate: オーディオ観念論

音源

音源ということばがある。

再生側において音源とは、いわゆるプログラムソースのことである。
LP、SPなどのアナログディスク、CD、SACDなどのデジタルディスク、
オープンリール、カセットなどのテープといったメディアに収録したものの総称として使われる。

録音側はその収録の現場であり、ここでの音源とはマイクロフォンがとらえる音を発しているもののことを指す。
つまりは楽器ということになる。

音を発するという意味では、スピーカーも音源である。

音源ということばについて、これまではこれ以上深く考えることはなかった。
音はなにかを伝えるものであり、なにかを伝えるものとして文字がある。

この文字には、音源に似たことばとして字源がある。
字源とは、個々の文字の起源、と辞書にはある。

白川静氏が、字源についてこう語られている。
     *
字源が見えてくるならば、漢字の世界が見えてくるはずである。従来、黒いかたまりのように見られていた漢字の一字一字が、本来の生気を得て蘇ってくるであろう。漢字は記号の世界から、象徴の世界にもどって、その生新な息吹きを回復するであろう。
     *
音源を、字源ということばのようにとらえなおすことはできないのだろうか。

Date: 5月 6th, 2014
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その24)

フィリップスのフルレンジユニット以外にも、いくつかのフルレンジユニットの音は、
いまもういちど聴きたい、と思うことがある。
それらのほぼすべては海外製のフルレンジユニットである。

日本にも優秀なフルレンジユニットがあったことは知っているし、
そのいくつかは音も聴いている。

フルレンジユニットだからどんなに優秀であっても、
より優秀なマルチウェイのスピーカーシステムの音と比較すれば、
そしてオーディオマニア的な細かな音の聴き方をすれば、あそこもここもと、いろんなことを指摘できる。

その意味では、マルチウェイのスピーカーシステムの出来のいいモノとそうでないモノとの音の差と比較すれば、
フルレンジユニットの出来のいいモノとそうでないモノとの音の差は小さい。

そういうフルレンジユニットの中で、海外製(それもヨーロッパ製)のモノと日本のモノ、
どちらも優秀なフルレンジユニット同士を鳴らしても、私の耳は海外製のフルレンジユニットに惹かれるのは、
それは素朴な音だから、だけでは語ったことにはならない。

日本製の優秀なフルレンジユニットの音もまた素朴な良さをきちんと持っているからだ。
そのことはわかっている。
わかっていても、私の聴き方では、
海外製のフルレンジユニットが、素朴な音ということで最初にイメージしてしまう。

ここでもその理由は、別項で書いている「薫り立つ」ということに関係してくる。

Date: 5月 4th, 2014
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その2)

Noise Control/Noise Designという手法」で、マッキントッシュのアンプのツマミのことに触れた。
コントロールアンプのC27のことについても書いた。

マッキントッシュの、トランジスター以降のコントロールアンプの中で、C27は好感がもてる。
本格的なマッキントッシュらしいコントロールアンプといえばC29が、同じころにあったし、
上級機としてC32も存在していた。
その後もかなりの数のコントロールアンプが登場している。

C27は、そんななかにあってあまり注目されることなく消えていった印象がある。
それでも私は、マッキントッシュのコントロールアンプの中で、
管球式のC22を別格とすれば、C27は、無理をしてまで欲しいとは思わないけれど、
縁があれば手元に置いときたいモデルである。

私が毎月第一水曜日にaudio sharing例会を行っている四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記がある。
今日、ここの店主の福地さんが、「Noise Control/Noise Designという手法」の(その34)にコメントをくれた。

明日(5月5日)、店で使っているアンプがマッキントッシュのペアにかわる、とのこと。
パワーアンプはMC2505で、コントロールアンプはC27とある。

これがC27でなく、C29だったりC32だったり、さらにはマッキントッシュの他のコントロールアンプだったら、
ここであらためて書くことはなかった。

でもC27である。
だから書きたかった。

Date: 5月 2nd, 2014
Cate: audio wednesday

第40回audio sharing例会のお知らせ(アクースタットのこと)

今月のaudio sharing例会は、7日(水曜日)です。

テーマについて考えていた。
ブログの記事の本数が4300本をこえたので、いまはJBLの4300シリーズのことを主に書いている。
4320のことについても書いている。
そのなかでアクースタットのスピーカーについてふれた。

