戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その6)
乗客(旅人)のトランクにはレコードがいっぱいだった。
ただ、これらのレコードは、乗客がこれまできいてきたレコードだったのか。
それとも、これからききたいと思っているレコードだったのか。
38年前の13歳のときには考えなかったことを、いまは考えている。
トランクいっぱいのレコードが愛聴盤ばかりのときの目的地と、
未聴のレコードばかりのときの目的地、
愛聴盤と未聴盤がまざりあっての目的地とでは、
めざす方向は同じになるのかもしれないが、
目的地となる駅は必ずしも同じになるとはかぎらないのではないか。
ただいえるのは、どの場合であっても、
旅人という《ひとつの個性でえらばれた》レコードであることにはかわりはない。
黒田先生は書かれている。
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ひとつの個性でえらばれた数枚のレコードには、おのずと一本の筋がみえてくる。そのみえてきた筋が示すのは、そこでレコードを示した人間の音楽の好みであり、敢えていえば音楽のきき方である。
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みえてきた筋が示すところに、目的地となる駅はある。
レコードの持主である旅人が汽車に乗れたのは、
汽車の車掌を自称する男が、旅人がとり出したレコードから、筋が示す先を読みとることができたからである。