Archive for category テーマ

Date: 9月 16th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その3)

MQAを聴く以前にも、
いわゆるハイレゾと呼ばれるプログラムソースは聴いてきている。

SACDが登場したばかりのころ、
たまたまあるところで通常のCDと比較試聴できる機会があった。

それほど厳密な比較試聴ではなかったけれど、
SACDの音には、ワクワクした。

まったく不満がなかったとはいわないが、
SACD(DSD)が、これからの主流になってくれれば──、と思った。

けれど現実は違っていた。

デジタルに、PCMとDSD、どちらもあっていい。
どちらが優れているわけではない。

どちらにもいいところもあれば、そうでないところもある。
ここ数年、PCMもDSDも、サンプリング周波数が高くなっている。

これらのフォーマットのすべてを、同一条件で聴いているわけではないが、
それでも、友人のところ、オーディオショウ、販売店などで、
ハイレゾと呼ばれる音源を聴いて、音の量感が増した、と感じたことは一度もなかった。

部屋の空気が良くなっていくような感じは受けても、
音の量感に関して、なにかを感じたことはなかった。

自分のリスニングルームでじっくり聴けば、そのへんの印象も変ってくるのかもしれないが、
同じままの可能性もあるようにも感じている。

それだけにメリディアンのULTRA DACを聴いて、
音の量感が増した、と感じられて、驚いただけでなく嬉しくもなった。

Date: 9月 15th, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その3)

No.1のオーディオ雑誌とは、いったいどういうものなのか。

発行部数(売上げ)が一番のオーディオ雑誌がNo.1なのか。
収益がNo.1なのが、そうなのか。

広告の量がもっとも多いのがNo.1という見方もできる。

変ったところでは、編集者の学歴(偏差値)の高さというものもできなくはない。
ステレオサウンドにいたころ、
オーディオ専門の広告代理店にKさんがいた。

私より年上だが、ほんとうにオーディオ好きな人で、
なんだかんだいってよくオーディオの話をすることがあった。

Kさんは広告代理店の人だから、
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌の会社にも行く。
編集者が、どういう人なのかもわかっている人だった。

そのKさんが、ある日、こんなことを言っていた。
オーディオ雑誌を出版している会社のなかでは、
音楽之友社が学歴は一番だよ、と。

Kさんによると、最低でも○○大(有名私大)だし、
○大(旧帝大)卒もあたりまえのようにいる、とのことだった。

音楽之友社と比べると、ステレオサウンドは……、と二人で笑ったことがある。
現在の音楽之友社がそうなのか、それは知らないが、
1980年代は、そうだ、と聞いている。

こういう尺度でみれば、音楽之友社のステレオがNo.1という見方もできよう。

なにをもってNo.1なのか。
誰もが納得するNo.1とは、どういうものなのか。

そして、腐っても鯛は、オーディオ雑誌にもいえることなのか。

Date: 9月 15th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(略称の違い・その5)

オーディオの世界に若い人を──、
ということが今年のOTOTENのテーマとなっていた。

そして、こういうテーマになると、老害についてSNSにて発言する人が増える。

オーディオの世界における老害について、こまかく書いていこうとは考えていない。
ただ、ここでのテーマに沿って書けば、ないわけではない、と思っている。

その1)で、世代による略称の違いについて触れた。
マークレビンソンを、以前は略すならばレビンソンだった。
いまではマクレビである。

オーディオテクニカはテクニカだった。
いまではオーテクである。

こんなふうに略すのが、いまの若い人のセンスなのか。
私や私の周りでは、センスのない略のしかただな、と思っているわけだが、
ここで、私が老害と考えるのは、
そんな若者にすんなり迎合してしまう人たちである。

老害といわれたくないのか、
若者に、妙な理解を示す人たちが少なからずいる。

でも、これは理解なのか、と思う。

Date: 9月 15th, 2019
Cate: audio wednesday

第105回audio wednesdayのお知らせ(40年前のシステムの鳴らす音)

