Archive for category テーマ

Date: 9月 4th, 2014
Cate: 素材

素材考(カートリッジのダンパー・その2)

ステレオサウンド 61号で、長島先生が次のように語られている。
     *
長島 SPUのAタイプを使って低域がモゴモゴするというひとが多いんですが、これは当然なんですね。というのは、買ってきてそのまま使っている。そうすればみんなモゴモゴしますよ。そして古くさい音がするというのね。
 SPU−A/Eがいちばんいい状態になるのは、非常に残念なことに、針が減って、使えなくなる寸前なんですね。これはみんなが知っていることだけど、そうすると、あまりにもはかないでしょう。やっと、よくなってきた、針が減って替えなければならない……。それの繰りかえしじゃね。だから、それを、もう少し早く、人工熟成させているわけです。こうすると、いい状態になってから、針が減るまで、かなり楽しめます。
(中略)
──それは、われわれでもできるんですか?
長島 できますよ。要するに、あたためるんです。そうすると(ダンパーの)ゴムが軟らかくなるでしょ。その状態で使っていると、ゴムの分子間の結合が切れて、半分ヤレたゴムになってくる。一種の老化ですね。エイジングというのはそういうことなんだけれど、それを早めてやるということです。だから、あたためては使い、あたためては使い、とそうやっていると、ひじょうに早くエイジングが進みます。
     *
具体的なやり方として長島先生は60W程度の電球の下にSPUを置き、温度にして40度ぐらいまであたためられる。
この40度くらいは、触って、あたたかいかな、というぐらいである。
熱く感じるようでは、あたためすぎ、ということになる。

そうやってあたためたカートリッジでレコードを再生する。
これをくり返すわけである。

その結果、SPUのダンパーは軟らかくなる。
これに関するやりとりも61号にはある。
     *
長島 S君、針先をちょっとさわってざらん。
──いいんですか? 指でさわっちゃって?
長島 いいよ、かまわない。
── アレッ? エッ!?
長島 ワッハッハッハ……。
── ナニッ!? こんなになります?
長島 なる。だって現になっているじゃない!
     *
これを読み、ダンパーの素材(ゴム)に対する認識が変化していった。

Date: 9月 4th, 2014
Cate: Technics, チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(テクニクスの型番)

テクニクスのオーディオ機器の型番にはルールがあった。
スピーカーシステムはSBから始まる。
プリメインアンプとコントロールアンプはSU、パワーアンプはSE、レシーバーにはSAが頭につく。
チューナーはST、グラフィックイコライザーはSH、カセットデッキ、オープンリールデッキはRSで始まる。

アナログディスク関連の機器はプレーヤーシステムがSL(CDプレーヤーもSL)、ターンテーブル単体はSP、
カートリッジはEPC(省略されることが多く、型番末尾にCがつく)、トーンアームはEPA、といった具合にだ。

昨晩、ドイツ・ベルリンで開催されているIFAで、テクニクスの製品が発表になった。
R1シリーズとC700シリーズがあり、
R1シリーズのスピーカーシステムがSB-R1、コントロールアンプがSU-R1、パワーアンプがSE-R1、
C700シリーズのスピーカーシステムがSB-C700、プリメインアンプがSU-C700、CDプレーヤーがSL-C700、
ネットワークプレーヤーと呼ばれる新ジャンルの機器がST-C700となっている。

ほぼ従来通りの型番のつけ方であるわけだが、ST-C700だけが少しだけ違う。
STの型番は、これまではチューナーの型番だった。

今回のラインナップにチューナーはない。
おそらく今後もチューナーが出ることはないだろう。

そのチューナーの型番(ST)が、ネットワークプレーヤーに使われている。
アルファベットは26文字あるから、ネットワークプレーヤーSTではなく、他の型番をつけることもできる。
にも関わらず、今回テクニクスはネットワークプレーヤーにSTとつけている。

