カラヤンと4343と日本人(その10)
(その9)を書いたのは、7月1日。
audio wednesday当日の昼間に書いている。
書いたあとに、喫茶茶会記でコーネッタを鳴らしたわけだ。
鳴らして、その音を聴いて感じたこと、感じたことなどを書いている途中であり、
書いていて気づいたことがある。
ここでのテーマ「カラヤンと4343と日本人」は、
私にとって非常に興味深いテーマであるだけでなく、
なにがしかの結論がまったく見えていない状態で書き始めた。
たいていのテーマは、ぼんやりとだったり、
はっきりとだったりという違いはあるにしても、結論が見えていたり感じられていたりする。
つまり、その結論に向って書きながら筋道を立てている感じでもある。
けれど、ここもそうだが、いくつかのテーマは、書きながら結論を感じよう、見つけようとしている。
だから、手がかり、鍵となることを見つけようともしているところがある。
コーネッタについて、ここまで書いてきていて、ふと気づいた。
「カラヤンと4343と日本人」の、
いわば裏テーマ(裏タイトル)を考えてみる、ということである。
「○○とタンノイと日本人」というテーマ(タイトル)である。
○○のところに、どの演奏家をもってくるのか。
フルトヴェングラーの名前がまっさきに浮んだ。
「フルトヴェングラーとタンノイと日本人」である。
ただ「カラヤンと4343と日本人」では、
4343は、ブランドではなくスピーカーシステムの型番である。
ならば「フルトヴェングラーとオートグラフと日本人」とすべきなのか。
4343とオートグラフでは時代が違う。
同時代のタンノイといえば、アーデンとなるが、
4343とアーデンでは……、と思うところもあるし、
アーデンとなるとフルトヴェングラーではなく、ほかの演奏家か……、とも思う。
まだ考えているところであるが、
裏テーマ(裏タイトル)といえるものが、びしっと決れば、
結論へと一歩近づける予感だけはしている。