10月2日のaudio wednesdayでは、
瀬川先生によるKEFのModel 303の組合せを鳴らす。

プリメインアンプはサンスイのAU-D607、
アナログプレーヤーはテクニクスSL01、カートリッジはデンオンのDL103Dという組合せである。
これまでに書いてきているように、ステレオサウンド 56号での組合せが元になっている。

56号での瀬川先生の記事中にはないが、
瀬川先生ならば、
この組合せでのヘッドシェルはオーディオクラフトのAS4PLを使われた、と確信している。

56号(1980年)のころ、まだCDは登場していなかった。
アナログプレーヤー全盛時代だけに、
ヘッドシェルも各社からさまざまなモデルが市場にあった。

AS4PLは、当時4,300円だった。
ヘッドシェルの価格としては、激戦の価格帯にあった。
飛び抜けて高価なわけではなかったし、特に安価なわけでもなかった。

この価格ならば、当時高校生だった私にもなんとか買えた。
瀬川先生が、熊本のオーディオ店で定期的に行われていた試聴会で、
カートリッジをいくつもの持ってこられたことがあった。

その時も、AS4PLだったし、AS4PLをすすめられていた。
なので、他のヘッドシェルには見向きもせず、AS4PLを使っていた。

AS4PLが、今回の組合せで最後になった。
これが意外にも、というか、当然とでもいおうか、
ヤフオク!でみかけても、当時の定価よりも高い。

故障するわけでもないし、落札する側にとっても特にリスクはないわけだから、
値崩れしない理由はわからなくはない。

でも、意外に高いな、と思いながら、落札せずにいた。
とはいえ、10月に鳴らすことが決ったわけだから、なんとかしなければならない。

現行製品のヘッドシェルも見渡したけれど、
やっぱりオーディオクラフトの、AS4PL以降のヘッドシェルにしたい、という気持は、
弱まるどころか、むしろ強くなっていく。

結局、AS12Kを、当時の価格とほぼ同じで落札した。

Date: 9月 14th, 2019
Cate: アクセサリー

トーンアームリフターのこと(その2)

当時、どういうアームリフターがあったのかというと、
空気圧式、オイルダンプ式、ギア式などがあった。

空気圧式では、オーディオテクニカのAT6005(3,500円)があった。
操作レバーとリフター本体が分離しているため、
既製品のプレーヤーに取り付けるというよりも、
キャビネットを自作する人向きといえる製品だった。

ギア式ではダイナベクターのDV3A(14,000円)とデッカのDeccalift(15,000円)があった。
オイルダンプ式はデンオンのAL1(2,500円)、
グレースのAD2(3,250円)AD2B(3,750円)AD3B(8,000円)、
スペックスのAL2(2,800円)などがあった。

瀬川先生の影響、それに若さゆえということもあって、
アームリフターは使わずにきたから、
これらを使ったことはまったくない。

なのではっきりとしたことはいえないが、
それでもこれらの製品は、レバー操作をすれば、すぐに針はレコード盤面に降りる。

レバー操作をして、ある一定時間が経過して針が降りていくという製品はなかったはずだ。

いま考えれば、不思議なことのようにも思う。
黒田先生と同じように、デュアルの1219の黄金の二十秒を欲しい、
と思っていた人は多かったのではないか。

誰もがリスニングポイントから手が届く位置にプレーヤーを置いていたわけではない。
数歩歩いたところに置いていた人も多かったはすだ。

そうなると、レコード盤に針を降ろしたらすぐさまリスニングポイントまで戻らなければならない。
イスに座る前に、音楽が鳴ってきてしまっては、
スピーカーからの音(音楽)をまちかまえることはできなくなる。

単体のアームリフターに、針がレコード盤面に降りるまで時間を設定できる機能は、
なぜなかったのか、誰も考えなかったのか、誰も欲しなかったのか。

瀬川先生は20秒は長すぎる、と感じられた。
私も20秒は長い、と思うだろう。

1秒刻みで時間を設定できる必要はないと思うが、
たとえば5秒刻みで、操作即針が降りるという、いわゆる0秒、
次に5秒後に、10秒後に、15秒後に、20秒後にというように五段階か、
7秒刻み、10秒刻みでの四段階、三段階の設定ができてもよかったはずだ。