個人的に、ここに注目している。

この項(チューナー・デザイン考)を書いているだけに、
わが意を得たり、の感があるからだ。

Date: 9月 3rd, 2014
Cate: 素材

素材考(カートリッジのダンパー・その1)

カートリッジにはダンパーと呼ばれる部分がある。
このダンパーには、たいていゴム系の素材が使われている。

ごく一部のカートリッジにはゴムのダンパーが使われていないモノもあるが、
ほぼすべてといっていいほど、ほとんどカートリッジにはゴムのダンパーが使われている。

ゴムときくと、反発する素材というイメージがある。
ゴムのボールを壁や床にぶつけると跳ね返ってくる。
輪ゴムを伸ばしていた指を離すと、即座に元の大きさに戻る。

そういうイメージが、ゴムにはある。

カートリッジにゴムのダンパーが使われている、と知って、
まずそういうゴムのイメージでカートリッジのダンパーをとらえていた。

けれどカートリッジの動作を考えると、そういうゴムの性質はダンパーとして理想化というと、
そうでもないことに気づく。

最初のきっかけはステレオサウンド 61号の「プロが明かす音づくりの秘訣」だった。
60号からはじまった、この企画、一回目は菅野先生、二回目は長島先生だった。

ここで長島先生はオルトフォンのSPU-Aのエージング方法を紹介されている。
これがきっかけである。

Date: 9月 1st, 2014
Cate: サイズ

サイズ考(大口径ウーファーのこと・その7)

昔からいわれつづけていることで、いまもそうであることのひとつにウーファーの口径の比較がある。
15インチ(38cm)口径ウーファーと8インチ(20cm)口径ウーファー4本の振動板の面積はほぼ同じである──、
といったことである。

20cm口径1本と10cm口径4本も振動板の面積はほほ同じになり、
38cm口径1本と10cm口径16本もそういうことになる。

このことから小口径ウーファーを複数使用することで、大口径ウーファーと同じことになる、ということだ。

ウーファーの振動板が平面であれば、この理屈もある程度は成り立つ。
だが実際にはウーファーの振動板はコーン(cone、円錐)であるから、そう単純な比較とはならない。

ウーファーの振動板を手桶としてみた場合、
38cm口径のコーン状の手桶が一回ですくえる水の量、
20cm口径のコーン状の手桶が四回ですくえる水の量、
このふたつが同じになるには20cm口径のコーン状の手桶はかなり深いものでなければならない。

つまり一回の振幅で動かせる空気の量は、
38cm口径1本と20cm口径4本とでは同じにならない。38cm口径のほうが多い。

こう書いていくと、次には振幅でカバーすればいい、ということになる。
昔のユニットでは難しかった大振幅がいまのユニットでは可能になっている。
だから小口径、中口径のウーファーに足りない部分は、振幅を大きくとることで補える、という考えだ。

だが、これはスピーカーの相手が空気ということを無視している、としか思えない考えである。

Date: 9月 1st, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その11)

1976年10月にテクニクスのオープンリールデッキRS1500Uは登場した。
この年の4月にエルカセットが発表になっている。

1976年秋は、ちょうど私が五味先生の「五味オーディオ教室」とであい、
急速にオーディオへの関心が高まっていった時期でもある。

このとき電波科学を読んでいた。
いまはなくなってしまった電波科学はおもしろかったし、勉強になった。
毎号、メーカーの技術者による新製品の解説記事が載っていた。
ページ数も10ページほどあったように記憶している。
かなり詳細に、その新製品に盛り込まれている技術についての解説だった。

テクニクスのRS1500Uについての、その記事もあった、と思う。
詳しい内容はほとんど憶えていないが、
RS1500Uに投入されたアイソレートループ技術は、
それまでのオープンリールデッキの走行メカニズムとは違うことが、
視覚的にはっきりと、わかりやすく提示されていて、
そのころはオーディオ初心者だった私にも、それがいかに独創的であるかが伝わってきていた。

