Archive for category テーマ

Date: 2月 19th, 2017
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(「3月のライオン」を読んでいて・その1)

羽海野チカの「3月のライオン」のことは昨年12月に二回書いている。
その後も「3月のライオン」にハマっている。

単行本を買うのは止しとこう、と思っていたのに、手を出してしまった。
五巻、六巻、七巻は胸に迫るものがあって、立て続けに何度も読み返した。

「3月のライオン」の主人公は高校生のプロの棋士だ。
将棋のことが描かれる。

登場するプロ棋士の自宅には、立派な碁盤と駒があるとかぎらない。

私が小学生のころ、長旅の時間つぶしに持ち運びできる将棋盤と駒があった。
いまならスマートフォンがあるから、この手のモノはなくなってしまっただろう。
でも昔は新幹線のスピードも、いまよりも遅かった。

博多・東京間を何度か新幹線を使ったことがあるが、
ほんとうに時間がかかっていた。

そういう時に、折り畳み式で駒がマグネットで盤から落ちないようになっていたモノが発売されていた。
当時はテレビコマーシャルもよくやっていた。

立派な碁盤と立派な駒であっても、
こんなオモチャのようなモノであっても、将棋は将棋であることに変りはない。

それこそオモチャのようなモノすらなければ、紙にマス目を描いて、
紙を切って駒にしても将棋は将棋である。

それすらなければ、プロ棋士ならば、頭の中だけで対局をやっていくのだろう。

私は将棋は駒の動かし方をかろうじて知っているだけで、
それも小学校の時に親から習って、それからこれまで将棋を指したことはない。

そんな私の考えることだから、大きく違っている可能性もあるだろうが、
プロ棋士にとって、目の前にある碁盤の立派さとは、どれくらい影響するものだろうか。
ほとんど影響しないのではないか。

将棋とオーディオは違う。
そうなのだが「3月のライオン」を見ていると(読んでいると)考える。

そういう視点からピュアオーディオということばを捉え直してみることを。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その1)

別項で触れた技術用語の乱れ。
他にも例がある。

パワーアンプの動作を表す用語に、A級、B級がある。
AB級もある。

AB級とは小出力時はA級動作を、
それ以上の出力ではB級動作に移行する。

どの程度の出力までA級動作をさせるかは、メーカーによっても、製品によっても違う。
だいたいは数Wから10W程度までA級で、これ以上の出力ではB級である。

けれど最近のオーディオ雑誌では、こんな表記があった。
小出力ではA級動作、それ以上ではAB級に移行する、と。

こんな間違いを平気で活字にしている例を見たことがある。
それも一度ではない。
これもおそらくメーカーからの資料にそう書いてあるからなのだろう。

いまではオーディオ雑誌の編集者でも、
A級、B級、AB級の違いがわかっていないようだ。

他にも技術用語の乱れの例は挙げられるが、
オーディオ雑誌の編集者が気づくべきことだから、このへんにしておく。

オーディオ雑誌も、いまや程度の低いキュレーションサイトと同じになっている。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: きく

音を聴くということ(体調不良になって・その3)

タイミングのいい偶然なのか、
Forbes Japanのウェブサイトに、
サラダがもたらす「死の危険」? 健康的な食品が肥満をもたらす2つの理由
という記事が、今日公開されている。

空腹感についての記事である。
それほど長い記事ではないので、ぜひリンク先をお読みいただきたい。

記事の最後には、こう書いてある。
《「食べる」ことに関して最も重要な臓器は、脳だったのである。》

「聴く」ことに関して最も重要な臓器もまた、脳なのだろう……。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: オーディオの科学

オーディオにとって真の科学とは(その7)