Date: 9月 13th, 2019
Cate: アクセサリー
1 msg

トーンアームリフターのこと(その1)

黒田先生は、デュアルのプレーヤー1219について書かれている。
     *
 ついでながら書いておくが、今はデュアル一二一九というプレーヤーをつかっている。このプレーヤーの最大の利点は、スイッチをONにしてから、音が出るまで、約二十秒かかること、だ。手動式のプレーヤーだと、針を盤面におろすと、すぐに音が出てきてしまう。当然、あわてて、椅子に腰かけなければならない。しかし二十秒あれば、かなり余裕がある。椅子にすわる前にタタタターンとはじまってしまうと、演奏会の開演におくれそうになって、息せききってかけこんで、暗くなりだした会場で席をさがしたりする時の、あのあわただしさをどうしても感じてしまう。たったの二十秒だが、この二十秒のおかげであわてないですむとなれば、黄金の二十秒である。その間に、椅子の上にすわりこみ、おもむろにスコアのページをひらいて待っていられる。
(「闇の中で光を聴き、光の中で闇を聴くたくましさがほしい」より)

 耳をそばだててきく気持はもともとなかった。だから、ごく無造作にレコードをターンテーブルにのせて、いつものようにプレーヤーのスタートスイッチをいれて、椅子に腰をおろした。つかっているプレーヤーは、デュアルの1219だが、このプレーヤーのいいところは、自分で針を盤面におろさなくとも、スタートにしておけば自動的にかかることだ。いかにもあたりまえのことをよろこんでいると思われそうだが、スタートスイッチをいれてから音がでるまで、ほぼ二〇秒かかる。その二〇秒が、ひどく貴重に思える。二〇秒あれば、そんなにあわてずとも、椅子にかけて出てくる音をまちかまえられる。
 このデュアルの前は、パイオニアのモーターとグレースのアームの組合せできいていた。その頃は、針をおろしてから音が出るまでの時間があまりなくて、なんとなくあわただしい気持になった。しかし、だからデュアルにかえたのではなくて、一度オートチェンジャーというものを使ってみたいというひどく子供っぽい好奇心が、デュアルをえらばせたようだった。四年か五年も前のことになるだろうか。そして、使ってみた結果、そこで可能な黄金の二〇秒に気づいたというのが、正直なところだ。まさにそれは黄金の二〇秒というにふさわしいもので、みじかすぎず、長すぎず、本当にグッドタイミングに音がでてくる。
(「My Funny Equipments, My Late Friends」より)
     *
約一年のあいだに二回書かれているのだから、
かなりデュアルのプレーヤーの「黄金の二十秒」が気に入っておられたのだろう。

瀬川先生は、というと、「黄金の二十秒」ががまんできない、とされていた。
人それぞれである。

私も以前は、瀬川先生と同じだった。
プレーヤーは、坐っているところから手を伸ばせば届く位置に置く。
マニュアルで針を降し、アンプのボリュウムをあげる──、
それがスムーズにできて一人前と考えていた。

プレーヤー付属、トーンアームの付属のアームリフターはまどろっこしい。
なので、アナログディスク、アナログプレーヤー全盛時代にあった、
アクセサリーとして発売されていたリフターにはほとんど興味がなかった。

けれど、ここに来て少し考えが変ってきた、というか、
リフターについて考えるようにもなってきて、ひとつ気づいたことがある。

Date: 9月 13th, 2019
Cate: 選択

オーディオ機器との出逢い(その8)

その3)で、モノがモノを呼び寄せる、と書いた。

別項で、KEFのModel 303の組合せについて書いている。
アナログプレーヤー、プリメインアンプ、スピーカーシステムが揃った。
すべてヤフオク!で、当時の価格からは考えられないほどの少ない予算で集められた。

集められた、としたが、集まってきた、という感じもしている。

KEFのModel 303の組合せは、何度も書いているように、
ステレオサウンド 56号に載っていた瀬川先生による組合せである。

303を偶然、ヤフオク!で見つけたのがきっかけだった。
その時は、すべてを揃えようという気はほとんどなかった。

誰も入札しないModel 303がなんだか哀れにも思えて、
この開始価格で購入できるのならば、いいや──、
そんな軽い気持からの入札だった。

その次がヤマハのカセットデッキK1dである。
audio wednesdayでカセットデッキ、カセットテープの音をひさしぶりに聴いて、
とりあえず一台カセットデッキが欲しい、
これも軽い気持から、ヤフオク!を眺めて見つけたのだった。