この点に関して、オープンリールデッキとスピーカーシステムは共通する、といえることをこのとき感じていた。

Date: 8月 31st, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その10)

テクニクスはブランド名、ナショナルもブランド名、松下電器産業が会社名だったころ、
松下電器産業のことを「マネした電器産業」と揶揄した人が少なからずいた。

そういう人たちがそんなふうに口さがないのも、ある面しかたなかった。
オーディオ製品に関しても、いわゆるゼネラルオーディオと呼ばれていた普及クラスの製品に関しては、
そういった面も少なからずあった。

それでもテクニクス・ブランドで出していたオーディオ機器に関しては、
「マネした電器産業」といってしまうのは失礼であるし、どこを見ているのだろうか、といいたくなる。

マネした電器産業が、ダイレクトドライヴ方式のターンテーブルを世界ではじめてつくり出すだろうか。
SP10だけではない。
他にもいくつも挙げられる。

リニアフェイズ方式のスピーカーシステムもそうだ。
カートリッジにしても、テクニクスならではのモノをつくってきていた。
特にEPC100CはMM型カートリッジとしてのSP10的存在、つまり標準原器を目指した製品といえる。

テクニクスの製品の歴史をふり返っていくと、決して「マネした電器産業」ではないことははっきりとしてくる。
その中でも、強く印象に残っている、テクニクスらしい製品といえば、オープンリールデッキのRS1500Uがある。

RS1500Uはリニアフェイズのスピーカーシステムと視覚的に同じところがる。
ひと目で、そこに投入されている技術が確認できるし、
テクニクスの製品であることがわかるからだ。

Date: 8月 31st, 2014
Cate: 書く

毎日書くということ(実感しているのは……)

毎日書いている。
ステレオサウンドについても、あれこれ書いている。
書いていて実感しているのは、あのころは未熟だったな……、ということ。

すべてが未熟だったとは思っていない。よくつくったな、といまでも思う記事も手がけている。
それでも、オーディオ雑誌の編集者として未熟な点はあった。
それに気づくのは、ステレオサウンドを離れてからだった。

距離をおくことで見えてくるのがあるのは、ほんとうのことだ。

そしてステレオサウンドが属しているオーディオ業界は、
他の業界からみれば、狭く小さな業界ともいえる。

そのことが全面的に悪いことだとは思っていないが、
それでも気をつけなければならないのは、
プロフェッショナルの編集者になる前にオーディオの業界人になってしまうことである。

Date: 8月 30th, 2014
Cate: サイズ

サイズ考(大口径ウーファーのこと・その6)

JBLの2インチ・スロートのコンプレッションドライバーの大きさは、なかなか見慣れるということがない。
毎日眺めているのだから、いつのまにか、大きいと感じられないようになるのかと思っていたけれど、
ふとしたことで、やはり大きいな、といまも感じることがある。

ただ大きいな、とおもうのではなく、その大きさに少しばかりの異様さも感じることがある。
この大きさのドライバーが、JBLのスタジオモニターのフラッグシップであった4350、4355の中に入っている。

エンクロージュアの中におさまっているから、ふだんは目にすることのない2440、2441。
だがこのコンプレッションドライバーをエンクロージュアから取り外してみると、
なぜ、このユニットだけ、これほどの物量を投入しているか、と思い、
オーディオマニア(モノマニア)としては嬉しくもなるし、
これだけのユニットとエネルギーとしてバランスを得るには、
ウーファーは15インチ口径で、しかも二発使いたくなる。

だからといって15インチ口径ウーファーをシングルで鳴らして、うまくバランスしない、といいたいのでなはい。
菅野先生のリスニングルームでは、375と2205Bが見事にバランスしている。
2205Bは一本で鳴らされている。

それはわかっている。
けれども視覚的に捉えてしまうと、2インチ・スロートのコンプレッションドライバーには、
ダブルウーファーがよく似合う。

Date: 8月 29th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(その3)

