自己表現と仏像(その3)
一刀三礼。
仏像を彫刻する際に、一刀ごとに三度礼拝すること。
ほんとうにそこまでしているのだろうか。
そこまでしていなくとも、一刀三礼の心持で仏像を彫っていくということなのだろう。
一刀ごとに三度礼拝する行為と自己表現が、結びつかない。
オーディオにおいて自己表現、自己表現、自己表現こそが大事であり、
自己表現なき音は認められない、とオウムのようにくり返す人がいるが、
もしその人が仏像を彫ることになったとして、やはり自己表現、自己表現とくり返すのだろうか。
たぶんそうするように思える。
その人にはその人なりの仏像の彫刻があるという仮定にたてば、
その人の自己表現の結果としての仏像もあり、ということになるのだろうか。
はたして、そうやってできあがったものは、仏像なのか。
仏像とタイトルのついた、なにか別のものの彫刻になっていやしないだろうか。