Archive for category 歌

Date: 6月 4th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その15)

(その13)で引用しているように、
H氏はCN191にリボン型トゥイーターを加えることを考えられていた。

このリボン型トゥイーターはパイオニアのPT-R7ではなく、
おそらくピラミッドのT1のはずだ。
CN191は100dBをこえる能率のスピーカーだから、T1も、より高能率のT1Hであろう。

T1ならば、CN191とうまくつながるかもしれない、と当時読みながらそう思っていた。
T1の音もCN191の音も聴いてはいなかった。
それでも、そんなふうに思っていた。

56号で瀬川先生が挙げられていたのは、アルテックのA7ではなくA7Xである。
アルテックは、JBLが3ウェイ、4ウェイとマルチウェイ化をすすめていくのに対し、
2ウェイにこだわっていた。

A7Xはドライバーをタンジェリンフェイズプラグ採用802-8Gにしたモデル。
2ウェイのまま、3ウェイなみとまではいかなくとも高域レンジをのばしている。
A7XにはA7XSというモデルも後に登場した。
このころからアルテックもマルチウェイ化へと走る。

A7XSとはA7にホーン型トゥイーターを加えたモノで、
アルテックからトゥイーターといえば3000Hくらいしかなかったころで、
A7XSのトゥイーターも、ほぼ間違いなく日本製のはすだ。

604-8Hを中心とした4ウェイの6041のトゥイーターはコーラル製だった。
ということは、A7XSのそれもコーラル製の可能性は高い。

A7XSの音はどうだったのだろうか。
聴く機会はなかった。
喫茶茶会記のアルテックも、グッドマンのドーム型トゥイーターが加えられている。
これは、渋谷にあったジャズ喫茶・音楽館のシステムを譲り受けてだからである。

このグッドマンのトゥイーター、お世辞にも優れているとはいえない。
それでもあるとなしの音を聴くと、3ウェイにしたことのメリットは感じられる。
ただいかせんトゥイーターの質があまりよくないから、
あのトゥイーターだったら……、と考えたりもする。

つまりはBiton Majorにトゥイーターを加えるなら……、
ということを考えているわけだが、
その一方で、日本語の歌すべてが喫茶茶会記のアルテックでうまく鳴っていたわけではない、
そのことについても考えている。

Date: 6月 4th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その14)

Biton Majorのオリジナルを聴く機会は、ほとんどないだろう。
そんな気がしている。

ヴァイタヴォックスは復活している。
そのことは別項に書いている。
とはいえ、価格は相当なものである。
CN191はあるが、Biton Majorはない。

そうだろうな、とは思える。
Biton Majorは、やはりあまり売れなかった(人気もなかった)のだろう。

Biton Majorを手に入れた人にとっては、そんなことはどうでもいい。
ヴァイタヴォックスでなければ聴けぬ陰翳ある音色に惚れ込んでいれば、
手離すこともないのだろう。

ヴァイタヴォックスの音は、ますます貴重となっていくのではないか。
往年のアルテックの音もそうだ。

そういう音が、いま私の心をとらえている。
しかも日本語の歌を聴きたいがために、である。

復刻されたヴァイタヴォックスは高価だが、
ユニットも単体で販売されているし、スペアパーツの提供もなされている。
ウーファーのコーン紙、ドライバーのダイアフラムも新品が入手できる。
ならば……、とあれこれ妄想してしまう。

Date: 6月 4th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その13)