(その5)で「あの程度のレベルの人を相手にすることはない」と書いた。
どういう考えで「あの程度のレベルの人」と言ったのかは聞いていない。

けれど私は「あの程度のレベルの人」とは、
己の耳を鍛えることから逃げて、
それでは己のプライドが傷つくのか、ケーブルでは音は変らない、という人のことである。

音の聴き分けにも得手不得手はある。
それはオーディオ仲間といっしょに音を聴いていれば実感することのはずだ。

あるところに敏感に違いを聴き分ける人でも、
別のところでは意外にもそうでなかったりする。

それにオーディオマニアの誰もが、わずかな音の違いまで聴き分けることはない。

例えば誰かをあるシステムをセッティングして、チューニングしていく。
その過程をいっしょに聴く。

何をやっているのかはわからないところもあるだろうし、
それによる音の変化も、聴き分けられるところもあれば、そうでないところもある。

それでも最初に鳴っていた音と、
数時間後に鳴っている音の違いがわかれば、オーディオは趣味として楽しめる。

私はケーブルの違いはあまりわからないという人を揶揄したいわけではない。
ケーブルの違いがあまりわからなくてとも、音を良くしていくことはできる。
(その6)で書いた、評価軸がその度にブレてしまうことがなければ、音は良くしていける。

私がオーディオに弊害をもたらしている、と捉えているのは、
己の耳を鍛えることから逃げて、安易な道を選び、
けれど己のプライドだけはしっかりと守りたい、という人のことだ。

そういう人が「オーディオは科学だ」という。
何度でも書くが、科学であれば観察力が問われる。
オーディオにおける観察力とは耳の能力のことだ。

これは高域が20kHzまで聞こえる、といったことではない。

そして大事なのは、
オーディオを科学として捉えるには観察力、
その己の観察力を冷静に観察し、得手不得手を把握する観察力である。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: オーディオの科学

オーディオにとって真の科学とは(その6)

これまでに何度も書いているように、
再生系のどこか一個所でもいじれば、音は間違いなく変化する。
その変化量は、ごくわずかなこともある。

そのため時として、人によっては、音の変化が掴めない、もしくは掴みにくいことはある。
それでも音は変化している。

そんなごくわずかな音の変化を聴き分ける人を、耳がよい人だという。
ただし、ほんとうに音の変化を確実に聴き分けているかという、
そうでもない人がいるのも事実である。

音の評価軸が、一回ごとに(もしくは数回ごとに)ブレてしまう人がいる。
そういう人は、何も変えていなくとも、変えているような仕草を見せると、
音が変ったという。

そういう人は何度かいっしょに音を聴いていると、わかる。
そういう人といっしょに音を聴いても、耳を鍛えることはできない。

ほんとうに耳のよい人といっしょに音を聴くことこそが、
己を耳を鍛えていく道である。

私が幸運だった、と別項で書いているのは、そういうことでもある。
ほんとうに耳のよい人といっしょに音を聴くことで、
自分の耳を知ることができるし、鍛えることもできる。

ほとんどの人が、最初からわずかな音の変化をはっきりと聴きとれるわけではないだろう。
オーディオ仲間が聴き分けている音の違いを、聴き分けられない体験をしたことがあるはずだ。

そんな時どうするか。
オーディオマニアの多くの人は、己の耳を鍛えようとする。
けれどごく一部の人は、別の道に逃げ込む。
「オーディオは科学だ、そんなことで音は変化なぞしない」と主張する。

己を耳を鍛えようとはせず、安易な選択をする。
オーディオは趣味だから、そのこと自体を否定はしない。
けれど、黙っていろ、といいたい。

なのに、ごく一部の彼らは、我らこそが真実だ、と声高に主張する。
滑稽にも関わらず。

Date: 2月 18th, 2017
Cate: オーディオの科学
1 msg

オーディオにとって真の科学とは(その5)

(その4)に対して、facebookでコメントがあった。
(その4)で書いたような人たちを相手にすることはない、というものだった。

同じことは、以前も別の人にいわれたことがある。
七年前、「オーディオの科学」について少し書いたことがある。

そのことに腹を立てたと思われる人(どん吉というハンドルネームだった)から、
コメントというよりもいちゃもんをつけられた。
その時も、「あの程度のレベルの人を相手にすることはない」といわれた。