レコード芸術の1981年5月号、瀬川先生が「音と風土、そして時の流れと」を書かれている。
それまでの約二年間、読者代表のふたりと試聴してきた連載の終りをむかえての、まとめ的な意味を含んでのものだ。
そこから、総テストに関係している部分を引用しておく。
     *
 メーカーを問わず国を問わず、多くのスピーカーを聴いてみる。はじめのうちは、そのひとつひとつの違いの大きさに驚かされる。が、数多く聴く体験を重ねてゆくうちに、同じメーカーの製品にはひとつの共通の鳴り方のあることに気づかされる。さらに、国によって、つまりその製品を生み育てた風土によって、大きな共通の傾向を示すことにも気づかされる。そのことは、料理の味にたとえてみるとわかりやすいかもしれい。
 同じ素材を使った料理でも、店の違い、料理人の違いによって、味は微妙にないしは大きく、違う。しかしそれを、大きく眺めれば、日本料理、中国料理、フランス料理……というように、国によって明らかに全く違う傾向を示す。細かくみれば、国、地域、店、料理人……とどこまでも細かな相違はあるが、大きくみれば、同じ国の料理は別の国と比較すれば間違いなくひとつの型を持っている。その〝型〟を育てたものが、その国の風土にほかならない。
 しかしまた、時代の流れによる嗜好の変化、そして国際間の交流によって影響を受け合うという点にもまた、料理と音に類似点が見出される。世界的に、酒が次第に甘口になり、交易の盛んになるにつれてその地域独特の地酒の個性が少しずつ薄められると同じことが、スピーカーの音色にも見出される。少し前までは、あれほど違いの大きかったアメリカの音とイギリスの音が、最近では、部分的によく似た味わいをさえ示すようになっている。その部分をみるかぎり、国によるスピーカーの違いなど、遠からず無くなってしまうのではないかとさえ思わせる。だが、風土の違いが無くならないのと同じように、仮に差が微妙になったとしてもその違いが無くなることはないと、私は思う。そして、オーディオを楽しみとするかぎり、こうした差の微妙さを味わい分けることは、むしろ本当の楽しみの部類に入る。ベルリン・フィルハーモニーの音が、いまやドイツ的と言えるかどうか、という説がある。たしかに、国際的に著名なオーケストラには、いまや国籍を問わず優秀な人材が送り込まれている。けれど、それならベルリン・フィルハーモニーの音が、シカゴの音になってしまうだろうか。ならないところが微妙におもしろい。逆にまた、ベルリンとウィーンの音の違いが無くなってしまったら、演奏を聴く楽しみは無くなってしまう。
 スピーカーの音はそれとは違う、と言われるかもしれない。スピーカーは、それ自体が性格や音色を持つべきではない。ベルリンとウィーンの違いを、スピーカーを通して聴き分けるには、スピーカー自体に音色があってはおかしいんじゃないか。スピーカーは、単に、入力の差をそのまま映し出す素直な鏡であるべきだ……。
 それは正論だが、そういう意見を本気で論じる人は、世界じゅうの数多くのスピーカーを、本気で比較したことのない人たちだ。ひとつひとつの音はたしかに大きく違う。が、一流のスピーカーであればどれをとっても、ウィーン・フィルとベルリン・フィルの違いは歴然と聴き分けられる。
 スピーカーの音の違いと、オーケストラや楽器の音色の違いとは、全く性質の違うもので、それを言葉の上では、あるいは机の上の理屈では混同しやすいが、聴いてみればそれは全く違うということがわかる。こればかりは、体験のない人にどう説明してもなかなかわかって頂けないが、たとえば、どんな写真を通してみても、ある人のその人らしさが写らないことはない、と考えれば、いくらか説明がつくだろうか。そういう意味では、こんにちのカメラやレンズや感光材料(フィルムや印画紙)もまた、決して理想的な段階に至っていない。だがそれだからといって、二人の違った人間のそれぞれ、その人らしさが写らないなどとは、誰も思わない。しかもなお、写真の愛好家は、日本の違ったレンズのそれぞれの描写の味の違いを楽しむ。
 音楽とスピーカーの関係もこれに似ている。
 私自身のそうした考え方を、第三者に立ち合って確かめて頂く、という意味もあって、これまで、Aさん、Kさんという、互いにその性格も音楽や音の好みも全く違う、二人の愛好家といっしょにいま日本で入手できる世界じゅうのスピーカーの、大部分を聴いてきた。
 ご両人とも、最初のうちは、同じレコードがときとしてあまりにも違うニュアンスで鳴ることに驚き、大いに戸惑ったこともしばしばあった。しかもその音の違い、音楽表現の違いを、言葉で説明することの難しさに、頭をかかえたらしい。だが二年も続けていると、お二方とも、次第に聞き上手、語り上手になってきたことは、この連載の最初からずっとお読み下さった読者諸兄にはよくおわかりの筈だ。
 その意味では、むしろ一般読者代表の形でご登場頂いたお二人が、少しずつプロに近い聴き方をするようになってきたことが、果してよいことなのかどうか、私自身少々迷っていた。お二人には、連載開始当時の純朴な耳をそのまま持ち続けて頂いたほうがよかったのではないだろうか、などと勝手な考えを抱かせるほど、A、K、ご両者の聴き方は変化していった。
 しかし私がひとつの確信を抱いたのは、当初の素朴な耳の頃からすでに、お二人によって、スピーカーの鳴らす音の味わいの違いが、メーカーや型番の違いよりももっと、風土による影響こそ本質的な違いであることに、賛意が得られたことだった。ある月はイギリスの音ばかり聴く。ひとつひとつ、みな違う。だがそこに一台でもアメリカやフランスを混ぜると、明らかに、たった一台だけ、違った血の混じったことが、誰の耳にも聴き分けられる。そうして一台だけの別の血を混ぜてみると、それまでずいぶん違うと思っていた個々が、全くひとつの群(グループ)にみえてきて、そこに同じ血の流れていることがまた確認できる。何度も何度も、そういう体験をして、血の違いのいかに大きくまた本質的であるかを、確認した。
     *
レコード芸術での、この連載企画はステレオサウンドの総テストと比較すると小規模といえるけれど、
それだけにじっくりと時間をかけて、瀬川冬樹という最適のアドヴァイザーがいての試聴であり、
そういう試聴だから、総テストと同じように見えてくることが、はっきりとある。