ステレオサウンド 51号の「オーディオ巡礼」の最後には、こうある。
     *
 大事なことなので言っておきたいが、H邸のクリプッシュホーンも拙宅のオートグラフも、オリジナル・エンクロージァなので、そうでなければ断じて出ないソノリティというものがある。ハーモニィの陰翳とでも言うほかないこの音のニュアンスは、かなり使いこまねば出てこない。金にあかせ、名器の評判の大型スピーカーやアンプを揃えたところで、それだけでは音楽でなく、特性のいい音しか聴こえないだろう。特性のいい音は、たとえば弦のユニゾンがシンセサイザーの音に化す。周波数レンジがのびるほどシンセサイザー的にきこえる。だが弦のユニゾンはあの飴色をしたヴァイオリンを馬の尻尾で鳴らした音の総合なので、断じてシンセサイザーの響かせる音ではない。その辺のちがいのわからぬ手合いが、大金を投じて馬鹿でかいアンプやスピーカーを購入して足れりとしたり、物理特性がよければそれで音がいいと思っている。そういう人には多分、クリプッシュホーンはレンジのせまい音としか聴こえないだろう。だが何という調和のとれた、私には美しい音だったろう。
 H氏は、じつはまだ音が不満で、何故なら古い録音のレコードなら良いのだが、多チャンネルで収録した最新録音盤では、高域の輝きに欠けるし、測定データをとってみてもクリプッシュホーンは340ヘルツあたりで10デシベルちかく落ちこんでいる。このためチェロが玲瓏たる音をきかせてくれないので、高域にはリボン・トゥイーターを加え、340ヘルツあたりも何とか工夫したいと言う。このオーディオの道ばかりは際限のない、どうかするとドロ沼におち込む世界だ、それは私も知っているが、特性を追いすぎるとシンセサイザーになるのを危惧して、夫人に「いじらせないように」と言ったわけである。もっとも、私を送ってくれる車中で彼はこう言った。「どれほど優秀なシステムでも、今は、オリジナルにどこかユーザーが手を加えねば、マルチ・チャンネル方式で録音される現在のオーディオサウンドを十全には再生できない。どこにどう手を加えるかがリスナーの勝負どころだろうと思うんです。オリジナルをいじるというのは邪道かもしれないし、本当はたいへんむつかしいことでしょう、しかしうまくそれがなし得たとき、はじめて、その装置は自分のものになったといえるんじゃないですか」そうかも知れない、私もそれは感じていることだが、まあそういうものが完成したら又きかせてもらいましょう、と言った。内心では、家庭で音楽を鑑賞するためのオーディオなら、今の音で十分ではないか、とやっぱり思っていた。
     *
五味先生が訪問されたH氏(ステレオサウンドの原田勲氏)は、
このときヴァイタヴォックスのCN191 Corner Hornを鳴らされていた。

いまもそうだが当時も輸入元は今井商事で、
CN191もそうだがBiton Majorも国産エンクロージュアのモデルも併売していた。

CN191は796,000円だったが、国産エンクロージュア仕様だと606,000円、
Biton Majorは536,000円が、国産エンクロージュア仕様だと400,000円になる。
その他にも、インペリアルからBiton Majorのエンクロージュアが125,000円、
CN191のエンクロージュアが350,000円で発売されていた。

ヴァイタヴォックスのオリジナル・エンクロージュアも単体で販売されていた。
CN191が540,000円、Biton Majorが144,000円である(価格はいずれも一本)。

CN191の中古を何度かみかけたことがある。
国産エンクロージュアだったことが二度あった。
Biton Majorはみかけたことがない。

CN191の陰にかくれて人気がなかったのだろうか。
記憶に間違いなければ、三井啓氏がBiton Majorだったはずだ。

Date: 6月 2nd, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その12)

ヴァイタヴォックスのスピーカーシステムといえば、
わが国ではCN191 Corner Hornがもっとも知られる存在である。

CN191の上にBass Binというモデルもあったが、こちらは完全な劇場用であり、
家庭でこのモデルを鳴らしている人は、ほとんどいないと思われる。

CN191の他に、もうひとつBiton Majorがあった。
CN191の陰にかくれがちなこのスピーカーは、
アルテックのMagnificentと同じ構成である。

Magnificentには、もうひとつ型番があってA7-500W-1ともいう。
A7がついていることからもわかるように、基本的には劇場用のA7をベースに、
家庭用に仕上げ直したモデルである。

エンクロージュアの基本は、828である。
フロントショートホーン付きのエンクロージュアを、A7の使用方法とは上下逆に使う。
フロントショートホーンが下部にくる。
エンクロージュアの上部に乗っていたホーンとドライバーを、開口部に持ってくる。
仕上げも素っ気ないA7とは対照的にウォールナット仕上げで、格子グリルを備える。