これだけだったらほかのテーマにしようと思っていたところに、
昨晩友人が知らせてくれたリンク先で、
スティーヴ・ジョブスの1982年当時のオーディオ機器について、これまでよりも詳細について知ることができた。

スピーカーがアクースタットのModel3なのは、一目両線ですでに知っていたことだ。
それでもアクースタットのスピーカーについて書いていたときに、こういう記事が公開された偶然に、
今回のテーマはアクースタットについて語ろう、と決めてしまった。

アクースタットのスピーカーについては、ステレオサウンド 43号の新製品紹介のページで知った。
当時の輸入元はバブコ。
ACOUSTATの表記はアコースタットだった。

このときの製品はAcoustat Xだった。
縦長の振動板を三枚使用し、
電圧増幅段はトランジスター、出力段のみ真空管を採用した専用アンプを搭載していた。

コンデンサー型スピーカーの駆動には高電圧が必要となる。
通常のコンデンサー型スピーカーにはトランスが使われるが、
Acoustat Xはもともと高圧を扱う真空管の出力段からトランスを省き、
つまりOTL構成とすることで、ダイレクトに振動パネルを駆動するというものだった。

このころの私はコンデンサー型、
それもフルレンジのコンデンサー型こそがスピーカーの理想に最も近いと考えていた。
そんな私にアクースタットの登場は、理想に近いスピーカーの登場のように映った。

けれどステレオサウンドの特集にアクースタットが登場することはなかった。
44号、45号はスピーカーが特集にもかかわらず、だ。

次にアクースタットのスピーカーがステレオサウンドに登場するのは、
またも新製品紹介のページで、49号である。
Monitorという型番に変り、振動パネルも四枚に増えていた。
専用アンプ搭載、その構成は前作と同じである。
このMonitorも特集記事に登場することはなかった。

このアクースタットのスピーカーが、ずっと気になっていた。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 1st, 2014
Cate: iPod

ある写真とiPhone(追補)

二年半ほど前に「ある写真とiPhone」を書いた。

先ほど友人からのメッセージが届いていて、そこにジョブスのオーディオについての記事へのリンクがあった。
以前見た写真でははっきりしなかったことが、この記事でわかる。

Date: 5月 1st, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その11)

グラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いて、まず驚いたのは情景が浮んでくる、ということだった。
グラシェラ・スサーナの歌う、すべての日本語の歌がそうとはいえないけれど、
かなりの数の歌で、歌詞が描いている情景が浮んでくる。

グラシェラ・スサーナが歌って情景が浮んできた日本語の歌を、
もともと歌っていた人の歌唱で聴いても、必ずしも浮んでくるわけではなかった。
これは歌唱力の巧拙だけではないことはわかる。

では、情景が浮ぶのか(または浮ばないのか)。

言葉という具象的なものの中で、日本人にとってもっとも具象的な日本語で歌われるわけだから、
歌詞を含めて、その曲そのものが描こうとしている情景が、他の言語の歌よりも浮びやすいというところはある。
ならば、より正確できれいな日本語の発音による日本語の歌の方が、
歌唱力がほぼ同等であれば、情景は浮びやすくなる──、といえるのか。

少なくとも私の場合、そうとはいえない。
何が情景を浮び上らせるのか。私の中で情景が浮んでくるのか。

結局は、薫り立つものが、そこでの歌に感じられるかどうか。
私の場合はどうもそのようである。

気になっている(その3)

玄人とは辞書には、一つの物事に熟達した人。専門家。本職、とある。
英語ではprofessional、specialist、expertとなる。

オーディオの玄人とはオーディオの専門家、もしくはオーディオを本職とする人と、まず考えられる。
オーディオを本職とする人──、
つまりオーディオを仕事として対価を得ている人ということになる。

オーディオメーカーに勤めている人が、それにあたる。
何もメーカーの技術職の人だけでなく、営業関係の人もオーディオを仕事にしているわけだから、
オーディオの玄人ということになる。