本音をいえば、ブラックではなくシルバーパネルのK1dが欲しかった。
シルバーのK1dが出品されるのを待つということも考えたが、
それがいつになるのか、程度はどうなのか、価格は? そんなことを考えても、
正確に予測できる人なんていないだろう。

いま、目の前に登場してきたK1dでいいじゃないか、
それに本気でカセットテープの音を聴くわけでもないし、
ブラックのK1dは安価で出品されていた。

その次がサンスイのプリメインアンプAU-D607、そしてテクニクスのプレーヤーSL01が来る。
すべてブラックである。

アンプ、プレーヤーが揃って、K1dがブラックでよかった、と思い始めた。
ヤフオク!は、運任せのところもある。

だからモノがモノを呼び寄せるんだな、と改めて実感しているし、
色が色を呼び寄せるんだな、とも感じている。

Date: 9月 12th, 2019
Cate: デザイン, 川崎和男

WAVELET RESPECT Carbon Fiber(その1)

福井にマルイチセーリングという会社がある。
創立70周年記念新作発表会が、六本木のAXISで行われた。

川崎先生によるWAVELET RESPECTが、その新作である。
カーボンファイバーによるイス+ソファーである。

WAVELET RESPECTを真横からとらえたシルエットは、
川崎先生による「プラトンのオルゴール」のシルエットと重なる。

それにどことなくNeXTのCubeのようにも思えてくる。

川崎先生はオーディオマニアだ。
だから、今回、カーボンファイバーによるイスの新作ときいて、
買える買えないは別として(かなり高価なはずだ)、
リスニングルームに置きたくなるに決っている──、
そう思っていた。

触ってきたし、坐ってもきた。
いいと感じた。

けれど、私はどうしてもオーディオマニアである。
買える買えないは別として、WAVELET RESPECTをリスニングルームに置くか、となったら、
現時点ではためらう点がある。

たまたま私が坐ったのがそうだったのか、
組立て精度に関係してくる点が一つ、
そして構造的なところに関係してくる点が一つあった。

川崎先生はオーディオマニアである。
だから、私が気づいた点も気づかれているはず。

Date: 9月 12th, 2019
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その5)

数日前、facebookを眺めていたら、グラハムオーディオのfacebookのページに、
BBCモニターLS5/5の写真が公開されていた。

四ヵ月前に公開された写真とは違い、ぐっとスピーカーに寄ったものであり、
前回の写真ではなんともはっきりしなかったところも、今回の写真はきちんとは伝えてくれる。

トゥイーターは、やはり復刻版のLS5/8やLS5/9に採用されているものと同じに見える。
HF1300と外観的にもかなり違うトゥイーターではあっても、
ロジャースのPM510やLS5/8に採用されていたオーダックス製のトゥイーターによく似た感じだ。

コーン型のウーファーとスコーカーは、ベクストレンの振動板のようだ。
それからエンクロージュアのプロポーションが、奥にかなり長い。

オリジナルのLS5/5は聴いていない。
聴いていないからこそ、今回のグラハムオーディオによる復刻は、
これはこれでいいんじゃないか、と、かなり魅力的に思えてくる。

オーディオマニアとして、音に対して強くありたい、とは常々おもっている。
それでも、今回のLS5/5のようなスピーカーの報せをみると、そのへんがぐらぐらとしてしまう。

Date: 9月 11th, 2019
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるバルバラ(その1)

昨年7月に「MQAで聴けるグラシェラ・スサーナ」を書いた。

MQA-CDでグラシェラ・スサーナが聴ける日が来る、とは、夢にも思っていなかったから、
発売リストにグラシェラ・スサーナの名前を見つけた時には、
ひとりガッツポーズをしたくらいだ。