Biton Majorもそうである。
こちらには格子グリルはつかないが、エンクロージュアの構成、使い方もMagnificentと同じである。

ステレオサウンド 43号で、このスピーカーの存在を知った。
     *
ヴァイタヴォックスの音をひと口でいえば、アルテックの英国版。要するにアルテックの朗々と響きの豊かで暖かい、しかしアメリカ流にやや身振りの大きな音を、イギリス風に渋く地味に包み込んだという感じ。A7−500−8のレンジをもう少し広げて、繊細感と渋味の加わった音がバイトーン・メイジャー。
     *
でも、このころはCN191のほうに目が行ってしまっていた。

Date: 6月 2nd, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その11)

こういうふうに鳴ってくれるのであれば、アルテックで聴く日本語の歌はいい──、
そう思いながらも、欲深いのか、これがヴァイタヴォックスならば……、と思ってしまう。

日本語の歌といっても、
私の場合、グラシェラ・スサーナによる日本語の歌といいかえてもいいくらいに、
他の歌手による日本語の歌のディスクはそれほど持っていない。
しかも男性歌手よりも女性歌手の方が多く、
いうまでもなくグラシェラ・スサーナも女性である。

だから、ヴァイタヴォックスならば……、と思ってしまうわけだ。
久しく聴いていない、英国のアルテック的スピーカーともいえるヴァイタヴォックスのことをおもう。

ヴァイタヴォックスならば、もっとしんみりと鳴ってくれるのではないか、
ヴァイタヴォックスならば、もっと気品ある声で鳴ってくれそうである、とか、
ヴァイタヴォックスならば……、そんなことをつい思ってしまう。

ヴァイタヴォックスの音は、何度か聴く機会があった。
いいスピーカーである。
でも、一度も日本語の歌をヴァイタヴォックスで聴きたいと思ったことはなかった。
それは、どこかアルテックで聴きたいと思わなかったことと近いのかもしれない。

それが、いま無性にヴァイタヴォックスでグラシェラ・スサーナの歌を聴いてみたい、と思っている。
アルテックで聴いたからである。

Date: 6月 2nd, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その10)

もうひとつ思い出していたことがある。
美空ひばりとアルテックについて、である。

ナロウレンジ考(その16)」と(その15)に書いていることである。

瀬川先生が、銀座の日本楽器でアルテックのA4から突如として鳴ってきた美空ひばりの歌、
その音について書かれているのが(その16)、
美空ひばり自身が、アルテックのA7から鳴ってきた自身の歌をきいて、
「このスピーカーから私の声がしている」がいったというエピソード。

美空ひばりを演歌歌手という人もいるのには少々驚くが、
歌謡曲といってしまうのも少々抵抗感があるし、
そういうことに拘らずに、日本語の歌をうたってきた歌手という認識でいいとおもう。

美空ひばりの日本語の歌は、多くのJ-POPでうたわれる日本語の歌とは違う。
昔からの日本語の歌をきかせてくれる。

その美空ひばりをアルテックが、うまく鳴らすという事実。
ずっと以前から、その事実はある。

たった二例をもってして、事実と言い切るのか、と問われれば、
そうだ、と答えたくなるほど、
アルテックで聴くグラシェラ・スサーナの日本語の歌はよかった。

この時のシステムのセッティングにかけた時間は30分ほどであるから、
まだまだこまかな不備は感じられたけれど、大事なところはきちんと鳴っていた。
おそらく日本のスピーカーで聴くよりも、
ずっと日本人の気持を歌にのせて聴き手に伝えてくれる音であった。

このことをオーディオ的にとらえれば、
ヤマハNS5000の試作機が日本語の歌をまったく鳴らせられなかったことの裏返しでもあろう。

Date: 5月 28th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その9)

アルテックがまだ健在だった時代、
JBLのライバルでもあった時代、
いいかげんに鳴らした場合、JBLはじゃじゃ馬的になることが多々あったのに比べ、
そんな鳴らし方でもアルテックのスピーカーは、聴き手を困惑させるような音を出すことはなかった。

でも、そういう性格のためか、
たまたま私の周りがそうだっただけなのか、
アルテックを真剣に鳴らしている人(ところ)の音には縁がなかった。

不思議と縁はなかった。
けれど喫茶茶会記で音を出すようになってからは、
アルテック(トゥイーターはグッドマンのドーム型の3ウェイ)を、
毎月第一水曜日に鳴らしている。

