Date: 2月 19th, 2017
Cate: オーディオの科学
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オーディオにとって真の科学とは(その6)

これまでに何度も書いているように、
再生系のどこか一個所でもいじれば、音は間違いなく変化する。
その変化量は、ごくわずかなこともある。

そのため時として、人によっては、音の変化が掴めない、もしくは掴みにくいことはある。
それでも音は変化している。

そんなごくわずかな音の変化を聴き分ける人を、耳がよい人だという。
ただし、ほんとうに音の変化を確実に聴き分けているかという、
そうでもない人がいるのも事実である。

音の評価軸が、一回ごとに(もしくは数回ごとに)ブレてしまう人がいる。
そういう人は、何も変えていなくとも、変えているような仕草を見せると、
音が変ったという。

そういう人は何度かいっしょに音を聴いていると、わかる。
そういう人といっしょに音を聴いても、耳を鍛えることはできない。

ほんとうに耳のよい人といっしょに音を聴くことこそが、
己を耳を鍛えていく道である。

私が幸運だった、と別項で書いているのは、そういうことでもある。
ほんとうに耳のよい人といっしょに音を聴くことで、
自分の耳を知ることができるし、鍛えることもできる。

ほとんどの人が、最初からわずかな音の変化をはっきりと聴きとれるわけではないだろう。
オーディオ仲間が聴き分けている音の違いを、聴き分けられない体験をしたことがあるはずだ。

そんな時どうするか。
オーディオマニアの多くの人は、己の耳を鍛えようとする。
けれどごく一部の人は、別の道に逃げ込む。
「オーディオは科学だ、そんなことで音は変化なぞしない」と主張する。

己を耳を鍛えようとはせず、安易な選択をする。
オーディオは趣味だから、そのこと自体を否定はしない。
けれど、黙っていろ、といいたい。

なのに、ごく一部の彼らは、我らこそが真実だ、と声高に主張する。
滑稽にも関わらず。

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