Date: 8月 29th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(その2)

いまではあまりいわれなくなっているが、
1970年代はアメリカの音、イギリスの音、日本の音……、といったことがよくいわれていたし、
ステレオサウンドでも創刊15周年記念の企画として、
60号でアメリカンサウンド、61号でヨーロピアンサウンド、62号で日本の音を特集のテーマとしている。
つまり三号にわたっての企画である。

アメリカの音は西海岸の音と東海岸の音というように、大きく分けられていたし、
ヨーロッパの音といっても、イギリスの音とドイツの音とでは大きく違う傾向だし、
フランスの音も、イギリス、ドイツの音ともまた違う。

国が違えば音は違う。つまり気候・風土の違いが音にあらわれている、ということだ。

だが、この国による音の違いがさかんにいわれていた時期でも、
そんなことはない、国による音の違いなどなく、あるのはメーカーの違いだけである、という意見もあった。
いまもそういうことを主張する人は少なくない。

なぜなのか、というと、総テストの経験があるかないか、といえる。
スピーカーシステムだけを数十機種集中して聴くことでみえてくることがあるからこそ、
総テストの意味がいまもあるわけだし、
ひとつのスピーカーシステムを時間をかけてじっくりと聴く試聴とは、また違う試聴であるのが総テストである。

総テストの経験の有無が、時として話が噛み合わない原因になることもある。

Date: 8月 29th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(その1)