そうしていれば、アルテックに対する、こちらの意識も少しずつ変化してきたようだ。
5月のaudio wednesdayへ行く前に、タワーレコードに寄った。
最近あまり寄らなくなったフロアー(J-POP、歌謡曲)を見ていた。

グラシェラ・スサーナの新譜が出ているわけではないが、ふと見たら、
ベスト盤が期間限定で通常の約半額で並んでいた。

LP時代のアルバムをそのままCDにしてほしいと思っていても、
発売されるのはベスト盤がほとんどで、そうなると収録曲の大半はダブってくる。

半額になっていたベスト盤は、そんな理由でもっていなかった。
ほんの数曲、初CD化なのだけれど手を出しはしなかった。
でも半額なら……、と買ってしまった。

audio wednesdayでも鳴らすつもりはなかった。
でも、なんとなく、その日はグラシェラ・スサーナがうまく鳴ってくれそうな気がした。
これまでにも日本語の歌の女性ヴォーカルは鳴らしてきている。

松田聖子、荒井由実、竹内まりや、宇多田ヒカルなどは鳴らしていた。
そこでの鳴り方を聴いても、グラシェラ・スサーナを鳴らしたい、
つまりは聴きたいとは思わなかったのに、この日は違った。

違っていたのは聴き手のこちら側の気持ちだけではなく、
アルテックの鳴り方違っていたようだ。

軽い気持だった、うまく鳴らなかったら、途中で鳴らすのをやめようくらいでいたにも関わらず、
鳴ってきた音は、グラシェラ・スサーナの声(「色」)だった。
違和感はまったくなかっただけでなく、
こんなに雰囲気よく日本語の歌を鳴らしてくれるのか、という驚きもあった。

不思議な気持ちになった。
瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれていることを頭のなかで反芻していた。

Date: 5月 27th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その8)

ヤマハNS5000の試作機が、日本語の歌をてんでうまく鳴らせなかった原因については、
私なりの仮説がある。
その分野に関して、まだまだ知識がたりないので断言はできないが、
最終的には日本語の「色」に関係してくることでもある。

つまりは日本語の「色」について考えた上での仮説である。
少なくとも私にとって試作機のNS5000は、
日本語の歌を聴きたいとは思わせない「色」のスピーカーだったし、
正式モデルになってからのNS5000は、特に聴きたいとは思えなくなってしまったスピーカーだ。

美しい日本語の歌を、日本のスピーカーはうまく鳴らしてくれないのか、と思う。
ダイヤトーンの2S350はうまく鳴らしてくれそうだが、
その後に登場した数多くのスピーカーのどれだけが日本語の歌を、
私が聴きたい音(「色」)で鳴らしてくれるであろうか。

私が聴きたいのはJ-POPと呼ばれる日本語の歌ではない。
歌謡曲といわれる日本語の歌を聴きたい。

もっといえば、もっと狭めていえば、
グラシェラ・スサーナによる日本語の歌を聴きたい。

ステレオサウンドにいたころ、数多くの日本製のスピーカーを聴いてきた。
一度として、グラシェラ・スサーナを、このスピーカーで! と思ったことはなかった。

そのころは、そのことに関して疑問も抱かなかったし、
深く考えることもしていなかった。

アルテックのスピーカーは、別の意味で日本語の歌を積極的に聴きたいとは思っていなかった。
604ならば、瀬川先生がエリカ・ケートについて書かれているのを読んでいるだけに、
いつの日か……とは思っているけれど、
A5、A7といった劇場用のスピーカーは、
しんみりと独りで聴きたいという雰囲気から遠く離れているふうに感じていたからだ。

それにいくつか聴いてきた、A7、A5と同じユニットによる自作スピーカーの音が、
いっそうそう思わせていたからだ。

Date: 5月 21st, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その7)

井上先生がフランスのスピーカー、キャバスを選ばれたのは、
日本語の「色」とフランス語の「色」が近いという理由からではない。

声の臨場感、生々しさ、それに定位をシビアに要求した場合に、
中高域を受け持つユニットの振動板が金属であれば、どうしても金属製の音は避けられない。
そこで高分子系のマイラー、フェノールの振動板のユニットをもつモノとして、
第一に選択されたのがロジャースのLS3/5Aで、
この延長線上でもう少しスケール感の出せるスピーカーとしてのBrigantinである。