輸入商社の人にも同じことがいえる。

他にもオーディオ店で働いている人。
彼らもまたオーディオを仕事としているわけだから、オーディオの玄人であるわけだ。

それからオーディオ雑誌の編集者もそうなる。
オーディオメーカーの技術職だけでなく営業関係の人もオーディオを仕事にしているのと同じように、
オーディオ雑誌を出版している会社の、
編集部以外の部署の人たちもオーディオの玄人と言おうと思えばいえなくもない。

とはいえ現実にはオーディオメーカーの営業関係の人たち、
出版社の編集部以外の人たちを、ここで無理に含める必要はない。

そしてオーディオ評論家、と現在呼ばれている人たちも、またオーディオの玄人ということになる。

こういう人たちがオーディオの玄人として挙げられるが、
果してオーディオを仕事にしているだけでオーディオの玄人と呼べるのだろうか。

Date: 4月 27th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その10)

ホセ・カレーラスは”AROUND THE WORLD”に収録されている各国の歌を、その国の言葉で歌っている。
「川の流れのように」も英語やスペイン語に置き換えることなく歌っている。

ただホセ・カレーラスにとって日本語は難しかったのか、
一番の歌詞のみを歌っていて、あとはいわゆるサビの部分をくり返している。
その意味では、他の収録曲からすればやや不完全な、ともいえなくもないが、
それでもホセ・カレーラスの歌う「川の流れのように」を聴いての感動をいささかも損なうわけではない。

美空ひばりの歌唱ではそんなことはないのだから、
なにもホセ・カレーラスを聴かずとも……、ということになるから、
「なぜ、美空ひばりの歌で聴かないのか」ということにつながるのかもしれない。

それとも歌も、あくでもオリジナルで、ということなのかもしれない。

ホセ・カレーラスの日本語は完璧とはいえない。
それはグラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いていても、ある。
日本語を母国語としていない人だから、ともいえるし、
そういう人が歌う日本語の歌に、日本人が歌う日本語の歌よりも感動している私がいる。

歌がうまいから、ホセ・カレーラス、グラシェラ・スサーナの日本語の歌に感動しているか。
グラシェラ・スサーナによる日本語の歌に夢中になったときから、このことは問いつづけてきていた。

Date: 4月 27th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その9)

グラシェラ・スサーナはアルゼンチン生れ。
そのグラシェラ・スサーナが歌う日本語の歌を聴いて、夢中になった。

「黒い瞳はお好き?」も日本語の歌だった。
日本語の歌ならば日本の歌手で聴くのがいいのではないか、というのはわかる。

ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”は、
私にとってホセ・カレーラスのベストアルバムである。これから先もずっとそうであるだろう。

ここでのホセ・カレーラスは、クラシックの歌を歌っているわけではない。
各国の、いわゆるポピュラーな曲を歌っている。
日本語の歌も一曲ある。

「川の流れのように」を歌っている。

“AROUND THE WORLD”というアルバムについて、
そして「川の流れのように」について語ると、
きまって「なぜ、美空ひばりの歌で聴かないのか」といわれる。
もっともな意見だと思う。

美空ひばりに対してアレルギーのようなものを持っている人がいるのは知っている。
私には、そういうアレルギーのようなものはない。
美空ひばりの歌う「川の流れのように」も、もちろん聴いたことがある。

そのうえでホセ・カレーラスの「川の流れのように」は素晴らしい、と思う。
美空ひばりの「川の流れのように」とホセ・カレーラスの「川の流れのように」、
どちらが上とか、そういう話ではない。

Date: 4月 26th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その8)

「ゆれる、まなざし」に対抗してカネボウは「黒い瞳はお好き?」だった。

「ゆれる、まなざし」は憶えていても「黒い瞳はお好き?」はどんなコマーシャルだっけ? という人は多いだろう。
YouTubeでも「黒い瞳はお好き?」のコマーシャルは見ることができない。
誰もアップロードしていないからだ。

コマーシャルについて語られるとき「ゆれる、まなざし」は話題になることがこれからもきっとあるだろうが、
「黒い瞳はお好き?」が話題になることは、ほとんどないだろう。

それでも私にとっては「黒い瞳はお好き?」ははっきりと憶えているコマーシャルである。
このコマーシャルで、グラシェラ・スサーナという歌手を知ることができたからだ。

コマーシャルのどこかにグラシェラ・スサーナの名前が出ていたのかどうかは憶えていない。
近所のレコード店に「黒い瞳はお好き?」のシングル盤を買いにいった時も、
グラシェラ・スサーナの「黒い瞳はお好き?」としてではなく、
カネボウのコマーシャル・ソングの「黒い瞳はお好き1」を買いにいった。