今年10月に、またユニバーサルミュージックからMQA-CDが発売になる。
そこに、バルバラの名前があった。

またひとりガッツポーズをしてしまった。

Date: 9月 11th, 2019
Cate: 日本の音

日本の音、日本のオーディオ(その39)

(その38)へのコメントが、facebookであった。

いま国産のスピーカーの代表といえるTADだが、とても攻撃的ではないか、
そう書いてあった。

ここでのTADが、現行製品のすべてを指しているのか、
それともTADのスピーカーシステムのひとつ、もしくはいくつかなのかははっきりしないし、
過去のTADのスピーカーも含めてのことなのか、そのへんははっきりとしない。

現行製品のTADのスピーカーシステムの音が攻撃的とは感じていないが、
そう感じる人がいても不思議ではない、とも思っている。

コメントをくださった方は、これまでにも何度かコメントをくださっていて、
ブリティッシュサウンドに魅了されている方のようである。

ここでのブリティッシュサウンドも、いま現在のそれではなく、
セレッションのDitton 25を気に入られていることからもわかるように、
佳き時代のブリティッシュサウンドのはずだ。

そういう方からすれば、TADは攻撃的と感じられるかもしれない、と思いつつも、
TADの小型スピーカーTAD-ME1を聴かれているのだろうか、とも思う。

オーディオショウで鳴っていたTAD-ME1を聴いて、意外だった。
これまでのTADのスピーカーの音を、どうしても先入観としてもってしまう。

そういう耳で聴いてもなお、TAD-ME1の音は、こちらを驚かせた。
TADも、ついに、こういう音を鳴らせるようになったのか、
そんなおもいだけでなく、この音ならば、ずっと聴いていたい、とも思っていた。

TAD-ME1には、それまでのTADのスピーカーの音にはなかった響きが感じられた。
響きと表現してしまうと、勘違いする人もいると思う。

スピーカーの付帯音を響きと解釈する人は、そう受けとってしまうことだろう。

それに音場感をきちんと出せれば……、という人もいるだろう。
けれど、音場感を出していても、そこに響きを感じられるかどうかは、
また別の問題であり、
ここのところは、クラシックをずっと聴いてきた聴き手ならば、
なんとなくではあっても理解してくれるだろうが、
そうでない聴き手にとっては、なかなか理解し難いことなのかもしれない。

それでも、やはりオーディオショウで初めてTAD-ME1を聴いた友人たちも、
数人だけではあるが、みな驚いていた。
いいスピーカーだ、と評価していた。

また横路にそれている、と思われるだろうが、
この「響き」をうまく出せるかどうかは、これから書いていくことに深く関係してくる。

Date: 9月 10th, 2019
Cate: 日本の音

日本の音、日本のオーディオ(その38)

その37)で、四つのマトリクスがある、と書いた。
アクティヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択、
アクティヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択。