このころの私にとってBrigantinは、JBLの4343以上に気になる存在だった。
JBLは地方の、少し大きなオーディオ店にはたいてい置いてあった。
一方のキャバスはどこにもなかった。

当時のキャバスの輸入元は成川商会。
JBLの輸入元の山水電気との規模の違い、
ブランドの知名度の違い、それらが重なってのことなのだろうが、
Brigantinを聴くことはついになかった。

聴きたくとも聴けなかったスピーカー、
スピーカーにかぎらず、アンプもカートリッジもそうだけど、
特にスピーカーは聴けなかったものの存在は、時としてずっと心に残ってしまう。

Brigantinが、そうだった。
そうだったからレコード芸術での内田光子のインタヴューを読んで、
日本語の「色」とフランス語の「色」の話が、私においてはBrigantinとつながっていき、
内田光子のインタヴューの、そのところだけを強く憶えてしまっていた。

そして考えるのは、ヤマハのNS5000の試作機が、
日本語の歌において精彩を欠いていたのは、「色」の再現ができていなかったのか。

NS5000は昨年発売になっている。
2016年のインターナショナルオーディオショウでのNS5000の音については、
私にとってはどうでもいい音になってしまっていた。
その後もじっくり聴く機会はないから、これ以上のことは書かないし、
日本語の歌がきちんと鳴るようになったのかも確認していない。

Date: 5月 21st, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その6)

十年は経っていないと思う。
七、八年前のレコード芸術(だったと記憶している)に、
内田光子のインタヴュー記事が載っていた。

来日時のインタヴューのはずだから、2009年のころだろうか。
掲載誌のレコード芸術が手元にないので、はっきりとはいえないが、
このあたりのインタヴューで間違いないと思う。

そこでのインタヴューで、内田光子は、
言葉と「色」は深く結びついている、と語っていたのが強く記憶に残っている。
言葉と「心」も切り離せない、ともいっていた。
そしてヨーロッパの言語の中で、日本語に近いのがフランス語である、とも。

内田光子は他のインタヴューでも語っているが、
日本語を特殊な言語として、英語がイエス、ノーをはっきりと相手に伝える言語に対し、
日本語は八方丸くおさめるための曖昧なところを残す言語である、と。

レコード芸術でのインタヴューは言語の「色」なのだから、
日本語とフランス語の「色」が近い、ということだろう。

なぜ、このインタヴューの、この部分を憶えているのかというと、
オーディオとの関係においてである。

私が最初に手にしたステレオサウンドは40号と「コンポーネントステレオの世界 ’77」である。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」に、井上先生による組合せがある。

フランスのキャバスのスピーカー、ブリガンタン(Brigantin)を、
AGIの511とQUADの405、それにカートリッジはAKGのP8ESで鳴らす、というものだった。

この組合せは、女性ヴォーカル、それも日本人による日本語の歌をひっそりと聴く、というものだった。
ジャニス・イアンのレコードも含まれていたから、
必ずしも日本語の歌というわけではないが、
そこでの組合せの記事で山崎ハコの印象が強かったため、そんなふうに受けとめてもいた。

Date: 5月 21st, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その5)

ヤマハ、こういった場でのプレゼンテーションはソツがない。
かけるディスクの選択もそういえる。

でも2015年のインターナショナルオーディオショウでの一枚だけは、
少し気になるところというか、疑問に感じるところがあった。
山口百恵の歌だった。

よく知られている曲ではなく、私は初めて聴く山口百恵の歌だった。
まったく冴えない音が鳴っていた。

初めて聴くわけだから、録音のせいかもと思うわけだが、
他のディスクの鳴り方からすると、そうとも思えない。

山口百恵の歌がうまく鳴らなかったから、
ヴォーカルの再生がNS5000の試作機は苦手としていたのか、というとそうではない。
誰だったのか忘れてしまったが、外国人歌手による歌はなかなかよかった。
それに、これも誰だったのか忘れてしまったが、
日本人による日本語の歌でも、歌謡曲と呼ぶよりもJ-POPと呼んだほうがいい、
そういった歌においては、えっ、と思うほど、山口百恵の歌の時とは違う鳴り方をしていた。

