虚構を継ぐ者(その3)
後継者たらん、とこころがけている人がいる。
本人がそう思っているのか、そうでないのかは、
本心のところでは他者にはわからないことだろうし、
本人すら、曖昧なところを残しているのかもしれない。
それでも、第三者の目に、
あの人は、○○さんの後継者たらん、としているとうつることがある。
たとえばステレオサウンド 214号に、
「五味康祐先生 没後40年に寄せて」という記事が載った。
五月女 実氏の文章である。
五月女 実氏は、ずっと以前にも五味先生について書かれた文章が、
ステレオサウンドに載っている。
その時にも感じたことだし、214号の文章ではさらに強く感じたことが、
五月女 実氏は、五味先生の後継者たらん、としている、ということだ。
本人は、そんなことはない、といわれるかもしれないし、
そうだ、といわれるかもしれない。
面識はないので、どちらなのかはわからないが、そんなことはどうでもいいわけで、
五月女 実氏の文章を読んでいると、こちらはそう感じた、ということだ。
けれど、しばらくしておもったのは、後継者たらん、ではなく、
五味康祐たらん、ではないのか、だった。
五月女 実氏の本心がどうなのかは、私にはまったくわからない。
でも、五味先生の後継者たらんと五味康祐たらん、とでは、
同じようではあっても、違う。