コマーシャルではサビの部分しか流れてこない。
シングル盤で初めて頭から最後まで聴いた。

一度聴いて、すぐさままた聴いた。
立て続けてに四回ほど聴いたことをいまでも憶えている。
それからは毎日必ず聴いていた。

Date: 4月 26th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その7)

1976年秋、資生堂のコマーシャル。
テレビをみていて、これほどどきっとしたことは、初めてだった。

それまではテレビ・コマーシャルはどちらかといえばジャマなものだと感じていた。
たまには面白く感じるものもあったけれど、できればなければないほうがいい、などと思っていたのに、
1976年秋の資生堂のコマーシャルは、また見たい、と思い、チャンネルを切り替えていた。

1976年秋の資生堂のコマーシャルは、もうこれだけでどのコマーシャルなのか、
すぐに思い出せる人はいる。私だけではないはず。

コマーシャルに登場していたのは真行寺君枝、
バックに流れていた歌は小椋佳の「揺れるまなざし」、
広告のキャッチコピーは「ゆれる、まなざし」だった。

YouTubeで検索すればすぐに見つかる。
真行寺君枝のバックにスピーカーがうつっている。
JBLの4325と思われるスピーカーである。

1976年当時は家庭用ビデオレコーダーはまだまだ普及していなかった。
だから録画してくり返し見ることはできない。
とにかくテレビで流れるのを見るしかなかった。

「ゆれる、まなざし」のコマーシャルが最高のコマーシャルかどうかは私には判断できないけれど、
いまでも印象に残っていることは確かである。

Date: 4月 25th, 2014
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その12)

一般的にセパレートアンプはプリメインアンプの上位に位置づけされる。
あるメーカーのプリメインアンプのトップ機種とセパレートアンプのトップ機種とでは、まず価格が違う。
当然も音も違うわけで、信用できるメーカーのモノであれば、セパレートアンプの方が、いい音といえる。

それでもセパレートアンプはプリメインアンプよりも、すべての面で音がいい、といえるのだろうか。

瀬川先生がこんなことを書かれている。
JBLのプリメインアンプSA600を初めて聴かれたときのことについて、である。
     *
結局、SA600ではなく、セパレートのSG520+SE400Sが、私の家に収まることになり、さすがにセパレートだけのことはあって、プリメインよりも一段と音の深みと味わいに優れていたが、反面、SA600には、回路が簡潔であるための音の良さもあったように、今になって思う。
(ステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」巻頭の「いま、いい音のアンプがほしい」より)
     *
これはそうだと思う。
SG520+SE400Sのペアと、SA600を直接比較試聴したことはないけれど、
優れたプリメインアンプであればあるほど、セパレートアンプでは感じとりにくい音の良さがあるものだ。

もっとも瀬川先生がSA600を聴かれた時代はアナログディスクがメインのプログラムソースの時代であった。
CDはまだ登場していない。
つまりフォノイコライザーを必要とするシステムにおいて、の話である。

いまはCDしか聴かないのであれば、コントロールアンプを使わないということも選択できる。
コントロールアンプが不要なのか、それとも必要なのかは、ここで触れると大きく脱線してしまう。
だが、この時代はフォノイコライザーが絶対に必要不可欠であり、
コントロールアンプもまたそうであった時代の話である。

Date: 4月 21st, 2014
Cate: アナログディスク再生, 型番

型番について(その30)

空気の力でターンテーブルプラッターを一定速度で回転させるには難しい面があるのは容易に想像できる。
それに空気の力でスムーズに回転させられるようになったとしても、
起動時の問題が残るはずだ。

軽量のターンテーブルプラッターであれば少ない力でも静止状態から動き出すけれど、
テクダスのAir Force 1や、これまで音が良いとされてきたプレーヤーのターンテーブルプラッターは、
たいていが重量級である。

重量級のターンテーブルプラッターを静止状態から動かすには、けっこう大きな力を必要とする。
おそらく空気の力でそれを実現するのはさらに困難なことだろうと想像がつく。