いろいろなところに出掛けては音を聴いている人は多い。
個人のリスニングルームを訪ねては、音を聴かせてもらう。
オーディオ販売店に出掛けては、気になる製品をいくつか聴かせてもらう。
オーディオショウに行き、それぞれのブースの音を聴いてくる。
ジャズ喫茶、名曲喫茶と呼ばれているところへも、音を聴きに足を運ぶ。

だが、そうやって数多くの音を聴くようにしていても、
なかなか体験できないのが、いわゆる総テストと呼ばれる試聴である。

総テストとは、例えばスピーカーの試聴なら、その時点で集められるスピーカーシステムをできるだけ集め、
ごく短期間で試聴する。
そこで集められるのは、少ない場合でも20機種ぐらい、多くなれば60機種をこえることもある。

つまり60機種のスピーカーシステムなりアンプなりを、数日間で一気に聴き通す。
ステレオサウンドが3号で、アンプの総テストをしたのが、その始まりといえよう。

ステレオサウンド 3号で集められたアンプの数は35機種となっている。
1967年、こういう試聴テストを行っていたところはひとつもない、ときいている。

総テストはステレオサウンドの試聴のやり方、というイメージが私の中にはできあがっている。
他にもオーディオ雑誌はあるが、月刊誌では総テストと呼べるだけの機種数を集めての試聴は難しい。
総テストは三ヵ月に一冊という、季刊誌だからうまれてきた試聴のやり方でもある。

Date: 8月 28th, 2014
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(その9)

ずっと以前から、ワンポイント・マイクロフォンによる録音こそが、最良の録音方式である──、
特にクラシックに関心をもつ人のあいだでは信じられてきた(いる)。

ワンポイント・マイクロフォンによる録音は、クラシックではいつの時代でも試みられてきている。
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」は、
もっとも早い時期に行なわれたワンポイント・マイクロフォンによるステレオ録音だし、
プロプリウス・レーベルのカンターテ・ドミノは、もっとも有名なワンポイント・マイクロフォンによる録音である。

優れたワンポイント・マイクロフォンによる録音は、たしかに素晴らしい出来である。
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」は50年以上前の録音とは俄に信じられないほどの出来だし、
カンターテ・ドミノは、ルボックスのオープンリールデッキA77で録られたとは思えない。

理屈で考えてもワンポイント・マイクロフォンでうまくいけば、理想的ともいいたくなる録音のやり方である。
優秀なマイクロフォンと優秀なテープデッキを揃えれば、
さらにマイクロフォン・ケーブルにも凝って、できるだけ短い長さのケーブルにして……、
そんないかにもオーディオマニア的なやり方をそこに加えれば、さらにいい音で録れるかというと、
まずそんなことは起りえない。

そう考えている人は、録音を、その場で鳴っている音をそのまま録ることだと思っているのだろう。
だか、どんなに優れたマイクロフォンとテープデッキを用意したところで、
これから先どんなにそれらの性能が向上したとしても、あくまでも録れるのは、
その場で鳴っている音ではなく、録音する人が聴いている音なのだ。

このことを勘違いしてしまった人が、
安易に(短絡的に)ワンポイント・マイクロフォンで録音したものを聴かされたのだった。

その録音を「いいでしょう」という人もいた。
私はそうは思えなかった。

ここで考えたいのは、録音にも「未来」と呼べるものとそうでないものがあるということだ。

Date: 8月 28th, 2014
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(その8)

現在の録音方式、
つまりマイクロフォンがとらえた空気の疎密波を電気信号に変換して、
さらにテープレコーダーであれば磁気に変換して記録する。

この方式と、私が架空の話としての音のカンヅメの録音との大きな違いは、
どこにあるかというと、方式そのものの違いではなく、
われわれが耳にしている録音は、演奏が行なわれた場で鳴っていた音を録っているのではない。