この四つのマトリクスが考えられる。

アクティヴに似た言葉にアグレッシヴがある。

ステレオサウンド 36号に瀬川先生の「実感的スピーカー論 現代スピーカーを展望する」が載っている。
     *
 日本のスピーカーの音には、いままで述べてきたような特色がない、と言われてきた。そこが日本のスピーカーの良さだ、という人もある。たしかに、少なくとも西欧の音楽に対してはまだ伝統というほどのものさえ持たない日本人の耳では、ただひたすら正確に音を再現するスピーカーを作ることが最も確かな道であるのかもしれない。
 けれどほんとうに、日本のスピーカーが最も無色であるのか。そして、西欧各国のスピーカーは、それぞれに特色を出そうとして、音を作っているのか……? わたくしは、そうではない、と思う。
 自分の体臭は自分には判らない。自分の家に独特の匂いがあるとは日常あまり意識していないが、他人の家を訪問すると、その家独特の匂いがそれぞれあることに気づく。だとすると、日本のスピーカーにもしも日本独特の音色があったとしても、そのことに最も気づかないのが日本人自身ではないのか?
 その通りであることを証明するためには、西欧のスピーカーを私たち日本人が聴いて特色を感じると同じように、日本のスピーカーを西欧の人間に聴かせてみるとよい。が、幸いにもわたくし自身が、三人の西欧人の意見をご紹介することができる。
 まず、ニューヨークに所在するオーディオ業界誌、〝ハイファイ・トレイド・ニュウズ〟の副社長ネルソンの話から始めよう。彼は日本にもたびたび来ているし、オーディオや音楽にも詳しい。その彼がニューヨークの事務所で次のような話をしてくれた。
「私が初めて日本の音楽(伝統音楽)を耳にしたとき、何とカン高い音色だろうかと思った。ところがその後日本のスピーカーを聴くと、どれもみな、日本の音楽と同じようにカン高く私には聴こえる。こういう音は、日本の音楽を鳴らすにはよいかもしれないが、西欧の音楽を鳴らそうとするのなら、もっと検討することが必要だと思う。」
 私たち日本人は、歌舞伎の下座の音楽や、清元、常盤津、長唄あるいは歌謡曲・艶歌の類を、別段カン高いなどとは感じないで日常耳にしているはずだ。するとネルソンの言うカン高いという感覚は、たとえば我々が支那の音楽を聴くとき感じるあのカン高い鼻にかかったような感じを指すのではないかと、わたくしには思える。
 しかし、わたくしは先にアメリカ東海岸の人間の感覚を説明した。ハイの延びた音を〝ノーマル〟と感じない彼らの耳がそう聴いたからといっても、それは日本のスピーカーを説明したことにならないのではないか──。
 そう。わたくしも、次に紹介するイギリスKEFの社長、レイモンド・クックの意見を聞くまでは、そう思いかけていた。クックもしかし、同じようなことを言うのである。
「日本のスピーカーの音をひと言でいうと、アグレッシヴ(攻撃的)だと思います。それに音のバランスから言っても、日本のスピーカー・エンジニアは、日本の伝統音楽を聴く耳でスピーカーの音を仕上げているのではないでしょうか。彼らはもっと西欧の音楽に接しないといけませんね。」
 もう一人のイギリス人、タンノイの重役であるリヴィングストンもクックと殆ど同じことを言った。
 彼らが口を揃えて同じことを言うのだから、結局これが、西欧人の耳に聴こえる日本のスピーカーの独特の音色だと認めざるをえなくなる。ご参考までにつけ加えるなら、世界各国、どこ国のどのメーカーのエンジニアとディスカッションしてみても、彼らの誰もがみな、『スピーカーが勝手な音色を作るべきではない。スピーカーの音は、できるかぎりプログラムソースに忠実であり、ナマの音をほうふつとさせる音で鳴るべきであり、我社の製品はその理想に近づきつつある……』という意味のことを言う。実際の製品の音色の多彩さを耳にすれば、まるで冗談をいっているとしか思えないほどだ。しかし、日本のスピーカーが最も無色に近いと思っているのは我々日本人だけで、西欧人の耳にはやっぱり個性の強い音色に聴こえているという事実を知れば、そして自分の匂いは自分には判らないという先の例えを思い出して頂ければ、わたくしの説明がわかって頂けるだろう。
     *
ステレオサウンドが出しているムック「良い音とは 良いスピーカーとは?」にも収められている。
興味をもった方は、ぜひ全文を読んでほしい。

36号は1975年秋号である。
40年以上前のことである。

アグレッシヴな音だったのは、そのころの日本のスピーカーだろう──、
そう思う人もいよう。
けれどその約十年後の1980年代の598のスピーカーの音も、
よほどうまく鳴らさない限りアグレッシヴであった。

そのアグレッシヴな音を、高解像度だとかハイスピードだとか、
そんなふうに勘違いしている人もいるようだが……。

Date: 9月 9th, 2019
Cate: デザイン, 世代

世代とオーディオ(とデザイン)

ソニーがIFA2019で、SA-Z1を発表している。
ニアフィールド用のアクティヴ型スピーカーシステムである。

どういう製品なのかは、PHILE WEBAV Watchの記事をお読みいただきたい。

面白そうだな、と思うと同時に、なぜ? とも思っていた。
SA-Z1の写真を見ていると、どうにもブラウン管型のテレビを連想してしまう。

写真のアングルにもよるが、ブラウン管型のテレビ、
それも後側から眺めているような形が、なぜ? につながってしまう。

もう勝手な想像でしかないのだが、
SA-Z1をデザインした人は、テレビといえば液晶の薄型しか知らない世代なのか、と思う。
だから、こういう形にしても、なんとも思わないのか。