でもいいじゃないか、とも思う。
いまアナログディスク再生に、これだけのプレーヤーを手に入れようとする人ならば、
これまでどのプレーヤーでも鳴らすことができなかった音の領域を提示してくれるのであれば、
起動時に使い手が手動で勢いをつければ、問題は簡単に解決する。

この一手間を面倒だと感じる人は、そもそも今の時代にアナログディスク再生にこれほどの情熱をかけたりはしない。
もっと普及価格帯のプレーヤーであれば、
どんな人が使っても常に一定性能が発揮できることが重要になるけれど、
数百万円もするアナログプレーヤーは、そういうことを無視しようと思えばできる位置に、いまはある。

Air Force 1という型番は、それほどいい型番とは思えない。
それでもどういうプレーヤーであるのかを表しているから不足のない型番とはいえる。
型番を変えたほうがいい、とはいわない。

いいたいのは、製品の内容から型番がつけられる。
今度はその型番の意味をもう一度考え直すことで、
その型番がつけられた製品の目指す方向が見えてくるのではないか、ということ。

Date: 4月 20th, 2014
Cate: アナログディスク再生, 型番

型番について(その29)

マイクロRX5000+RY5500の二連ドライヴの記事を憶えている人、
実際にその音を聴いたことのある人、
さらに自分のモノとして二連ドライヴでレコードを鳴らされていた経験のある人、
そういった人の中で、経済力のある人ならば、
テクダスのAir Force 1を二台購入して二連ドライヴを実行するかもしれない。

そんな経済力のない私でも、Air Force 1の二連ドライヴは、いったいどんな音がするのか、と考える。
できれば今年のインターナショナルオーディオショウのステラのブースにおいてデモをやってほしいところだが、
こんな大がかりのプレーヤーでも、モーターを外すことはできない。

モーターとターンテーブルプラッターの間にもうひとつターンテーブルプラッターをいれることで、
モーターの影響を低減できることはできても、モーターの追放とはならない。

となると少しでもモーターの影響から逃げるために、
二連で音がよくなるならば、さらにもう一台追加して三連、四連……、
とますます非現実的なことになってしまう。

レコードを回転させなければアナログディスク再生は成り立たない。
ということはモーターからはいつまでたっても解放されないのだろうか。

このところにエアフォースを利用することはできないのか。
つまりモーターではなく、空気の力でターンテーブルプラッターを廻すことはできないのだろうか。
そうすればモーターから、アナログディスク再生が解放されることになる。

Date: 4月 20th, 2014
Cate: アナログディスク再生, 型番

型番について(その28)

ステレオサウンド 55号のアナログプレーヤーの試聴で、
瀬川先生はAir Forceの原点ともいえるマイクロの糸ドライヴ、RX5000+RY5500で、
二連ドライヴということをやられている。

RX5000+RY5500という型番は、
RX5000というターンテーブルユニットとRY5500というモーターユニットからなる。
二連ドライヴとはRX5000を二台用意して、レコードを載せる(実際の再生に使う)RX5000とRY5500のあいだに、
もう一台のRX5000を介在させるというものである。

モーターからターンテーブルプラッター、
ターンテーブルプラッターからもうひとつのターンテーブルプラッターへ、と回転は伝えられる。

なんと無駄なことを……、と思う人もいるけれど、
これは少しでも回転を滑らかにするための手段である。
お世辞にもスマートな手段とはいえない。

RX5000+RY5500は、それでなくとも使い手の技倆に頼っているところの多い製品であり、
いいかげんな使いこなし・調整ではいい結果は得られない。
そういうアナログプレーヤーであるRX5000+RY5500に、さらに調整箇所を増やすわけである。

置き場所の確保も二連にすれば大変になる。
それでも二連ドライヴにする価値はあるのだろうか。

瀬川先生はRX5000+RY5500の試聴記に書かれている。
     *
二連駆動で、AC4000MCをAX7G型アームベースにとりつけて、調整を追い込んだときの音は、どう言ったらいいのか、ディスクレコードにこんなに情報量が刻み込まれていたのか! という驚きである。音の坐りがよく、しかも鮮度高く、おそろしくリアルでありながら聴き手を心底くつろがせる安定感。マニアならトライする価値がある。
     *
通常の使用方法では決して得られない音の領域が姿を現してくる。