そうかもしれない──、とは思っていない。
こういう人たちがいるからこその弊害がある。

観察力がないから、
いままでの知識だけで音を判断してしまう。

ここでの観察力とは、音を聴き分ける能力のことである。
この種の人たちの不思議なのは、
自分たちにできないことは他の人もできないと思っている節がある。

なぜそう思うのか。
人には得手不得手がある。
能力の違いがある。
多くの人がわかっていることを理解できない人たちのようだ。

自分の耳では聴き分けられないから、
ケーブルでの音の違いなどない、という結論にもっていく。

その人が聴き分けられなくても、聴き分けられる人はいるという事実を、
どうも認めたくないようである。

例えば100m走。
オリンピックに出る選手たちは10秒を切る速さで走る。

100mを10秒を切ることは、大半の人には無理なことである。
だから、すごいと思う。

自分にできないことだから、100mを10秒前後で走るのは、
何かトリックがある、オカルトだ、などというバカなことは思わない。

音のこまかな聴き分けも、同じことである。
すべての人の音に対する能力が同じなわけがない。

速く走れる人もいれば、高くジャンプできる人もいるし、
速く泳げる人もいる。

味覚や嗅覚でも、それを仕事としているプロフェッショナルがいる。
ケーブルで音など変らないと頑なに主張する人でも、
味覚や嗅覚のプロフェッショナルがいて、
そういう人たちの味覚、嗅覚と自分の味覚、嗅覚が同じレベルであるとは思っていないであろう。

なのになぜか聴覚だけは違うようだ。
聴覚検査で問題がなければ、音の聴き分け能力まで同じだと考えているのだろうか。

Date: 2月 17th, 2017
Cate: 欲する

資本主義という背景(その1のその後)

その1)で、サムスンによるハーマンインターナショナルの買収のニュースについて触れた。

この時点では買収で合意した、とあり、買収が完了していたわけではない。
その後、どうなったのか検索してみると、1月の時点ではまだ完了していなかった。
これだけの大型買収だと、両社が合意していても、すんなりとはいかないようだ。

そして今日(2月17日)、サムスンの事実上のトップが逮捕された、というニュース。
ハーマンインターナショナルの買収は完了していたのか、
そうでなければどうなるのだろうか、と、また検索してみると、
中央日報の2月14日の記事『サムスン電子「80億ドルでハーマン買収」17日に決着』があった。

2月17日は、今日である。
アメリカ時間の2月17日だろうから、まだ決着はついていないのだろうか。

この日にはあわせての逮捕というわけではないと思うが、
すんなり決着とはいかないような気もする……。

Date: 2月 15th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その6)

いつごろから使われるようになったのか正確には記憶していない。
ここ数年よく耳にするようになったのが、
「フツーにうまい」とか「フツーにかわいい」といったいいまわし。

フツーはいうまでもなく普通であわけだが、
文字は別として、耳には「普通にうまい」ではなく「フツーにうまい」に近い。
普通にフツーにしても、「うまい」の頭になぜつけるのか、と思う。

うまい(おいしい)ということは、ふつうのことなのか、といいたくもなる。

オーディオも「フツーにいい音」といったりするのだろうか。

この「フツーに○○」が使われるようになる前から、ラーメンはブームになっていた。
東京に住んでいるとラーメン店の増殖ぶりはすごい。
さまざまなタイプのラーメンがある。

ラーメンがブームになって感じるのは、まずいラーメン店がきわめて少なくなってきたこと。
ラーメン・ブームの前は、あきらかにまずい店が少なくなかった。

よく言っていたのは、インスタントラーメンでもこれよりずっとうまいよ、とか、
どうやったら、これほどまずくつくれるんだろう……、とかだった。

いまではそういうラーメン店を見つける方が難しくなってきている。
このことはラーメン・ブームが定着した証しなのかも、とも思ったりする。

けれど、ほんとうにおいしいと感じるラーメン店の絶対数は、
それほど増えていない気もする。

昨晩も知人ととあるラーメン店に行った。
常時ではないが、時間帯によっては行列ができているくらいには評判の店だ。
男性客だけでなく、女性客も多い。

出てきたラーメンは、おいしいかと問われればおいしい、と答えるが、
食べながら、「これがフツーにうまいというものか」と思ってしまった。

まずくはない、といった意味でのうまいではなく、
確かにうまいラーメンである。
でも食べながら、どこか冷静に食べていることに気づいている。
夢中になって……、というところからは離れての食事だったともいえる。