それとも、まったく逆なのか。
SA-Z1のデザイナーは、私と同じくらいの世代なのだろうか。
テレビといえば、ブラウン管型。
そういう人が、あえて、こういう形に仕上げたのか。

発売は2020年春(欧州において)。
それまでにデザインは変更されるのか、このまま登場するのか(その可能性は高い)。

Date: 9月 9th, 2019
Cate: ロマン

MOMENTと昭和男のロマンか(その2)

手塚治虫のブラックジャックは、掲載誌・少年チャンピオンを毎号買って読んでいた。

1973年からの連載開始だから、10歳の時から読んでいる。
二週にわたっての回もあったが、
ほとんどが一話完結であり、掲載誌が少年誌ということもあって、
10歳の小学生が読んでも面白かった。

少年チャンピオンで読み、単行本も買っては、また読んでいた。
何度も読み返した。
なので、ほとんどの話は、冒頭の二、三ページ読めば、思い出せる。
どういう最後なのかも思い出せる。

ブラック・ジャックは、成人してからも何度か読んでいる。
一年ほど前にも読み返している。

これだけ何度も読んでいるのだから、もう感動することはない──、
そんなことはまったくなく、むしろ逆である。

小学生のころは、さらっと読んだだけでわかったつもりになっていた。
十分楽しんだつもりでいた。

けれど、いま読み返すと、小学生のころ、さほど感動しなかった話が、
重みをまして、読み手のこちらに迫ってくる。

子供向けのマンガだから──、という手抜きはない。
それでもブラック・ジャックは、いまどきのマンガと比較すると、
一見、絵も話も単純なようにみえなくもない。
細部にこだわりぬいたマンガではない。

いまどきのマンガになれてしまった読み手には、どことなくものたりないのかもしれないが、
そうみえるだけである。

大人になって、いい歳になって……、といわれるような年齢になっても読み返している。
ブラック・ジャックに感じているのと同じものを、
9月のaudio wednesdayは感じていた。

Date: 9月 8th, 2019
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その9)

別項「ある写真とおもったこと(その12)」で、
録音された音楽の共通体験ということでは、
CD、CDプレーヤー以上に、一歩も二歩も押し進め、活かしたのがiPodだ、と書いた。

iPodといっても、かなり世代を重ねているし、ヴァリエーションもある。
それに、いまではiPodではなくiPhoneにとって代られている。

iPodといっても,そこに音の違いがまったくないわけではないし、
付属のイヤフォンにしても変ってきているし、
同時代のイヤフォンにしても、製造工場が複数あって、
音が同じというわけではない、というウワサもきいている。

CDをリッピングしてiPodで聴く。
すべてが同じ音で鳴っているわけではないが、
それでもアナログディスクをアナログプレーヤーで再生した音の違いの大きさからすれば、
ほとんどないものということだってできる。

つまりiPodは、CDとCDプレーヤーの登場によってスペックの画一化されたのを、
音のうえでも画一化していった、といえる。

CDプレーヤーは、スペックは基本的に同じでも、
ローコストの製品と最高性能をめざした製品とでは、音は大きく違う。

しかもCDプレーヤーの先には、アンプがあり、スピーカーがあり、
部屋の違い、鳴らし手の違いなどがあり、実際に鳴ってくる音は、
元のスペックが同じとは思えぬほどの違いを聴かせるのも事実である。

iPodは、そこが違う。
それを意図していたのかそうでないのかはわからないが、結果としてそう見える。
しかもiPodと付属のイヤフォンの普及は、
CDとCDプレーヤーが成し遂げられなかった(あえてこう書いている)領域で、
画一化といえるほどの音楽の共通体験を、ほぼ実現している。

このことは、ものすごいことであり、
だからこそ、その画一化(抑圧)から逃れたい、と思う(願う)人が出てくる。

いまのヘッドフォン、イヤフォンのブームの根っこは、
そのへんにあるようにも感じている。