あくまでも、われわれがLP、CDなどで聴いているのは、
演奏が行なわれた場で鳴っていた音を、録音する者が聴いた音である、ということである。

瀬川先生が書かれた、クヮェトロ氏が取り出したピカピカ光る箱のようなもの、
私が書いた音のカンヅメが記録しているのは、そこで鳴っていた音をそのまま記録する。

聴いた音、鳴っていた音。
いまのところ、鳴っていた音を録ることは不可能である。
だからこそ、録音エンジニアが聴いた音を録る、ということに意図的にも結果的にもそうなってしまう。

以前、あるオーディオマニアが録ったピアノのCDを聴いたことがある。
ワンポイント・マイクロフォンによる録音である。

はっきりいって、ひどい録音だった。
なぜ、ひどいのか。
その録音を手がけたオーディオマニアは、そこで鳴っていた音を録ろう、としていたからである。

Date: 8月 28th, 2014
Cate: SP10, Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10の場合・その1)

テクニクスについて書いている。
書けば書くほど、おもしろい存在だということを実感している。

テクニクスときいて、どの製品を思い浮べるかは人によって違う。
若い世代だとテクニクス・イコール・SL1200ということになるらしい。
SP10の存在を知らない人も、いまでは少なくないようでもある。

意外な気もしないではないが、そうかもしれないなぁ、と納得してしまうところもある。
そのSP10、MK2、MK3と改良されロングセラーモデルでもある。

ダイレクトドライヴの標準原器ともいわれていた製品である。
ステレオサウンド 49号の第一回State of the Art賞に、MK2が選ばれている。
誰もが、SP10の性能の高さは認めるところである。
にも関わらず、ステレオサウンドが2000年がおわるころに出した別冊「音[オーディオ]の世紀」に、
SP10は、どのモデルも登場してこない。

この別冊では、17人の筆者、
朝沼予史宏、新忠篤、石原俊、井上卓也、上杉佳郎、倉持公一、小林貢、佐久間輝夫、櫻井卓、篠田寛一、
菅野沖彦、菅原正二、楢大樹、傅信幸、細谷信二、三浦孝仁、柳沢功力らが、
「心に残るオーディオコンポーネント」を10機種ずつ挙げている。

ダイレクトドライヴのアナログプレーヤーも登場している。
小林貢氏がデンオンのDP3000、細谷信二氏がデンオンのDP100を挙げている。
けれどテクニクスのSP10は、初代モデルも、MK2もMK3も出てこない。

ここでの選出は、State of the Art賞とは異り、
きわめて個人的な選出であることが、その理由なのかもしれない。

Date: 8月 27th, 2014
Cate: audio wednesday, Technics

第44回audio sharing例会のお知らせ(Technicsというブランド)

9月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

テーマはTechnics。
テクニクス・ブランドの復活のニュースをきいて、
日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活)」を書いた。
実はこれ一本で続きを書くつもりはなかった。
それがあれこれ書きつづけている。
あと数回書く予定である。

書き始めると、書きたいことが次々と出てくる。
にも関わらず、私が自分のモノとしたテクニクスのオーディオ機器はひとつだけである。
欲しいと思ったオーディオ機器はいくつかある。
けれど自分のモノとはしなかった。
高価だったから、という理由ではない。

それぞれに理由らしきものはある。
ここではそのことについては触れない。
例会では話すかもしれない。

テクニクスというブランドのオーディオ機器は、私を夢中にさせはしなかった。
このことはテクニクスというブランドのオーディオ機器の特徴でもある。
なぜ夢中になれなかったのか。

テクニクス・ブランドの復活のニュースを知って、いまになってあれこれ思い出しては考え、こうやって書いている。

もし今回の復活のニュースがテクニクスではなくLo-Dだったら、どうだったろうか。
おそらくこれほど書きはしなかったはず。
オーレックスだったら……。

オーレックスは思い入れがあるから、テクニクス以上に書くことになるはずだが、
そこで書くことは、テクニクスで書き方とは大きく異ってくる。

いま書きながらテクニクスというブランドが、
あのころの私にとってどういう位置づけだったのか、
それを面白く感じている。

おそらくとりとめもなくテクニクスについて語っていくことになるだろう。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。