山口百恵の歌での精彩のなさが、そこにはないのだから。
実はプレゼンテーションが始まる前、
つまり開始時間の前に、数曲鳴らされていた。
その中にも、日本語の歌はあった。

クラシックの歌い手による日本語の歌で、
実はこれもうまく鳴っていなかった。
山口百恵の歌を聴いていて、この時の音を思い出すほどに、同じように精彩の欠けた鳴り方だった。

思うに、日本語の発音として、
クラシックの歌い手と山口百恵は問題なく、
J-POPの歌い手においては、いわゆる巻舌っぽい日本語であった。

Date: 5月 12th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その4)

瀬川先生は、ステレオサウンド 56号で続けて、こうも書かれている。
     *
 もうひとつ別の見方がある。国産の中級スピーカーの多くは、概して、日本の歌ものによく合うという説である。私自身はその点に全面的に賛意は表し難いが、その説というのがおもしろい。
 いわゆる量販店(大型家庭電器店、大量販売店)の店頭に積み上げたスピーカーを聴きにくる人達の半数以上は、歌謡曲、艶歌、またはニューミュージックの、つまり日本の歌の愛好家が多いという。そして、スピーカーを聴きくらべるとき、その人たちが頭に浮かべるイメージは、日頃コンサートやテレビやラジオで聴き馴れた、ごひいきの歌い手の声である。そこで、店頭で鳴らされたとき、できるかぎり、テレビのスピーカーを通じて耳にしみこんだタレント歌手たちの声のイメージに近い音づくりをしたスピーカーが、よく売れる、というのである。スピーカーを作る側のある大手メーカーの責任者から直接聞いた話だから、作り話などではない。もしそうだとしたら、日本の歌を楽しむには、結局、国産のそのようなタイプのスピーカーが一番だ、ということになるのかどうか。
 少なくとも右の話によれば、国産で、量販店むけに企画されるスピーカーは、クラシックはもちろん、ジャズやロックやその他の、西欧の音楽全般に対しては、ピントを合わせていない理くつになるわけだから、その主の音楽には避けるべきスピーカーということにもなりそうだ。
     *
瀬川先生は全面的に賛意はしないとされている。
私も同じだ。

ただし、これは国産の中級スピーカーに関してのことである。
きちんとはつくりこまれた国産スピーカーの場合は、どうなのか。

2015年のインターナショナルオーディオショウで、ヤマハのNS5000の試作機が鳴らされていた。
二年前の「ショウ雑感」にも、そのことは書いた。
NS5000に、私は期待していた。

2016年に完成品として登場したNS5000に、私は失望した。
悪いスピーカーに仕上がったわけではない。
優秀なスピーカーに仕上がった、といえよう。

NS5000への関心はなくなってしまったし、
2015年の時点で気づいてたけれど、書かなかったことがある。

別項でも、気になる点があると書いた。
二枚のディスクに共通して感じられた気になる点である。

それは、ここでテーマとしている日本語の歌だけがうまく鳴らなかった、ということだ。

Date: 5月 11th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その3)

私が最初に聴いたアルテックは、8インチ口径のフルレンジユニット755Eである。
きちんとしたエンクロージュアが用意できずに、
ダンボールの平面バッフルだったり、床に天井を向けて、ほんの少しだけ浮せて鳴らしたり、
そんな使い方(鳴らし方)だったけれど、気持の良い鳴り方だった。

その後405H(4インチ口径フルレンジ)も、
チェック用として持っていて時期もある。

604を聴いたのは、ステレオサウンドの試聴室ではなく、
あるユーザーのリスニングルームだった。
エンクロージュアは612で、アンプは自作の真空管式だった。
その後、別のユーザー宅でも612は聴いている。

アンプ、その他が違うとはいえ、このふたつの612に入った604の音は大きく違っていた。
違っていたけれど、どちらの604でも女性ヴォーカルは聴いていないし、
特に聴きたいと思わせる音ではなかった。