Date: 2月 14th, 2017
Cate: 新製品

新製品(新性能のCDトランスポート・その1)

CDプレーヤーは最初はひとつの筐体のモノばかりだった。
だからこそ、CDプレーヤーと呼ばれていた。

ソニーとLo-Dがセパレート型CDプレーヤーを、同時期に発表した。
CDトランスポートとD/Aコンバーターとのふたつの筐体になった。

トランスポート(transport)の意味は輸送、搬送、運送などである。
信号処理の分野では、情報、データ、信号などを伝送する、伝達する、転送する、などの意味を持つ。

CDトランスポートを、そう呼ぶのはなんとなく納得できるものの、
これまでのCDトランスポートを、素直にトランスポートと呼んでもいいのだろうか、
という気持は少しばかりあった。

それでも他にいい言葉も思いつかないし、
便宜的にはCDトランスポートと私もいっていた。

1月下旬にCHORDからCDトランスポートBlu MkIIが発表になった。
発売は3月の予定だそうだ。

Blu MkIIがどんな新製品なのかは、
ステレオサウンド、ファイルウェブでも紹介されているから、
輸入元タイムロードのサイトよりも、情報としては詳しい。

CHORD独自の信号処理技術M-SCALERによって、CDを705.6kHz(最大)までアップサンプリングする。
CDだけでなくBNC端子によるデジタル入力も備えており、M-SCALERはこちらでも使える。

聴いていない新製品の音については語れないが、
ステレオサウンド、ファイルウェブの記事を読むと、早く聴きたいと逸る。

数日前に、仕様変更のニュースがあった。
外部入力としてUSB端子が設けられるとのこと。
もちろんUSB端子からの入力信号に対してもM-SCALERによるアップサンプリング処理は行われる。
こちらは最大768kHzとなっている。

初代Bluにもアップサンプリング機能は搭載されていて、
88.2kHz、176.4kHzでも信号出力を、CHORDのD/Aコンバーターとの接続時において可能だった。

けれど初代Bluにはデジタル入力はなかった。
信号処理大幅に向上したBlu MkIIだが、
まだ聴いてもいない製品についてここで書いているのは、
デジタル入力を備えているからである。

Blu MkIIがもつ機能こそ、CDトランスポートと納得ずくで呼べる。
USB入力を装備して、ますますそう呼べるようになった。
同時に新性能の登場ともいえよう。

2017年2月25日追記
PSオーディオからも興味深いCDトランスポートDirectStream Memory Playerが登場した。
なのでこの項を続けて書くことにした。
タイトルも「新製品(CHORD Blu MkII)」から「新製品(新性能のCDトランスポート」へと変更した。

Date: 2月 14th, 2017
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(改めて……)

この項の(その1)を書いたのは2008年9月。
かなり時間をかけて書いている。

時間をかけているからといって、書きたい結論に変りはないことのほうが多い。
でも、「快感か幸福か」については、少し迷っている、といえるところが出てきた。

《人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就するために生まれてきたのだ》

この言葉を噛みしめていると、
自らの運命を成就したと思える時が来たならば、
そこでの歓喜は、快感なのかと思いはじめたからである。

《神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出》という快感とは別の次元の快感。
それがあるのではないか、と考えた時、結論に迷いが生じている。

Date: 2月 13th, 2017
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(セレッションSL600・その4)

SL600が登場するころ、イギリスのオーディオ機器にはネクステル塗装が流行っていた。
メリディアンのMCA1やCDプレーヤーMCDなどがそうだった。

SL600もそうだった。
最初は流行っているからなのか、と思ったが、
(その3)で書いたことを試してみて、
実のところセレッションもエンクロージュアの素材であるアルミハニカムの欠点に気づいていたから、
ネクステル塗装にしたのではないか、とも思うようになった。

