石積み(その1)
石積みには、練積みと空積み、ふたつの施工法がある。
練積みとは石と石とのあいだにモルタルやコンクリートを流し込んですきまを埋めていくやり方で、
空積みとはモルタルやコンクリートも使わずに、
大小さまざまな形の石をうまく組み合わせてすきまを埋めて積み上げていくやり方。
いま空積みができる職人が減っている、と建築関係の人から先日聞いたばかりである。
そうだろう、と思って聞いていた。
空積みはやり方を習ったからといって、誰にでもできるわけではないはず。
ここでの石とは、いくつかのことに例えられる。
石は、その人にとってこれまでの体験でもある。
大きな体験もあれば、日常的といえる小さな体験もある。
ひとつとして同じ大きさ、同じ形の石が存在しないように、
体験もひとつとして同じであるわけがない。
石は人でもある。
生きていれば、それだけ多くの人と接する。
家族が、もっとも身近にいる。
学校に通うようになれば、先生と接するようになる。
友人も、それまでよりも多くできるようになるし、多くの同級生だけでなく先輩、後輩もできる。
人も、ひとりとして同じ人はいない。皆違う。
音も石として例えられるだろう。
世の中にひとつとしてまったく同じ音は存在しない。
すべて違う。
同じシステムであっても、鳴らす人が違えば同じ音はしない。
同じシステムで、鳴らす人が同じであっても、昨日の音と今日の音はまったく同じわけではない。
なにひとついじっていない、変えていなくとも、音は変っていくものだから。
体験という石、人という石、それだけではない知識という石、知恵という石、
さまざまな「石」を積み上げていく。
大きな石だけでは、安定して積み上げることはできない。
それは練積みなのか、空積みなのか。