《歌謡曲や演歌・艶歌》の再生に関しては、いいかげんに鳴らしていた755Eの方が、
ずっと好ましかった。

私とアルテックとは、そんな感じだった。
アルテックの大型システムで、《歌謡曲や演歌・艶歌》を聴くことはつい最近までなかった。

毎月第一水曜日に、四谷三丁目のジャズ喫茶、喫茶茶会記で行っているaudio wednesday、
スピーカーは何度か書いているように、アルテックのユニットを中心としたモノだ。

昨年の1月から、積極的に音を出すようにしている。
すでに10数回、音を出してやっているけれど、
これまで一度もグラシェラ・スサーナを聴きたい、と思ったことはなかった。

日本語の歌を鳴らしていなかったわけではない。
これも何度か書いているように、常連のKさんは松田聖子をCDを毎回持参される。
それ以外にも日本の女性ヴォーカルのCDも、一緒にだ。

それらのCDは鳴らしていた。
でもグラシェラ・スサーナを聴きたい、とはこれまで一度も思わなかったのが、
ふと、どうなんだろう、と初めて思ったのが、5月のaudio wednesdayである。

Date: 5月 10th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その2)

ステレオサウンド 56号の翌年の夏、セパレートアンプの別冊が出た。
巻頭の「いま、いい音のアンプがほしい」で、
アルテックの604EをマッキントッシュのMC275で鳴らした時のことを書かれている。
     *
 しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ、思ったものだ。
     *
620Bに搭載されているのは604-8Hで、
604Eとはホーンもフェイズプラグも、フレームもネットワークも違うから、
まったく同じには語れないにしても、同じ604であり、アルテックの同軸型ユニットである。

そうなると56号での《歌謡曲や演歌・艶歌》を、
女性ヴォーカルを受けとめた私の読み方は、それでいいんだ、と思った。

セパレートアンプの別冊が出た時には、上京していた。
とはいえアルテックのスピーカーを聴く機会はなかった。
当時はJBLが圧倒的だった。

JBLは、どのオーディオ店に行っても聴けた。
アルテックはそうではなかった。
展示はしてあったから、聴かせてほしい、といえば聴けたであろう。

けれど18の若造は、買う予定のないオーディオ機器を聴かせてほしい、とはいえなかった。
私がアルテックのスピーカーで、女性ヴォーカルを聴くのは、もう少しあとのことだ。

Date: 5月 9th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その1)

ステレオサウンド 56号の特集(組合せ)で、瀬川先生がこんなことを書かれていた。
     *
 日本の、ということになると、歌謡曲や演歌・艶歌を、よく聴かせるスピーカーを探しておかなくてはならない。ここではやはりアルテック系が第一に浮かんでくる。620Bモニター。もう少しこってりした音のA7X……。タンノイのスーパーレッド・モニターは、三つのレベルコントロールをうまく合わせこむと、案外、艶歌をよく鳴らしてくれる。
     *
56号のころ、私は高校生。
クラシックをかなり聴きはじめていたころでもあるが、
グラシェラ・スサーナのうたう日本語の歌もよく聴いていたころだ。

だから、この一節が、他のところ以上に記憶に残っている。
グラシェラ・スサーナの歌も、《歌謡曲や演歌・艶歌》なのだから、
それを《よく聴かせるスピーカー》としてアルテックの620BとA7X、
タンノイのスーパーレッド・モニターを挙げられている。

グラシェラ・スサーナをよく聴いていたわけだから、
ここでの《歌謡曲や演歌・艶歌》は、女性ヴォーカルということになる。

瀬川先生は、ここでは男性ヴォーカルなのか女性ヴォーカルなのかは書かれていない。
どちらも、ということなのだろう。
それはわかったうえで、高校生であった読み手(私)は、女性ヴォーカルとして受け取っていた。

アルテックはアメリカのスピーカーである。
620Bはスタジオモニターなのでまだしも、
A7X(ドライバーが802-8Gに変更されている)は、元は劇場用であり、
私の中のイメージでは、男性ヴォーカルに向いている、というものだった。

高校までは熊本に住んでいた。
JBLはよく聴く機会があったのに対し、アルテックに関しては一度もなかった。