エンクロージュアの塗装は、音に大きく影響する。
ピアノ仕上げのスピーカーは見映えのためだけではない。
光沢のある仕上げもそうである。

でも個人的には光沢のある仕上げだと、
スピーカーのバッフルに自分の顔が映ってしまう。
これが苦手だ。

音楽を聴いている自分の顔を、私は見たいとは思わない。
中には、音楽に真剣に向きあう己の姿にうっとりする人もいるけれど、
私はそんな人種ではない。

セレッションが私と同じことに気づいてのネクステル塗装を選択したのかはなんともいえないが、
別の塗装であれば、音は違ったものになっているのは確かである。

アルミハニカムは軽くて剛性も高い。
内部にエネルギーを蓄積しないという点では、SL600の開発意図に添う素材である。

アルミハニカムは蜂の巣と同じ構造となっている。
同じ大きさの六角形が隙間なくきっちりと並んでいる。

テクニクスは六角形の大きさを外周にいくにしたがって大きくなるように工夫していたが、
SL600のアルミハニカムはそうはなっていないはずだ。

この構造が軽くて高い剛性を両立させているわけだが、
同時に聴感上のS/N比を悪くもしている。

同じ大きさの六角形とは、同じ大きさの空洞である。
その空洞を塞ぐようにスキン材が両側に張られている。

この空洞を、何かで埋めない限り、
アルミハニカムで良好な聴感上のS/N比を得るのは無理なのではないか。

具体的にはウールのような天然素材を、
すべての空洞に軽く詰めていく。
ぎゅうぎゅうに詰める必要はないばずだ。

これは試してみたかった。
けれどSL600のスキン材をきれいに剥してすべての空洞をうめたうえで、
もう一度スキン材を張ることができるわけがなくて、あきらぬていた。

それでもときどき思い出しては、
アルミハニカムそのものが入手できるのであれば、
SL600と同じコンセプトのスピーカーを自作できるのに……、と、
インターネットで検索をしていた。

Date: 2月 13th, 2017
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(セレッションSL600・その3)

セレッションSL600のフロントバッフルの下部中央に、ロゴプレートがある。
これは両面テープで貼られている。

このプレートを指で弾いてみると、いい感じの音はしない。
これを外す。

聴感上のS/N比の優れたスピーカーシステムで、
聴感上のS/N比に充分な配慮をしたセッティングをしていれば、
このプレートを外しただけでも、音ははっきりと変る。

もっとも外した理由は音を良くしたいからではなく、
ロゴプレートのデザインに気に入らなくて、視覚的に外したかっただけである。

けれどSL600での変化は予想に反して鈍い。
同じことは他の個所についてもいえた。

ウーファーの周囲には金属製のプレートがある。
これはネジ止めされている。
これも外してみた。

外したSL600はみっともない。
それでも一度は外した音を確かめておく。

ここでの変化は鈍かった。
ここまで来ると、SL600はもしかすると聴感上のS/N比があまり良くないことに気づく。

他にも試している。
ウーファーのプレートを止めている六角ボルトの頭にゴムキャップをとりつけてみた。
レンチが入るところを埋め、ボルトの頭からの不要輻射を抑えるためである。
同じことをトゥイーターのボルトにやる。

これは当時のダイヤトーンのスピーカーシステムに採用されていた手法である。
ダイヤトーンのスピーカーでは、このキャップがあるとないとでは、はっきりと音の変化がある。

SL600は変化しないわけではないが、変化量が小さい。
これは聴感上のS/N比を大きく疎外している要因があるわけで、
それを抑えてみるために(その2)で書いている方法を採った。

この手法を採った上で、もう一度上記のことをくり返し試す。
あきらかに変化量に違いが出てくる。

これはもうエンクロージュアの素材に起因しているものと判断した。

Date: 2月 13th, 2017
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(アマチュア無線の場合)

CQ ham radioというアマチュア無線の専門誌があるのは、ずっと以前から知っていたけれど、
手にとることはずいぶん前からなかった。
けれど最新号(2017年2月号)の特集は、目を引いた。

「深刻化する都市雑音問題 アマチュア無線の受信ノイズ対策を考える」とある。
アマチュア無線とオーディオと同じなのか、といまさらながら思って手にとった。

五本の記事から構成されている。
 都市雑音の正体と対策テクニック
 アンテナでノイズを抑える
 太陽光発電の不要輻射問題の現状
 ノイズ問題から逃れるための8箇条
 ノイズ・キャンセラの選び方

これらの中で、やっぱりそうかと思ったのは、太陽光発電の不要輻射の現状である。
発電した直流を交流にするためのパワーコンディショナーのノイズについて書かれている。
法規制がどうなっているのかについての記述もある。

1970年代は静かだった、という記述に、思わず頷いてしまった。

Date: 2月 12th, 2017
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その3)

ラックスのSQ38FD/IIの横幅は47.6cmで、
ウッドケースを脱ぎさったLX38の横幅は44.0cm。
確かにSQ38FD/IIは、現行のLX380の44.0cm(ウッドケースつき)からすれば、
大きいと感じるサイズである。

けれどラックに収まらない、ということはない。
いまどきのラックは横幅48cmのアンプが収まらないのが多い、というのか。

だとしたらアキュフェーズは? と聞き返したくなる。
アキュフェーズのプリメインアンプの横幅は現行製品は46.5cmになっている。
CDプレーヤーのDP750の横幅は47.7cmと、SQ38FD/IIとほぼ同じである。

いまどきのラックには詳しくない。
けれどアキュフェーズのアンプやCDプレーヤーが、
いまどきのラックに収まらない、ということは一度も耳にしていない。

それにラックのサイズにオーディオ機器のサイズを合せるものなのか、という疑問がある。

これを書くにあたり、ラックスの他の製品の横幅を調べてみた。
おもしろいことにLX380だけでなく、コントロールアンプもパワーアンプも横幅は44.0cmに統一されている。

44.0cmに、なにかこだわりがあるのだろうか。
パワーアンプのM900uは、重量48.0kgで、高さ22.4cm、奥行き48.5cmの大型のサイズだ。
それでも横幅は44.0cmである。

全体のプロポーションを崩してまでも、44.0cmの横幅にこだわる理由は、何なのか。
いまのところ見当がつかない。

ラックスはLX380も定番として捉えているのか。
おそらくそうだと思う。
だからこそSQ38Fから続く基本デザインを、LX380でも採用しているのだから。

けれど、そこにズレが生じてしまったように思うのだ。
管球王国のVol.83の傅信幸氏の文章と同じように、受け手とのあいだにズレがある。

Date: 2月 12th, 2017
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その2)

定番といえるオーディオ機器をいくつか思い浮べてみてほしい。
私が(その1)で挙げたモノの他にもいくつかあるだろうが、
その中にはアンプは含まれているだろうか。

たとえばサンスイの607、707、907シリーズは何度もモデルチェンジしている。
けれど定番として捉える人もいれば、そうでない人もいるはずだ。
私は後者だ。

AU607、AU707が最初に登場し、
ダイヤモンド差動回路を採用時に、上級機のAU-D907が登場し、
607、707も数字の前にDがつくようになった。

そして限定モデルとしてAU-D907 Limitedが出た。
ここまでは定番となり得るアンプだった。

けれど次のフィードフォワード回路採用の、型番末尾にFのつくモデルから、
定番から外れはじめたように感じた。

ラックスのSQ38はどうだろうか。
1978年に登場したLX38までは、確かに定番といえるアンプだった。

LX38で一旦シリーズは途絶える。
その後、ふたたびシリーズ展開が始まるのだが、
それを以前のように定番と捉えることはできなかった。

いまはLX380があるが、これを定番と捉える人はどれだけいるのだろうか。

管球王国のVol.83の新製品紹介に、LX380が取り上げられている。
傅信幸氏が書かれている。

そこにLX380のプロポーションについての記述がある。
以前のSQ38は横幅があり大きかった。
このサイズのままでは、いまどきのラックには収まらないだろうから、
横幅を短くする必要があった──、そんなふうな説明がなされていた。

こんな説明で納得する人がいるのか。